今、此処二在ル それがいい事なのか、そうでないのか、シーナには解らなかった。 否、誰にも判断出来なかっただろう事だけは、解る。 だけれど………そうしなければ、ならなかった。 そうしなければ、あの綺麗で儚い少年はきっと壊れていただろうから。 何の前触れもなく、夜半にシーナの部屋の扉は叩かれた。 寝付けずに本をぱらぱらと捲っていたシーナが扉を開くと、そこには小さな少年がひとり立っていた。 「ルック、どうした?」 「……教えて」 初めて耳にする切羽詰ったようなその物言いに、シーナは小さく眉根を寄せる。 先々日、暴漢に襲われていたルックを助けた。それは、それ以前にも数度襲われかかったというルックを気遣って、気を付けていた矢先の事だ。 「あんたなら、閨房の術詳しいじゃないかって誰かが言ってた。だから……教えて」 「ルック?!」 己の言葉の意味を知って、そう言うのかと語気を荒くして問うシーナに、見上げる翡翠はそのままに 「知ってるよ」 と頷いた。 「知ってたんだ、最初っから。あんたが背後から、あんな…軍主と僕が恋仲だとかいう根も葉もないくだらない噂まで流して、周囲の奴等に僕に手を出さないように牽制してたこと。だけど…、」 そんな事で守られたくない。 己の身は、己自身で守る。 そうきっぱり言い切るのは、華奢な齢14歳の少年。 「だから、―――教えて」 「本当に………いいの、かよ」 そう尋ねても、揺らぎもしない強い意志を秘めた翡翠。それどころか、小さく笑みさえ浮かべて 「伊達や酔狂じゃこんな事言えないよ」 とまで言ってのける。 「あんたに助けてもらったのが最初じゃない、3度目だよ。1度目は相手がひとりだったから、魔法喰らわせて逃げれた。2度目は………2人だったけど、見回りの兵士の足音に驚いてあっちから逃げてった。……あんたが来合わせたときは、相手があの数だったし魔法も封じられて…正直駄目だと思ってたよ」 ルックの淡々とした物言いは、だけれどそれが事実なのだと否応なくシーナに突き付ける。 「それに、これから兵が増えればあんな噂なんて細部までは届かなくなる。これからも、僕にはあーゆう事は日常茶飯事で起こり得るって事だ。それは…構わない、弱い僕が悪いんだから…仕方ない。だけど………相手にどんな形であれ屈するなんて、冗談じゃない」 事実、屈しかけた。 諦めかけたのだ。 救いなんて……求める自分を許したくないのに、そうしようとしていた。 シーナは瞠目する。 身体が蹂躙される事より何より、この子供にはその心を屈服させられる方が傷が深いのだと。 彼が言っているのは、そういう事なのだ。 「だから………教えて」 この孤高な少年は、快楽までも御す術を得るのだろうか。 「………解った」 窓辺に置いたランプの明かりはそのままに、向かい合ったまま、細過ぎる身体から腰帯を解く。 「まず、男は選べ」 小さな身体は、その背丈でさえシーナの顎の位置しかなくて。 こんな子供に、それもどんなに綺麗でも同性相手にその気になれるのかさえ、今この状態になっていても全く解らなくて。 「言い寄ってくる男全部相手にすることない。そんな事してちゃ、ルックの身が持たないから」 下級の傭兵は相手にするな、人望も厚い人気も高い…けど、あんまり人に恨まれてないような奴―――そう言うと、ルックは不思議そうに見上げてくる。 「そんな奴、居るの?」 「居るだろ、ビクトールとか?」 「……そっちの方が、身が持たない気がするんだけど?」 まぁ、確かに。体躯でいえば、ルックの3倍はゆうにありそうだ。 苦笑混じりに緑色の法衣を取り去ると、今まで気丈に堪えていたんだろう小さな身体がピクリと強張った。 「襲われても、怖がるな……っていうのは無理かも知んないけど、なるべくそういう態度は見せるな。逆に微笑ってやるんだ、相手が確実に怯むから」 そうすれば、逃げ出す事だって出来るかも知れない。 半端に衣を取り去った故に垣間見える艶かしい程に白い肌。 そういう類の色を醸し出す綺麗な顔に綺麗な肌……やはりその気がなくても誘われる。 そのくせ容易く屈服しないその精神に、余計嗜虐心を煽られるのか。 だとしたら、皮肉以外の何者でもない。ルックは、何故か酷く己の容姿を嫌悪しているのだから。 「……いいか? 快楽ってやつはどんなにしようと思っても制御は出来ないと思う」 それを求めるのは本能だからだ。 抱く方と違って、抱かれる方には、羞恥心とか屈辱感やらどうしたって感じずにはいられないだろうから。 だから、快楽から逃げようとは考えるな。抑え込もうとするな。 ―――愉しめ。 とことん愉しんで、なおかつ相手をおとせ。男っていうのは結構単純だから、一度寝たら落としたって思うもんだ。 だけど、つけ上がらせるな。 「常に、選ぶのは自分だ―――って事を誇示しろ」 言葉と共に触れると、強張り竦む小さな躰に感じるのは痛々しさばかりだ。少しでも、快楽を…と、僅かでも反応の返ったそこここに指先で、唇で触れる。 「…っ、あ!」 「……全部、お前のその容姿が一番の武器になるから」 一番自分を危機に晒すそれが、一番の武器に―――? 「―――なんで、」 酷く理不尽な事を言ってると思う。 この容姿でさえなければ、男に襲われるなんてことさえなかった筈だろうに。 「人間って言うのは、美醜に拘る。だからこそ、綺麗なものはただそれだけで優位に立てる。誘われて嫌なら冷たく笑ってやれ。その気があるんだったら、嘲るように笑ってやれ。絶対、戸惑うな」 媚びる必要も、相手の意向を窺う必要もない。 ただ、そこに立って毅然としてればいい。 翡翠の瞳を覗きこむと、戸惑うような色とそれでも流されまいとする強い視線に囚われる。 「で、なきゃ…お前はお前で居られないだろ?」 「………ッ」 含める様に言いながらも、心の内を駆け巡るのは。 何故、どうして…、理不尽だ―――そんな思いばかりなのに。 「見ててやるから。……ひとりで立っていられるように、ちゃんと見ててやるから」 痛々しいまでの矜持を。 汚され貶められたとしても、失わない強さを。 己が犯した少年に、ただただシーナは言い聞かせるように、尽きない言を繋ぎ続けた。 ...... END
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