[ 04. 優しいひと ]




 あいつがその実、優しいひとだなんて事は3年前から知っていた。


 至極解り辛い優しさというのは、確かに存在する。
 例えば、こけた子どもがいたとして。すぐに手を差し伸べるのを優しさというのなら、あいつはそれに当て嵌まらない。
 あいつは、ただ見ているだけだ。
 子どもが泣いて、泣き疲れて、誰も手を差し伸べてくれない事を受け入れて、そうしてひとり立ち上がるまでを―――ずっと見ている。
 叱咤も激励もない。
 優しい言葉のひとつ、さえも。
 だけれど、子どもが泣き止んで立ち上がった時、ふっと漏らされる吐息と強張りを解く細い肩が。
 ただ、淡々と観察するように見ていただけではない事を如実に伝えてくる。
 そうした優しさは、気付かない者にはずっと知られる事がない。
 例えそう指摘した所で、本人さえもがそれを認めようとはしないのだから、当然だろうけど。

 だけど―――。
 俺はそんな不器用な優しさを知っている。
 3年前にも、あいつはそうやって俺の事を見ていたから。


 そうして。
 他に知られてなくて良かった―――何故だか、胸を撫で下ろす自分がいる。

 この立ち位置だけは手放せない、と。
 そう思う理由も知らず、知る気もなく。


 ただ漠然と、そう思う。



2005.08.04



不器用なルックの話。



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