[ 20. 夢の終わり ]




「夢は終わったんだよ」
 何の感情も窺わせない呟きを、風がゆるりと攫った。


×   ×   ×


 想いのカタチ、深さなんぞは千差万別あって当然で。
 俺のそれと、あいつのそれが違うのなんて当たり前すぎてそれをとやかくいう気はさらさらない。
 それでも、同じであれば……と。
 例え、僅かでも触れ合えれば、と。
 そう願わずにはいられない。

 消え行く星々の名。据え置かれた石板は、何の前触れもなくひとつひとつ空欄を増してゆく。まるで、最初っから何もなかったかのように。
 温もりも冷たさも感じないそれに背を預け、くつりと笑う。役割を終えたとはいえ、今はこの場に居ない守り人に見咎められたら、叱責されるんだろうかと。
 ―――カツン
 静かな空間に、響き渡る足音に 「来やがった」 と独りごちて、階段へと視線を向ける。
「……居たのか」
 こちらを認めた刹那瞠られた翡翠の瞳が、瞬きひとつの間にうんざりとした風に眇められた。それを見、自然不機嫌になりながらつっけんどんに言い返す。
「居ちゃ悪いのかよ」
「……別に」
 はっきりと否応を告げない口振りからは、いいのか悪いのかは知ることが出来ない。
「っていうか、あんたが未だにここに居座ってる理由が解らないだけだよ」
 軍主殿は、自身が手でその道を選び取り。
 星々は、新たな道へと散りゆき―――全てが終わったのに、と。
「そりゃー」
 確かに、やつ等の道はそうかも知れねーけど。
「まだ、回答もらってねーからな」
 俺のは、未だ決まっちゃいない。
 はぁ〜?と呆れた声音の後、 「あぁ、あれか」 ぽつりと零しやがった。
「……………」
 見事に忘れ去ってくれてたらしい。こいつらしいというか……記憶の縁に留め置いてくれたことに喜ぶべき、か。
「………報告書の提出がなかったから、てっきり」
「期限指定されてなかったからな」
 つーか、まだそこから進んでなかった訳か? それとも、それが絶対に必要な書類だとでも?!
「んーなに、俺からの恋文が欲しいのか」
「ふん」
 鼻を鳴らすな! てーか、明らかに馬鹿にしただろ、今。
「そんなもの」
 そう艶さえ滲ませて微笑む様が。
「―――跡形もなく燃やし尽くしてやるよ」
 ありえないほどに綺麗な微笑で返された台詞は突っ込みどころ満載だけど、咄嗟に言い返すことも出来やしない。
「……だったら何故、提出させたがる」
「嫌がらせに決まってる」
 何でこんなヤツに惚れる、俺!
「あぁ、残しててどこぞの『英雄の間』に寄付するっていうのも、手だね」
 それは、笑えない。
「お前の名前、羅列しといてやる」
「消し炭決定か」
 どっちにしたって、俺に対する嫌がらせにしかならねーじゃねぇか。
「ちょっと、待て」
 ……つーか、何でこんな実りのない話してる訳だ、俺たちは。
 いや、俺自身は、こいつとのこんな軽口のやり取りも好ましいとは思ってっけど。今、この場でやるようなことじゃねーだろ。
「帰るんだろ」
 ここへ来る前に、覗いたこいつの部屋には何もなかった。昨日までは置かれていた僅かながらの、衣類や分厚い魔術書の類まで。その部屋には、もうこいつは帰らないのが知れて。
 慌てて駆けつけたこの場に鎮座していた石板から、こいつの名が消えてなかったことに心底ホッとした。
「……僕の役割は終えたからね」
 そりゃ、そうだろうけど。
「やっぱ、逃げんじゃねーか」
「……聞き捨てならないな」
 何だって僕が逃げなきゃならない訳―――物言う瞳が、雄弁に挑んでくる。
「帰るってことは、次いつ会えるか解んねぇってことだろが」
 その状況で、どうやって報告書渡したり、話したり出来るってんだ。
 そもそも。
「ずっとお前は、はぐらかしてばっかじゃねーか」
 ぼそりと呟く。と、目の前の翡翠が、見る間に剣呑に煌いた。
 あー やっぱこいつ、こういう時の貌が一番綺麗なんだよなぁ。
 ………ってーか、ここで見惚れてる場合じゃないだろ! 俺?!
「解った、そこまで言うなら待ってやる」
 ただし―――と、指を3本目の前に突き出す。
「猶予は、3年」
 挑発的に煌く、翡翠の瞳。
「報告書に3年かけるもよし、僕らの居場所に辿り着くまでにを3年費やしてもよし」
 こういうときのこいつの顔、有り得ないくらい綺麗で目をそらすことさえ出来やしねぇ。
「心変わりするのもよし」
 あぁ、もう。
 何だって、こいつはこんななんだ。んーなもん、する訳ねぇだろ! 諦め悪ぃのに掛けちゃ定評があんだよ、俺は。
「あんたの情熱とやらを見せてみろ」
 そこまで言われて、拒否れるヤツなんていねぇだろ。
「後悔、させてやっからな」
「ふん。精々、頑張ってみれば」
 落ちるかどうかは別問題だし―――ムカつく台詞と小憎らしいまでの鮮やかな笑みに、負けじと尊大に胸を反らせてみせた。


×   ×   ×


 去り際に、あいつはたったひと言。
「夢は終わったんだよ」
 そう、言い置いた。

 そう、あいつの言葉どおり。
 あの時間はある意味、夢のような日々だった。
「ふん」
 だけど。
 夢なら夢で構わない。
 このまんま夢で終わらせる気は、さらさらない。
 終わりなんて糞食らえ、だ。
「待ってろよ、」
 今はいない守人の、気に入りだった砦の天辺に立ち、誓う。
「絶対、捕まえてやっからな」
 頬を嬲ってゆく風に、挑戦的に笑みを乗せた。




2006.11.10



 これもひとつの終わり




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