[ 19. 近道 ]




 近付いたと思ったら、遠ざかってゆく。
 それは己の所為か、はたまたあいつの所為か。
 はっきりいって―――未だに俺とあいつの距離感ってやつが掴めない。



 ただ、その立ち姿は端然とし。
 凛と伸ばした背筋と、じっと前を見据える瞳を久方ぶりに拝んだ気がする。
 戦局も大詰めだと、複雑そうな面持ちで告げてきた軍主殿の台詞を思い出しながら、埋め尽くされた石板を守るその立ち姿に見惚れる。
 視線を感じたのか、前に向けられていた翡翠がゆるりとこちらに向けられた。その瞳が眇められたのを見、苛立つ。
 カツカツと歩み寄って、苛立ちのまま吐き捨てる。
「……ほっとしてんだろ」
 逸らされずに見上げてくる翡翠に、訝しみの色合いが乗る。眉間に寄る皺も、突然の台詞に疑問を感じているさまが見てとれる。
「な、に?」
「この戦争が終われば、俺と向き合わなくて済むから」
 途端、刺すような冷たさが翡翠に篭り、一切の感情が窺えなくなる。
 あぁ、解ってるよ。こんなこと、言うつもりじゃなかった。だけど、いつもと変わらない淡々としたこいつの態度に、カッとしちまった。
 自身に残された時間は嫌になるほどあれど、如何せん余裕がない。
 初めて知る感情の抑えようを知らない。
 何か、もう、自覚してからこっち、自分の情けなさを見せ付けられてばかりいる。
「八つ当たりも大概にして欲しいね」
 ―――みっともないよ。
 なんてこと、今更改めて言われなくても重々承知している。
「自覚なしか?」
 なのに、何だって開くかな、この口は。
「お前、避けてるだろ」
 そう。
 気持ちを告げてから、以前より傍にいない時間が増えた。意識してるから、そう感じてしまうのかも知れなかったが。
 それでも、今現在のあり方ってーのにイライラは隠しようもなく。
 口許だけ、にやりと笑みを浮かべて見せれば、ふんと返されるのは嘲りを含んだ表情。
「その台詞は、そっくりそのままあんたに返す」
 胸の前に悠然と組まれる、腕。
 頭半分低いにも拘らず、見下ろしてくるかのような翡翠。
「僕はいつだって、此処にいる」
 きっぱりと言い切る様は、小気味いいほどで。言い返すことも出来ない。
「そりゃ、それが役目だから…に過ぎないだろ」
 俺との事に対して、じゃない。
「何にしても。僕には逃げるなんて選択肢、ないよ」
「…………」
 あぁ、畜生。そうだったよ!
 俺がこいつに興味持ったのが、そうするしか知らないヤツだという…その不器用さ故だった。
「言っとくけどね」
 眇めた翡翠が、ただ淡々と。
「恐れてるのは、あんただよ」
 それを、俺に認めろってーのか。例えそれが事実だとしても、無理だな。
 そう出来るくらいなら、俺は俺をやってない。
「返事も寄越さないヤツに、言われたくねぇよ」
「返事って何さ」
「ッ、〜〜〜す、きだって! 言った」
 自分で言っときながら、顔といわず、首筋といわず身体全体が火照る。んーなこっぱずかしいこと、何度も言わせてんじゃねーよ!
 だけれど、それに返されたのは。
「あんな、独り言に何を返せって?」 呆れたといわんばかりの、言葉。
「うっ、」
 た、確かに、言い逃げに近かったし、はっきりと告げた訳じゃないけど! 独り言と称しつつ、その中身を知ってるお前的には今更、だろーが!と、詰め寄りたくなる。
 だけれど。
「はっきりとした形で返して欲しいって言うんなら、報告書にして提出ね」 流石に、相手が相手。一筋縄じゃいかない。
「……はぁ?」
 待て待て待て! 何だ、報告書って?!
 つーか、それって―――。
「恋文、書けって?」
「報告書」
 楽しそうに訂正してんじゃねーよ。手ずから書くって意味じゃ、中身はそんままなんだから一緒じゃねーか。
「……………ったら、ちゃんとそっちも文書にして返してくれるんだろーな」
「そうだね」
 サインくらいはしてやる、と平然とのたまわれ。
 何かもう、素で泣きたくなった。



 近付いたと思ったら、遠ざかってゆく。
 それは己の所為か、はたまたあいつの所為か。
 はっきりいって―――未だに俺とあいつの距離感ってやつが掴めない。

 だけれど今更ながらに、思う。
 回り道も、それなりに楽しいんじゃないか、って。
 そもそも、こいつ相手に安易な近道なんて在り得ない。
 それがいい、と思うなんて………大概、自分も救いがないと感じざるを得ない。




2006.10.13



 振り回されるだけ振り回される。だけど、それは……幸せなことかも知れない。




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