10. 「もう 泣かないで」




 時には呆れ、時には拗ねて、そして時には…苦笑ではない満面の笑顔。
 切なく啼き喘ぎ、淫らに誘う表情さえ知っていながらも。
 ―――僕は、知らなかった。
 彼が人前で俯くことがある、だなんてこと。


 俯いているからその表情までは窺えない。
 だけど、何の表情も浮かべていないんだろうことだけは知れて。
「忘れちゃえば…いいんだよ!」
 無理だって解ってても、そう思うのを止められない。
 そう、ククールにそんな事出来る訳ない。物心付いてからの彼の世界の中心には、あいつしかいなかったってことくらい簡単に想像が付く。
 だけれど……傷つけられて、虐げられて、放り出されて、こんなに遠くにありながらも。それでも、あいつの存在がククールの心から消えることなんてない。
 それが、堪らなく不快だ。
「忘れさせてやるから」
「……無理、だ」
 ―――知ってるよ、そんな事。
 だけど、
「解んない、だろう?」
 認めたくはない。それが、本心。
「それとも、忘れたくない?」
 訊ねておきながら、答えを聞くのが怖い。
 それを知ってか知らずかククールはふるふると頭を緩慢に振るだけで。その動作の示す意味は、忘れたくないからか忘れられないからか……再び問うことが出来ない。
「ククール?」
「解んねーよ、んーなこと」
 わずかに声音が震えていると思うのは、気の所為…だろうか。



×     ×     ×



「一概にこうだろうとは言えんが」
 そう、王が切り出されたのは、食事を運んだ折、だったと思う。
「ククールのアレは、刷り込みに近いンじゃろうな」
 寒さに震えている時に、差し出された毛布の温かさを知っていれば尚更、 「手放せんて」 。それを失くせば、凍える事は知っている。仮定は意味がないけれど、もし仮にその温かさを知らなければ焦がれずにいられるものを。
 なければ兎も角、目の前にそれははっきりとした形で在るのに。それを欲さずにいられる者が一体何人いるだろうか。
「何しろ、子供の頃からの刷り込みじゃからな。形振り構っておられんかったと思うぞ」
 関心を得たくて、罵詈雑言を吐き。
 注意を引く為に、問題行動を起こし。

 ―――そんな風にずっと、求め続けてきた?
 そうしてまで彼が得られたのは、幾許あったんだろう?



×     ×     ×



 伏せられた顔と小刻みに震える肩を前に、何に対してか解らない怒りと焦燥が湧く。
 僕の知るククールは―――自然体でありながらも、内面までは晒さない。どんなに弱っていても、弱みを見せない。
 そう、例え、誰が相手だとしても。
 だからきっと、ククールは人前では泣かないんだろうと思っていた。
 もし仮に泣くのだとしたら、それはあいつの事で…なんだろうということも想像に難くなかった。
 それでも―――あいつの前でだけは、絶対泪なんて見せない。
 矛盾してるようでありながら、それが唯一のククールのプライドだから。
 だったら。
 僕の前でだけ泣く、ククールは―――全てを晒している事にはならないか。
 それは例えようのない、幸せかも知れない。
 だけど―――。
 泣いて欲しい訳じゃない。
 傷付いてなんて欲しくない。
「もう 泣かないで」
 だから、腕を伸ばして。ただそっと、抱きしめた。



 君の大事な人とは知っていながら、それでも。

「……憎んでしまいそうだ」




2005.09.12



 主人公(月ノ郷)のククール観。





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