[ 17. 気まぐれ ]




 白状するなら。
 かくれんぼは、苦手だった。

 隠れては捜されないかも知れない、との不安と。
 捜しても見つけられないかも知れない、という心配と。
 そんなことばかり、考えて。
 負の感情を増すばかりの遊びには、一切加わらなくなった。


+   +   +


「えっ?!」
 あまりの愕然とした声音に、今まさにフォークを突き立てようとしていたケーキから視線を外す。
 よっぽどの事があったのかと軍主殿の方を窺う、と。
 料理人に呼ばれて立ち話をしていた軍主殿は、
「そんな……あんまりだよ!」
 茫然自失に近い様子ながらも語気だけは荒く吐き出した。
 何があったっていうんだ、一体。
 首を突っ込むのはあらゆる点で得策ではないが、いつにない態度についつい声を掛けてしまう。
「どうした?」
「あっ、マクドールさん! 聞いて下さいよっ!!!」
「解ったから、耳もとで大声出すな」
 興奮している所為か、音量もさることながら勢いも凄い。
 どうどうと宥めながら、食後のデザートとして頼んであったケーキを人身御供の如く差し出した。それでなくても、周囲から無遠慮に向けられる視線が痛い。これ以上、公共の場であるレストランで、目立つのはごめんだ。
「ありがとうございます!」
 感謝の意を述べながら、親の敵にでも遇ったような態でケーキに挑む姿に。
「一体何があったっていうんだ」
 溜息を吐きながら問う。
 この軍主殿に請われてクスクスの街まで出向いたのが二日前。帰城した折の城内は、いつもと変わらず平穏そのものだった。
 普段さえあまり機嫌の宜しいとは言い難い軍師への挨拶も請われて同行したが、5割り増し程度機嫌が悪かったくらいだ。
 昼時ってこともあって、レストランへもそのまま連れ立って、今ここに居る訳だが。
 ……それより何より、俺的には石板前の定位置にある筈の姿が見えないことが、一番気になったことだけど。
「『鬱憤晴らし菓子大放出』祭が、あったんですよ!」
 僕らの居ない間に!! と、語気も荒くテーブルをドンと叩く。おーい、ケーキがひっくり返った…ぞ?
 あぁ、問題はそこじゃなく。
「って」
 …………何だ、それは。
「ルックがね、気まぐれと称して、ストレス解消にお菓子作りまくるんです」
 ケーキやらの焼き菓子から、パン類やら、フルーツいっぱいの冷たいゼリー、プリン。果ては、飴やチョコレートまで。
 それこそ、備蓄してあるありとあらゆる食物の材料を根こそぎ使って。
「勿論、量が量だし、ルックは食べる為に作ってるんじゃないから、出来た菓子類は皆に配られるんですけど」
 シュウさんはその度今日みたいに怒ってますけど、それ以外の皆は喜んでますし。
「おまけに、メチャクチャ美味しいんですよ」
 キーっと、実に悔しそうにハイ・ヨー特製ケーキを頬張っている。
「今食ってるそれと、どっちが美味い?」
「そりゃ、勿論! ルッ…………クのです」
 語尾が聞き取れるのがやっと、くらい小さくなっているのは、周囲というか厨房内の某料理人を気遣ってのことだろう。
「遠征の時とかの料理は薄味なのに、菓子類は甘さが絶妙でうっとりなんですv」
 おいおいおい。
 フォークを両手で握り締めるな。夢見る目で斜め45度を眺めるな。
 俺の内なる声が聞こえた訳ではあるまいが、そのままふーっと大きな溜息を零すと、涙さえ浮かべて、目の前の傾いたケーキをぱくりと口に放り込む。
「ここんとこ、なかったのに」
 そうだな、少なくとも俺は知らない。
 ってことは、前祭は俺がここに出入りする前ってことだ。
「はぁ〜 凄いショックだなぁ」
 まだ唸ってるのか、この軍主殿は。
「最近、それでなくても回数少なくなってるのに」
 溜息混じりの台詞。つーか、高々その程度のことで、ここまで憂えるなんて正直凄いと思う。
 そこで、ふっと。自然と疑問が湧いた。
「んーで?」
「はい?」
「何で回数減ってんだ?」
 眉根を寄せて問うと、あぁ〜と軍主殿は頷いて。
「マクドールさんで憂さ晴らしてるから、ってルックは言ってましたけど?」
 あっけらかんとのたまってくれた。
 それは……それで、凄い微妙な心持ちがしなくも、ないが。
「僕らがいない間に、何かあったのかなぁ」
 ………ちょーっと、待て!
 フォークを銜えての最後のひと言は、聞き捨てならない。
「そんなことより、何で誰も残しといてくれないんだよ〜」
 半泣き状態の軍主殿はこの際、捨て置いて―――午後の予定は、この時決まった。



 定位置の石板前。図書館。私室に、兵団の執務室。中庭の木陰、湖の畔。そして、レストラン。
 ―――全て回った。
 畜生、どこに居やがる。
 軍主殿の妄想ながらの問題発言に煽られて、件の石板守りを捜し初めて数刻経つ。こういうときに限って、訪ねるとこ訪ねるとこ居ないってどういうことだ。あいつの居場所は大概把握してたと、思ってたのに。
 そう…思い込んでただけ、なのか。
 そこまで考えて。
 落ち込みそうな結果に流れそうになって、慌てて頭を振る。得てもいやしない結果に振り回されてどうする。
「…っと、そういやぁ」
 肝心な場所を忘れてた、とばかりに、踵を返した。
 向かった先は屋上へと続く階段。
 一気に駆け上がり、扉を開く。
 視界に飛び込むのは、青く広がった空…と。
「……こんなとこに居やがった」
 探し回っていたルック、の姿。
 驚いたように向けられた翡翠は、こちらを認めた途端大きく瞠られ。
 次いで、鋭く眇められた。
 いつにない視線の強さと冷たさに、射竦められる。
「何か、用?」
 っあ〜、今一瞬胸が痛んだぞ。
 おかげで、あろうことか……押し黙ってしまった。こんな態度を人にされるのって一番嫌だ、と思ってたんだが。
 言葉が出ないって実際にあるもんだ、なんて暢気に考えてる場合じゃなくて!
「一体、何だって言うのさ」
 いい加減、何も言わない俺に痺れを切らしたのか、目の前には不機嫌そのものの表情。
 何つーか……そんな顔向けられると、余計居た堪れなくなる。
 こんな風に接したい訳じゃない。前と同じように、無駄口叩き合って、時には喧嘩して。そんな他愛ない時間を過ごしたかっただけだ。
 なのに、ここ最近、ずっと上手くいかない。
 好きになっちまったのが悪かったのか。
 それとも、自分の気持ちに気付かなきゃ良かったのか。
 告げたことが、間違いだったのか。
 だけど、全部仕方ないことじゃんか。
 自分でも不可解で。
 どうして…って思わない日はないっていうのに。
 抑えるなんて―――そんなこと出来る訳ねぇ。
 それでも。
「……悪ぃ」
 謝罪してしまうのは迷惑なんじゃないかと。
 そう思ってしまう所為だ。
 自覚する以前は、これ以上の迷惑行為散々掛けてたし、それに関して悪いなんて感じたこと自体皆無なんだが。
 気持ちの余裕がないってーのは、こんなに弱くさせるのか。
 あー、何か……すっげー不本意だ。
「むかつく」
「ーーーッ、」
 いつにない、感情むき出しな言い様に、咄嗟言葉が詰まる。
 ―――と。
「あんたごときに、感情を乱されるなんて不覚だ」
 は…ぁっ?
 外された視線と、噛み締められた唇と。それ以上に、心底悔しそうな台詞に、思わず目が点になる。
 それって、要するに。
 菓子作りから始まって、今現在のこの態度にまで表れてる?
 それって。
「意識、してるってことだよな」
 そう水を向けると、キッと鋭い視線が睨み付けてきた。
「ッ、ある訳ないだろ」
 語気も荒く言い放ってくるけど、その頬は僅かながら朱色を刷いていて。こういう場合、自分に都合のいい方に解釈した方が勝ちだよな、との思いからにんまりと笑って見せた。
「へらへら笑うな、鬱陶しい!」
 そうか。
 ルックって本気で激するとこんななのか。
 大抵のことは冷めた態度でこなすから、こんな風に感情を露にするとこなんて初めて見た。
「だったら、俺にも菓子作れ」
「はぁ?」
 盛大に呆れた声が、発せられる。
「どうして、そう話しが進むのさ」
 うん、脈絡も何もあったもんじゃねーかんな。そう返されるのも当然か。
「俺が食いてーから」
「…………………あ、そ」
 長い沈黙の後、返されたのはやっぱり不本意そうな相槌だったけど。
 いいんだよ! 今は、変に開いた隙間が、少しでも縮めば。
「気が…向いたらね」
 それでも、その後付け足された台詞はあらゆる悩みを吹き飛ばす程で。にかりと笑ってやれば、心底嫌そうな表情を向けられはしたが。
 ルックがいうところの、気まぐれの虫が発生するのを多大に期待することにした。


+   +   +


 かくれんぼは苦手、だった。
 だけど、捜し求めた彼の人をみつけ視界に捉えた時の、胸が打ち震えるかのような…そんな感動を知れば。

 現金かと思いはすれど、案外これはこれで病み付きになりそうな予感がした。




2006.06.30



 ルック動揺す。
 というか、この軍には『鬱憤晴らし菓子大放出』祭というのがあるらしい……。




・ back ・