[ 12. 青天の霹靂 ]




 怒りの焔に彩られた翡翠が、鮮やかなまでにその色味を増す。
「出来もしないことをやれなんて、言わない」
 だから―――。
 最後の置き土産とばかりに投げつけられた言葉の意味なんて、考える前に霞んだ。



「マクドールさん、落ち込んでます?」
 軍主の窺うような声音に、おっと思う。
「そう、見えるか?」
「かな〜り」
 頷きながら、大きな琥珀の瞳を向けられて苦笑が零れる。
 実際、自身のことと軍部のことで手一杯だろうに。そんな状況に置かれながらの軍主の視界の広さに正直、感心する。
「ルック先生の点数が辛かった所為だろ」
 言いながら肩を竦めた。
 そう。報復にと渡された課題(?)は、何とかギリギリでこなした。
 こんなとこで使うのもどうかと思ったが、トランに於いての己の存在に自然と付随してくる権力を存分に行使させてもらい。
 なのに、だ。
 どうだとばかりに、軍主とルックに披露し終え、有り難くも頂いたお言葉は、
「解釈が甘い」 の、ただ一言。
「あんたのそれは、ただ翻訳しただけ、だろ」
 キッと睨みつけられて、不本意ながら怯んだ。
「んーなの、言語でさえ解りかねてた俺に、ここまで出来たってのだけでもすげーとか思わねぇか」
「このくらいの言語2、3日もあれば解せただろ」
「だからー! その言語の…」
「時間なら充分にあっただろ」
 厳しいというか、俺を過信してる気がしてならないが。
「出来た、だろ」
 あんたになら、と正視出来ないほどの強い翡翠に見据えられ。実際、それが可能であったことを白状しそうになって慌てて口を噤んだ。
 確かに。この書物との格闘と平行して、悶々と浮かんでは消えて、又浮かんで〜を繰り返してくれたのは目の前のこいつのことだ。
 あぁ、それは認める。
 だが、だ。
 そんなこと、本人目の前にして言えるか!
 そう思いつつ窺った先には。
 どこか悔しそうな色を乗せた、表情が見えて。
「……んーだよ」
 どうしてそんな顔見せるのかが解らなくてぶっきら棒に問うた俺に寄越されたのは、 「……別に、」 咄嗟に色合いを変えたどこまでも冷たく淡々とした声音と翡翠、だった。


 その冷やかさを思い出し、項垂れる。
 ついでに、深い溜息も。
 なんつーか……反発心もあるにはあるが、それを上回る後悔に苛まれる。
 何事にも無関心なあいつが、あそこまで拘ってたってことは俺なりの解釈を期待してたってことだろうと思う。
「なーんか、失敗したんだろうな」
 ぽそりぼやくと、
「僕的には、マクドールさんの説明は解り易かったですけど」 キョトンとした面持ちで、軍主が微妙な受け答えをしてくれた。
 そりゃそうだろう。それこそ、素人ならではの賜物だ。
「だけど、ルックには物足りなかったみたいですね」
 痛いところを突いてくる。
「帰城するの、凄く楽しみにしてたみたいなんだけどな、ルック。帰り着く前に、今日一日休むって宣言されたし」
「あっ? でも、あいつ」
 さっき、ホールを抜ける時にはいつもの場所にいつもと変わらず立ってたよ…な。
 訊ねると、こくんと頷きが返ってくる。
「ええ。そうなんですよね」
 通り掛った際に、 「休むんじゃなかった?」 と問えば。
「……必要なくなった」
 抑揚のない声で、ぽそりと返ってきたのだと言う。
「で、マクドールさんはどうしてるのかな〜って」
 わざわざ、ご機嫌伺いに訪ねて来たらしい。っていうか、そこで俺のとこに足を運んだって事は関連性があるって示唆してるってことか。
「遠征中に、ルックとシーナと話してるの耳にしたんです」
 期間的に長い遠征だというのに、珍しく機嫌の良かったルックの様子を不思議に感じたらしいシーナが 「何かあるのか?」 と好奇心丸出しで訊ねたらしい。
「そしたら、ルックが『討論するんだよ』って」
 普段の彼からは想像もつかないような楽しげな声音と笑みが、見せられたのだと言う。
「それって、マクドールさんと? 解読してくれてる本についてだよね」
 流石に、あの厚い書物をこの遠征内にっていうのは無理じゃない? ―――出掛ける前のあれこれを思い浮かべて問えば、
「あいつなら出来るよ」
 それは、見事なまでに言い切った、のだと。
「……ッ、」
 知らず歪む口許。
 握り締む、拳。
 唐突に黙り込んだのを訝しみ、どうしたんですか?と問うてくる天魁星に 「ちょい、野暮用」 ひと言言い置いてその場を後にした。



 自分で自分の限界を決めて枠に嵌めることほど、愚かなことはない。
 無意識ながらも、俺自身がそうしていた。
 彼の存在が、そんだけの器量があるって認めてくれてたこと、それ自体が青天の霹靂みたいなもんだというのに。
 半端な気持ちで向き合うなんて、あいつ相手には通用しない。
 だったら、どうする?
 考える間もなく、答えを導き出す間もなく足の進むままに辿り着いたのは、石板前。
 そうして、守人へと対峙する。
「後、二日時間をくれ」
 こいつの中の俺に負けてどうする―――とばかりに、剣呑さも露な翡翠へと向ける。それは、こいつへのではなく俺自身への挑戦状だ。
 一瞬、瞠られた瞳は。
 だけれど僅かに、その色を和らげていて。
「……腑抜たあんたに、後二日で足りるの」
 小生意気そうに弧を描いた唇から、猶予をもぎ取る。
「あぁ、お前が認めた男、だろ」
「……………なに、それ」
 本気で解ってないらしい態度に、無意識なのかと呆れもしたが。
 それでも。
 こいつの真正面からその翡翠を見返す権利を放棄する気は、微塵もなかった。




2006.03.16



 ルックさんは、無意識とか無自覚とか、そういうのが多い気がする。
 坊さまには最早、頑張れ〜としか言えない。



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