[ 10. 散る花 ]
居心地のいい場所を見つけたかったら、ルックを探せ―――というのが、俺の持論だ。 あいつが和んでいる場所というのは、概ね心地いい。 その探知する性能のよさは、まるで猫並だ。 尤も、その場所っていうのは、ひとりでこっそり訪れるばかりで他に一切口外しない所為で、見つけるのに多大な捜索が必須なわけだが。 「なんだ、今日はオーソドックスじゃん」 「……何がさ」 目の前で零した呟きに、案の定ルックは不機嫌そうに眉根を寄せた。 図書館の専門書用に区切られた一角、高い場所にある蔵書に手が届くように用意された脚立の上。いわば、そこはルックが勝手に定めたこいつの指定席だ。一応、俺も気に入ってはいる。 「いや、軍師が探してたぞ」 実は、真っ赤な嘘。 居心地のいい場所を横取りする口実にすぎない。 この間の一件を考えれば、このくらいの報復で済むんだから感謝して欲しいくらいだ。 「……何だってあんたが、そんな使いっ走りみたいなことしてる?」 「別に、見掛けたら伝えといてくれって言われただけだし」 俺がどうして、自分の利もなしに他人に使われなくっちゃならない。 そう言うと、微かに口端を上げる。 こいつの台詞は、己の利にならないことには手を出さないという俺の性格を解しての台詞だ。 「………そ」 未だ怪訝そうに皺寄せられた眉根は解かれないが、それでも出向く気になったのか、脚立の上に危なげなく立ち上がり。そのまま、踏み板をひとつ蹴った。 すとん、と余計な振動もなく、目の前に舞い降りる。 重さを感じさせない跳躍は、軽やかな羽根が落ちる様に似ている。 「じゃ、行くよ」 言いながら、とっとと過ぎようとするから。 咄嗟に、腕を掴んだ。その細さと、向けられた視線に、思わずぎょっとする。 「……何」 「っ…と、ほ…本! お前、こないだ持ってったままだろ」 慌てて問えば、 「あぁ、これ?」 手にしていた本を掲げて見せた。 「それ、」 「濡れなくて済んだんだ。有り難がって欲しいね」 「〜〜〜はい、はい」 小憎らしい笑みを浮かべて手渡してくるのに、受け取りながらおざなりに返す。 だけれど、ルックは気にした風もなく。 再び、踵を返した。 ついつい無意識に、その姿を目で追う。 すっと伸ばされた背筋。 肩口で揺れる、光を弾く淡い茶の髪。 その潔く端然とした背は、こいつの性格を如実に現してるように思う。 惹かれるのは、視線か、想いか。 と、唐突に歩みが止まる。 そして、振り返る。 こちらに向けられる視線が…翡翠が、何故か胸を高鳴らせる。 そんな己の現状を顧みるに、いつまでも誤魔化しきれないんだと悟る。 誤魔化しているとの自覚が…ちゃんとあるにも拘らず、それでもそう認めたくはない。 んーだって、あいつなんだ? 綺麗な女人や可愛いと思う子だって、いない訳じゃないのに、だ。 「……視線が五月蝿い」 至極不機嫌な表情で咎められ。 「いや、お前……顔だけじゃなく、立ち姿も綺麗だな〜って?」 僅かに見開かれる翡翠が、驚いている様を伝えてくる。 「………まさか、あんたからそういうこと言われるとは思ってなかった」 それは、他の奴等からは結構言われ慣れてるってことか。 そんなこと。よくよく思い出せば、3年前も今現在も時折見られてたし、今更知った訳でもないのに。 何かを告げようとするかのような胸のむかつきは、俺の中で結構な比重を占める。 「悪ぃ…かよ」 「惚れた?」 「―――ッ、に」 嫌味なくらいに綺麗な貌で言い置いて。 何か返さなくてはと焦っている最中に、風を纏った華奢な姿は掻き消えた。 残されたのは、風に紛れたくすくすと耳許を擽るような笑み、のみ。 「………ぁあ〜」 体中の血の気が上がったんじゃないかと思えるほどに火照る顔を、てのひらで覆う。さっさと、あいつが去ってくれてよかった。こんな余裕のない様なんて、あいつにだけは絶対に見せたくない。 と、同時に。 どうやら―――認めなければならない、らしいということに改めて思い至る。 こんなこと、それも相手があいつだなんてこと、素直に認めるのはこういう状況になってさえ、至極不本意でしかないというのに。 「なんか……癪だ」 それより何より、あいつを振り返らせるのは、散る花をそうはさせまいとする自然の摂理への勝負などよりも、余程難しい気がする。 だけれど。 『本当に大事なものだっていうんなら、格好悪くても泥に塗れて這い蹲ってでも手に入れるのって、基本だろ』 そう言ったのは、あいつで。 事実、その台詞は真理だと思う。 指咥えて見てるなんてーのは、俺のスタンスに反する。 だったら。 「俺がやることなんて、決まってる…か」 ぽそり零して。 取り敢えず、あいつが騙されたことを知って文句を言いに来るのを待つ気満々で、脚立に足をかけた。 2006.01.03 やられたらやり返せ、が持論のふたり。 ・ back ・ |