北か 南か 潮の香を含んだ風が頬を撫でる。 遠くで未だ続いている筈の騒ぎが耳に届き、敢えてその音を意識から追い出した。 「さーて、どこ行くかな」 誰に聞かせるともなく呟いた台詞に、 「僕は、南の方がいいなぁ」 返る筈のない声音が返ってきた。 ひとりの今、それはある筈のない、答え。 思わず振り返った先には、居ない筈の男。 「ーおまっ! んーで!」 「何言ってるのか、解んないよ。ククール」 慌てふためく俺とは逆に、にこにこ笑う男はいたって暢気なもの。 いや、そんな事は兎も角ッ。 「何でここに居るッ!?」 今現在トロデーン城で行われている『結婚式から逃げ出した姫の帰還祝い』という普通に考えるなら有り得ないパーティに出ている筈、だ。 慌てふためく俺とは逆に、まったりとした仕草で腕を組み唸る。 「うーん? 責任とってもらいに」 「……はぁ?」 思い切り意味不明な返事が帰って来、疑問符が頭の中を駆け回る。 そんな俺の状態を知ってか知らずか。 「ククールが嗾けてくれたお陰で、僕は花嫁強奪犯になりました。これでは到底、トロデーンには居られません。サザンビークには僕さえいなければ、犯人追放という建前で一応の顔向けが出来るでしょう―――って感じ?」 目の前の男は、淡々と…というよりは、僅か笑みさえ浮かべて挙げ連ねる。が、表情は内容とはそぐわず。否、それ以上に問題は。 「おいおいおい」 違うだろ、そりゃ〜と、顔を覆いたくなる。 「そもそも、それ自体姫さんの意思でもあっただろーが」 それがなんで、お前ひとりがそうする事で解決すると思う。残された姫さんの気持ちとか、どうなる。 つらつらと言って聞かせる。 こいつの行動自体、突拍子もないのが結構な回数あったから、これもその内のひとつだと。そう思って。 と、 「だって、」 呟いて、睨み付けるかのようにじっと見上げてくる。こいつのこういう非難めいた視線は、至極心地悪い心持ちにさせる。 「んーだよ」 「この形が、一番円満に行くよね」 「そりゃ、形的にはな」 だけど。 「天秤に掛けていい事じゃないだろ」 少なくとも、トロデ王や姫さんはこいつのこの行動にショックを受けるだろうと思う。 「仕方ないよ。これしか方法がなかったんだから」 「……何の?」 あのある意味目出度いトロデーン城の人々なら、全力を持って庇ってくれるだろうことを、俺以上に知っている筈の男の台詞に首を傾げる。 「ククールの傍に居る為、のだよ」 いっそ、きっぱりと。 言い切られた台詞に、唖然とする。 「ひとりで行くなんて、許さないから」 いつの間に笑みを消したのか。その表情から窺えるのは、仄かな怒り。 「あの戦いが終わっても、僕は君と居るつもりだった。だけど、あの頃は、トロデーンでの役とか復興とか陛下や姫への恩とか…色々あって動けなくて。なのに君は、そんな僕の現状を知ってか知らずか、さっさと消えちゃうし」 「あー」 思わず、視線を彷徨わせる。 知ってながらとんずらこいた身としては、ぐうの音もでない。 「今回だって、来てくれて再会できて凄く嬉しかったのに。君は勝手に僕と姫との仲を邪推して、結婚式から掻っ攫えなんて言うし」 その上、陛下と姫からも逆らいようのないお願いされて、他にどうし様があったっていうのさと、恨みがましい視線をこれみよがしに向けてくる。 「だけど、その時思いついたんだ」 これは、最後のチャンスかも知れない、と。 「姫や陛下にとっては違っても、国と国からって単位で見ると姫を攫った僕は明らかに犯罪者だ」 この機会を逃せば、きっと全てをリセットするなんてこと、出来なくなる。生きてゆくということは、柵に捕らわれるということだ。 長ければ長いほど柵は枷となり、強固に己を縛る。 「それに、背押ししたのはククールだし」 それでも、捨てきれるのかどうか…悩んでいなかったとは言えない。が、それを捨て去るように、焚き付けたのは他ならないククール、で。 「そういう事実をたてに取れば、ククールは僕と一緒に居るしかないんじゃないかって」 全て、僕自身の為の打算だよ―――と。 呟かれた言葉の内容に、頭を抱え込みたくなる。 「お前…」 姫から思慕され、陛下の覚えもめでたい。 このままトロデーンに居さえすれば、幸福な時が過ごせるかもしれない。 そうかも知れないけど、と。 「だけどそれは、僕の幸せじゃないよ」 きっぱりと、潔いまでに言い切って。 「僕が誰の息子か、忘れた?」 地位も名誉も全てかなぐり捨てて、ひとりの女の為に命を失う事さえ厭わなかった男の息子だよ? と、微笑う。 そりゃ…確かにそうだけど。 この降って湧いた現状に、着いていけない。 それより何より内心、喜んでることなんて………こいつにだけは、知られたくない。 それイコール、こいつの全ての逃げ道を閉ざすことにならないか。 だけれど、そんな俺の心中を知ってか知らずか。 「今の僕には帰るとこなんて、ないから。ククールが責任とって」 「……ッ。俺は、故郷を捨てた、つったろ」 お前に帰るとこなんて用意してやれねぇ。 恐らく、声音には苦渋が混じっている。 捨ててきたといえば格好はいいが、居場所がなかったというのも事実だから。実際そうして、喪失感にも襲われた。未練なんぞ……なかったのに。 無意識に逸らせた視線に気付いたのか、静寂が場をつくる。 「……だったら、」 ぽそりと。 「だったら、ククールが僕の還る処になって」 告げられた言葉に、刹那思考が凍る。 「……ぁ?」 「僕は、ククールの処に還るよ。だから、君も…僕のところに還ってきて」 僕が君の。 君が僕の。 故郷になろう、と笑う。 「………ッ」 こいつには勝てないと、思うのはこういうときだ。 逃げ道を閉ざすのは、俺じゃなく―――こいつ、だ。 それも諸共に。 そういう道を自ら選ぶのに、微塵も躊躇しないかのように。 「……気が、」 だけど。 「……変わるまでの間、だからな」 受け入れる―――それ以外の選択をし得ないのも俺で。 何でなんだ、と頭を抱える前に、 「うん、構わないよ」 何があっても、何をしても。 全てを受け入れてくれる、そんな処に。 互いが互いの唯一になろう、と。 幸せを具現したかのような満面の笑顔が向けられて。 強張っていたらしい肩ががくりと落ちる。ついでに、深い溜息も。 至極柔らかな笑みに、何かを纏うのも作るのも馬鹿馬鹿しくなる。そもそも、そんなもの。こいつ相手には無意味だってこと、イヤって程知ってる。 だから。 「北からなら、妥協してやる」 僅か緩む頬を引き締めながら。 取り敢えず、主導権を主張することから始めた。 ...... END
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