想卵 生まれた想いは、硬い殻の内。 そんなもの、要らなかったから思い切り拒絶したのに。 踏み付けても、疎んでも、それでもそれは育まれ。 ふっとした折に、孵化する兆しを垣間見せる。 何の変哲もない小さな、石板の間。 何故かそこは、解放軍の砦内に於いて食堂に次ぐ来客度の高さを誇る。 凛とした立ち姿・生半可でなく人目を惹く美貌。 美人は三日見ると飽きるというけれど、この少年に於いてそれは当てはまらない。 その証拠に、今日もそれはそれは見事なまでに、用もないのに訪れる者達で石板の間は大賑わいで。 ―――石板守の少年は、皆の目を潤わせる鑑賞物と化していた。 機嫌が悪いのは傍目から見ても、はっきりと解るというのに。 それでも、人が途絶える事がない。 「一種の…娯楽?」 その様子を端から観察していた軍主は、腕を組んで可笑しそうにのたまう。 「……又、はっきりと」 「綺麗なものを愛でるのは、楽しみ以外の何ものでもないだろ」 それに。 「他に金の掛からない娯楽がない」 いいのかそれで…とでも言いたそうな軍の幹部レパントの一粒種の視線に気付きながらも、軍主は満面の笑みを浮かべる。 「まぁ、それももうちょっと…の間だろうけど?」 次いだ意味深な台詞に、シーナは胡乱気な表情を向け。だけれどそれに返されたのは、 「ま、見てろって」 どこか予言めいた言葉だった。 石板の間において、守人の魔力行使が行われたのは、軍主の予言から5日後の事で。 死者こそなかったが、それに巻き込まれた負傷者数は二桁に及んだ。 「コレに懲りたら、僕には近寄らない事だね」 吐き捨てるかの如き台詞とは逆に、普段はあどけなささえ感じさせるその貌に浮かぶのは、妖艶かつ挑発的な笑みだった。 事の顛末を報告された軍主は、と言えば。 「取り敢えず、ルック魔法兵団長殿は暫く石板の間で謹慎?」 それは元々の仕事で、何の処罰にもならないという事実に意義を唱えた者は、 「あいつの事、ていのいい娯楽扱い、したろ?」 との軍主の言に二の句を告げる事が出来なかった。 放出された魔力の強さの所為か、怪我人は多数出たが、それ以上に石板の間も生半可でない被害を被っている。尤も、室内の崩壊度に比べれば、数多の怪我人の傷はそう大したものではなく。それは、守人の魔力の制御の高さを窺わせた。 「そろそろ爆発するだろうな〜とは思ってたけど」 鑑賞物扱いされてそれを甘んじて受け入れるような、大人しい奴じゃないからな―――と。その修復をしている脇で、砦の主がいっそ楽しそうに笑う。 流石に守人の役割故にか、傷ひとつ受ける事のなかった石板は、既に他の部屋に移動されている。 「尤も、俺的にはこんなに長く持つとは思わなかった」 あいつの気性だと、もって2.3日だと予想してた、との軍主に言にシーナは肩を竦めた。 「…よく知ってるじゃん」 「出会い頭に魔物けし掛ける上に、生半可じゃなく高っかい塔の天辺まで登らせる奴だぞ」 魔物は兎も角として、高い塔云々は不可抗力じゃないかとシーナは思う。 「あいつ、転移使い惜しみしやがったんだ」 その証拠に、下りは師匠の言い付けで転移だったしな、と言われればあながち思い込みでもないのかと考えを改めた。 「―――だから、」 修復作業へと向けられていた視線が、僅かな真摯さを帯び、ゆるりとシーナに向けられる。 「…んーだよ」 「あいつは止めとけ」 「……………ッ、んで?」 シーナはその視線と台詞に、ぴくりと反応した。 「そもそも、あいつはそんじょそこらの奴の腕の中に収まりきれるような、生易しい奴じゃない」 確かに、と。 その魔力云々はさておいても、ルックからは周囲に対する壁を感じられる。 他を入り込ませない。 干渉など言うに及ばず。 引きずり出す事を許さない。 無邪気な子どもを装いながらも、そう周囲に悟らせる事のない明らかに線引きされた、越える事も崩す事も出来ない境界線。 故に、気になったというのがシーナの本心だ。 「別にッ、」 だからって、隣の男の言葉に含まれたそういう意味合いではない筈だ…と思う。明らかに慌てた風情のシーナの態度をどうとったのか、軍主はくつりと意地の悪い笑みを口許に乗せる。 「それに、あいつは俺ンもんになる予定だからv」 「はっ?」 「予定ってーか、これ既に決定事項」 間抜けた面しているだろう自覚はしっかとあったが、流石に思いも寄らぬ台詞を思いも寄らぬ相手から告げられれば呆けてしまうのは致し方なく。 「………え…っと?」 「ついでに言うと、これ牽制」 「……牽制、されるくらいには要注意人物って事か?」 嬉しいような空恐ろしいような、複雑な心境ながらシーナはぼそりと訊ねる。 「別にお前に限った事じゃない」 取り敢えず、あいつに興味示してる奴らにはそれとな〜く? と、なんでもない事のようにからりと言ってのける軍主は、やはり軍主だなと甚だ失礼な思いに駆られた。 それ以上に。 「よくそんな時間、あるよな」 寝る時間さえ惜しんで軍主業に励んでいるのは、シーナでさえ知っている。負ければ反逆者の咎を負い、勝ってさえ得られるものといえば名声やらの重いもので。そこに自由のないのは、解っているのに。 「シーナ? 牽制なんて、たっとひと言でいいんだぞ」 「それは…お前だから、だろ」 否、だからこそ……欲するんだろうか。 軍主の黒曜石の瞳は光りを満ちて煌き、決して翳る事はない。だけれど、その内に何もない状態でそう保つ事は難しい。 「ま、予告達成すんの楽しみに見させてもらうわ」 「おうよ」 新しい娯楽にでもしてやってくれ、と軍主は満面の笑顔で言う。 これから一層慌しくなるであろう軍主業以上にそれは難儀な事に見受けられたが、何の気概も感じられない様ながら、それでも成し遂げてしまうんであろうその存在を前に。 せめて、応援くらいはしてやるべきかと、数少ない友人を自称するシーナは苦笑を返した。 孵化する兆しは知れても、まだ至らず。
だけれど、この想いは必ず孵る。 孵る…と、言い切れるのに。 それでも、どこかで恐れているのか。 あたためて、あたためて、だいじにこわさないように。 自嘲しながら、そうする事を止められない。 そうして、ずっと待っている。 ―――ほぅら、孵った。 ...... END
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