[ 08. 影法師 ]
重なり合う影に、ちくりと。 微かに、刺すような痛みが胸を突いた。 凝り固まった体躯を伸ばそうと顔を上げたところで、窓の外の暗さに気付く。図書館へは夕食後から訪れていたから、どのくらい手にした書物に没頭していたのか。 そう思い、壁の時計を窺う。 「あー、そろそろ…」 閉館の時間か。 追い出される前に、椅子を鳴らして立ち上がる。 書物を手にしたままカウンター越しの司書に貸し出しの意を伝えると、 「では、こちらの用紙にサインして下さい」 と小さな紙を手渡された。 書籍名に続き、自分の名を記そうとしたところで―――バタン! と、場所柄実に相応しくない大きな音が館内に響いた。 「ルック居るーーー?!」 と、付随する大音量。 この騒がしさと声は、同盟軍の軍主殿だろう。つーか……ビックリした所為で、字が曲がった。どうしてくれる。 「図書館では静かに!」 どうしたもんかと手許の紙を見下ろしていたら、頭上を軍主に負けないくらいの大声が飛んでいった。 「あっ、エミリアさん、すみませーん」 全然悪いとは思ってないようなお気楽な返答。 「で、ルック居ます?」 「場所を考えてくださいね。彼なら……」 「騒々しいね」 2階の手すりから、軍主の探し人がうんざりと顔を出すのに至り、曲がった字を何とか読めるまでに修正し終わって顔を上げた。 視線の先には、見慣れていながらも見惚れるほどに綺麗な顔。 ウンザリとした表情であろうが、その視線が氷のように冷め切っていようが、その美貌にはなんらの遜色も与えない。 いたのか、あいつ。 全く気付かなかった。 「あっ、探してたんだよー!」 もし仮に、軍主に尻尾があったなら、千切れんばかりに振られているだろう。 「この間言ってた本、どこにある?」 「あぁ、それなら……」 こっちと促すルックとそれに従って階段を駆け上がる軍主に、司書は 「もうすぐ閉館ですから」 ひと言忠告してから、記載した貸し出し書を受け取った。 「は〜い」 軍主は実に元気がいい。 「10日以内に返却して下さい」 僅か米神をぴくりと震わせながら言う司書に、頷いて、人気がなくなったにも拘らず騒々しさが増した図書館を後にした。 「……んーと、元気な軍主だ」 溜息を吐きながらも、この城の賑やかで暖かな雰囲気が軍主の性質をそのまま具現していて、それに心地よさを感じているのも又、確かで。 「やれやれ」 毒されてきた感が、ひしひしと漂う。 厚い上に重い書物を肩に担いで、ふっと図書館を振り返る。 2階の窓越しに、ふたつの小さな影が揺れる。 何でも「面倒くさい」、「どうして僕が」とふた言目には口にするルックには、子犬のようにまとわりついてくる子供は厄介極まりないだろう。 苦笑が漏れるに任せ、踵を返し掛けたところ、で―――。 視線の端、窓に映る影と影が勢いよく重なった。 「ーッ、」 飛びつかれた方は支えきれなかったのか、諸共に影法師が消えた。 刹那、どくりと鼓動が振れ。 視線が捕らわれて、外せない。 喉が、渇く。 たかが、影法師。それが重なり合ったくらいで、なんだって胸が痛むかのような感覚を? 「……んーだって、」 解らなくて、イライラする。 ムシャクシャする心持のまま、未だ離れる様子さえないふたつの影から目を逸らし、背を向けた。 だけれど、それは。 気付かないでいられるほど、微かではあったが。 それでも、無視出来かねる深く食い込んだかのような、鈍い痛みだった。 2005.10.12 たかが影法師。されど影法師。 ・ back ・ |