無垢 荒く猛々しい雄の中で、彼はずっと待っていた。 自らを貪る雄の緊張の切れるその一瞬を。 傷付けられ、暴かれ、そして蹂躙される―――その間、ずっと。 途切れそうになる意識を、痛みに悲鳴を上げ続ける身体を、虐げられる己の矜持を叱咤しながら、待ち続けた。 覆われた殻が壊れる、その瞬間を。 向かい合わせの椅子に座るのは、酒場で給仕をしているとは聞いたが、多くの人々が生活する城内では見も知らぬ女に等しい。 その、綺麗に整えられた身なりと平然とした態度に、一体なんだって…との疑問ばかりが胸中に渦巻く。 「では、ここに記してある事に間違いはないんですね」 手にした書類の束を爪弾きながら、同盟軍軍主は何度目かになる問いを繰り返した。 「ええ、私が手はずを整えました」 淡々と述べる赤い唇が、至極目障りだと思った。 「私、酒場で働いてるでしょ? 入りたての兵士が飲む度に、あの子を何とかしたいって言ってたから、ちょっと声を掛けてやったの。私が呼び出しましょうか、って」 「……何故、」 「だって、目障りだったから」 何でもない事のようにそういう女の様子に、尋問を投げかける軍主は逆に苛立つ。 「綺麗なだけの顔で、あの人を誑かして。その思いをさも当然のように、受けて。どうして、そんなことが許せると思うの?」 「………あの人、って」 「勿論、マクドールさまよ」 彼女の口から出された名に、軍主は痛ましそうに顔を歪めた。 3人の男たちは、上官を襲った罪により厳しく軍内で罰せられる。処分は、軍法会議に掛けるでもなく―――との、幼い軍主の台詞にも昏い黒曜は動かなかった。 「抑えて下さい」 ひたすら頭を下げる軍主へ漸く返されたのは、 「あぁ、そうだね。そいつらが軍内にいる間は手出ししないよ」 感情を一切窺いさせない台詞。それに、軍主は戦慄する。じわりと背筋を冷汗が流れ落ちた。 いっそ、怒りを露に怒鳴られた方が余程ましだったろう。 渇いた唇を舌で湿らせ、恐らく一番報告しなければならない事を口にする。 「ただ、女が」 「………女?」 すっと眇められた瞳に、赤い唇をした女の身を…これからを、それとはなく思った。 それは、冷たい石造りの牢獄だった。 足許からじわりと、冷気が伝わり身を凍えさせる。 咎人を捕らえ閉じ込める為の檻の前で、英雄と謳われる男は冷淡な瞳をその中の女に向けていた。ただ、向けられているだけの視線に。 女は両の手を握り締め、男を見上げたままに。 「あんな人、貴方に相応しく有りません」 さもあらんという様に、微か震えた声音で言う。 それに返されたのは、冷笑だった。 「……何も知らないお前に、何が解る」 女を見据えながら発した言葉で、淡々とその勝手な想いを突き放す。 「ねぇ、殺して欲しい?」 端整な貌にうっすらと笑みまで浮かべて言う男に、女は凍りつく。 「想いが欲しいんだ? だけど、薄汚れたお前なんかに寄せる想いなんて、欠片もないよ」 優しささえ感じられる言葉の数々。 「彼だけが在るがままの僕を受け入れてくれる。何も求めずに、そのままでいいんだって言ってくれる。例え、僕が彼を引き裂こうと、それにさえいいよって微笑ってくれる。お前なんかにそれが出来るとでも?」 含まれる棘は、柔らかな声音故にいっそ恐怖を煽る。 「僕は彼しか要らないんだよ」 彼が欲しいと言うのなら、この世界でさえ捧げよう。 神と呼ばれるものにでさえ、手を掛けよう。 彼が望みさえすれば―――。 「彼が汚れれば? 彼は汚れない」 くつりと深くなる笑み。 「どんなに踏みつけても、どんなに嬲られても、彼だけは汚れない」 例え傷付いたとしても、穢れる事はない。あの愛しい無垢な魂は、そうする事を良しとしない限り、穢れを知らない。 「だからこそ、僕は彼を愛したんだ」 猛々しい矜持を胸に、冷たいまでの翡翠で彼だけの世界を構築する。何よりも強く目を見張る程に美しく、そして儚いそれを。 ずっと傍に居て、そっと癒してあげる。 「浅はかな女だ」 冷淡に眇められた瞳は、だけれど怒り等とった感情とは無縁で。 「僕の手でなんて殺してやらない。ルックが哀しむから」 そう言い置くと、ひと言も発せずに真っ青になった女の存在などまるで無かったかのように踵を返す。 男は、記憶にさえ残さない事で、愚かな女を抹殺した。 ……泣いている。 ゆるりと揺さぶられ浮き上がる感覚が、意識をそっと持ち上げる。 「ルック………」 ひとつひたつ瞬いて。 そして開けた視界に入り込んできたのは、ただ昏い黒曜の瞳。 「…………っ」 「ルック…大丈夫?」 あまりに深いその色合いに、何故こんな瞳を向けられるのかが解らなくて、瞬時戸惑う。 「…に?」 身を起こそうと、身体に力を込めて。 「ッ、」 突き抜ける痛みに、咄嗟に歯を食いしばった。 「ルック、」 慌てて押し留める目の前の男の様に、今更ながらに現状を把握した。 「………あぁ、そうか」 この身は数人の男たちに蹂躙されたんだった、と。 未だに身を苛む痛みと倦怠感が、あれは夢ではなかったのだと告げていた。 とんだ失態だ。 「………ゴメン、ルック」 「何であんたが謝るの」 その謝罪に納得出来なくて問い返せば、黒曜がすっと逸らされた。 「ルックを誘き出した女が、僕を想っていたんだって……。君への嫉妬でそうしたんだって」 言いながら握り締めた拳が僅かに震えるのが、視界に入る。 あぁ、そういった事か…と、思い出した状況と照らし合わせて納得した。 「そんな事、関係ないよ。僕が迂闊だっただけだ」 自分の容姿が、他にどんな風に見られているのかなんて…知っている。例えその女が手引きしなくても、恐らくあいつらは何らかの手で自分を襲おうとしたであろう事なんて、予想に難くない。 「だけど……避け様があった筈だ」 俯いたままのそれは、慟哭のようで。 「もう………終わった事、だよ」 「―――だけどっ!」 欲望さえ抑えられないあんな連中なんて、それこそ掃いて捨てるほどいる。今回、一部でも表面化したことで、それが少しでも減るって考えた方が余程建設的だろう。 いっそ淡々と言うと、小さく肩が震えた。 「……………ごめん」 「…馬鹿、だね」 そう溜息と共に囁いて、未だ微かに震え続ける肩をそっと抱え込む。 竦み強張るのが痛々しくて、その背に回した手に力がこもる。 「傷付いてるのは、僕じゃない…よね」 こいつを見てると、痛くて苦しくて―――堪らない。自分が受けた傷など、その痛みに比べれば些細なものだとさえ思える。 「ルック、」 強く強くしがみ付いてくる腕は、自分のものより余程逞しいのに。 だから、こいつにだけは知られたくなかったんだ。 そのまま、瞼を落とす。 強くありたいと、強くあらねば…と思い願うのは己以上にこいつの為だ。崩折れそうな精神を内包し、常に失くす恐怖に震え。 「僕は、平気だよ……。平気、だから」 しがみ付いてくる腕の力がより強くなるのに、そのまま抱き締め返す。 抱き締める事で、その傷が少しでも癒えるといい。 癒やす事が出来るのなら、いつまででもずっと抱いていてあげる。 だから………。 「―――もう、泣かないで」 ...... END
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