おやつと説教と、キス 今日のおやつは、魔術師の塔に居た頃毎日のように作らされていた師の大好物でもあるカスタードのシュークリーム。 作成場所は、いつもと同じ休憩に入った頃合のレストランの厨房だった。 食べる? と、言葉こそなく目の前に突き出せば、にこっと返ってくる笑み。 「待ってました」 机上の紙類を避け、インクで汚れた手を気にした風もなくイタダキマスと両手を合わせてからシュークリームにぱく付くのは、宿星のひとつでもある地図職人だ。雑然とした室内には、椅子と呼べるものが彼が腰掛けているたったひとつしかなかったから、テーブルに寄りかかって僕もひとつ手に取る。 「本当、意外だな」 「……何が?」 「ルックがこんなに美味しい菓子作れるのが」 こちらとしては大歓迎だけど、とふたつ目に手を出しながらにんまり笑う子どもの顔。 そんなもん? と、別にたいした感慨もなくぱくりと口に運ぶ。舌に感じるほんのりとした甘さの度合いは、師に作る時の半分だ。 地図職人に割り振りされたこの部屋に入り浸るようになったきっかけは、インクの臭い。 粗野極まりない兵共の温床でもある砦内では滅多に嗅げない臭いに釣られるように覗いた小部屋の真ん中。大きな紙を前にし、紐やら長細い棒やらペンやらでそれに挑んでいる子どもがひとり、居た。 何をしているんだろうと覗き込めば、自分よりも小さな子どもは地図を作っている最中だった。師の蔵書に多く載っていたそれは、だけれどその過程を見るのは初めてで。 最初は言葉なんて交わさずに。それでも作成されてゆく過程が気になって度々訪れていた。 最早、定例と化したおやつの始まりは僕が持ち込んだ焼き菓子。手にしていたそれにちらりと視線を向け、さっと手を出したさまにキョトンと目を丸くすると。たったひと言、 「閲覧料」 と地図職人はのたまった。 話をし出したのも、それがきっかけだった。 職柄故か、はたまた旅から旅への慣れ故か、大人でさえ舌を巻く視察力には僕でさえ感心させられたし、無駄話さえ端的な彼との会話の応酬は、結構気に入っている。 黙々と食していると、 「今日は、来ないね」 ぽそりとした呟きが耳に届く。含んだような物言いに視線を向けると、地図職人はみっつ目に手を伸ばしているところ。 「五月蝿くなくていいけど」 そう、どこかの放蕩息子とかが訪れなきゃ、居心地的には屋上の次くらいには数えられる。 昨日も狙ったように訪れて、お茶の時間を邪魔して去った男を思い出して、我知らず不機嫌になる。 ……今日は、来てないけど。 「そういえば、今日…」 ふっと思い出したようにこっちを見た地図職人の姿に、 「あっ……」 「「軍議―――」」 唐突に、思い出して発した単語と地図職人のそれが見事に重なった。 そうだ、すっかり忘れてた。 おやつの時間は、一度たりとて忘れた事なんてないんだけど。 「すっぽかし何度目だっけ?」 「3度目、かな」 「―――4度目だ、馬鹿者」 指折り数えていたところに、刺々しい口調が投げ掛けられる。 「………」 内心で渋面を作りながら、それでも仕方なく振り返った先には。 予想に違わず、目にも鮮やかな赤い胴着と、深い緑のバンダナといういっぺん見たら忘れられない出で立ちの星の天辺にいる男が仁王立ちして居た。艶やかな黒髪と、黒檀色の瞳と、常にはきりっと結ばれた唇はそれ相応に整っているらしく、女性達の黄色い声援というのを一身に集めている―――とは、放蕩息子の言だったか。 「お前、何で軍議サボってんだよ!」 尤も、僕にしてみればこいつは、いつでもどこでも顔をあわせる度に説教をたれている。その程度の認識しかないのが現状だ。 「忘れてた」 「忘れんなよっ! つーか、お前毎日遊び歩いてばっかで!」 「あー、はいはい」 「んーだよ、その気のない返事は。仮にも兵団長なんだから、真面目にやれよ」 そんなに怒鳴ってばかりで、喉痛くないのか?って、変なとこで感心する。 「好きでなった訳じゃないけど」 「〜〜〜でも、引き受けただろ!」 「仕方なく、ね」 他に適役なんてなかったじゃないか。一応、僕が参加している以上、負け戦なんて選択肢許さないし、醜態晒すなんて事しないけどね。 「仕方なくでも何でも、受けたんなら最低限の仕事くらいやれ」 ―――最低限、だって? 「策の優劣に関わらず、目上の者を立てろなんて甘えたことをぬかす軍議なんて、出るだけ時間の無駄だから出ないだけだよ」 きっぱりと本音を告げると、軍主がぐっと詰まるのが解った。 そう、初めて出席した軍議で愚極まりない策を熱弁していた男の鼻っ柱をぐうの音も出ないほどにへし折ってやったら、逆に僕の方へ非難するかのような視線が向けられた。恐らく、彼ら自身僕と同じ愚策だと解り切ってたにも関わらず、だ。 軍師は苦笑していたが、目の前のこいつは苦虫を潰したような顔付きで、 「……立てろなんて言ってない。言葉を選べと言っただけだ」 そうのたまった。 「言葉を濁して、あの男に伝わったとでも?」 実際、なんでこんな場所に…と言えなくもない男だった。 「じゃあ、お前はそれを理由にずっと軍議には出ないつもりか」 「僕が出席しようがしまいが、決定事項に変わりはないだろ」 少なくとも、あの軍師がついている限り愚策がまかり通る事はないだろうから。 「指示された役割ならやる。軍主さまの望まれる通りにね。だから、それ以上は望むな」 「その指示が与えられる理由とかは」 「馬鹿じゃないんだから、状況と他の団の動きさえ説明されれば、そのくらい解る」 「………机上の上だけじゃ、所詮推論に過ぎないとか!」 言葉にして、意見交わしてってーのが当たり前だろ! ―――ご尤もなご意見だとは思うけどね。それを怒鳴りあいにならずに済ませられる土壌が、まだ此処にはない。そもそも、子ども扱いするんだったら、一軍を任せるなんてしなきゃいい。 実力見て納得する輩も少なくないけど、それを見てさえ納得しない愚かな奴も同じくらいいるんだから。 それら全てを知ってて、この男はそこまで強要するのか? 「……五月蠅いなぁ」 だから、つい本音が零れた。 ここまで突っ掛かってくるのは、僕の見てくれの所為か? 同じようにサボってた熊辺りには、こんなにまでは突っ掛かってないんだから。 「五月蠅いって、何だ!」 「五月蠅いから五月蠅いって言ってる。やらなきゃならない事はやってやるって、言ってるじゃないか」 いちいち説教しに来る時間があるんだったら、もっと宿星集めて回るとか、対クワンダ・ロスマン戦への準備とかしたらどうなのさ。 ―――言ったら、又何倍にもなって返ってきそうで面倒臭いから言わないけど。 別に、こいつとの舌戦で負けるなんて思ってない。今のところ、連戦連勝だし。 だけど、毎回同じような内容だと、面倒だし疲れる。 実際、やる事やってるんだから。抑え込まれたり、押し付けられたりするのは好きじゃない。 「そういう問題じゃ、」 まだ続きそうな説教にうんざりする。ふいっと視線を逸らせて見れば、小五月蝿い男の斜め後ろにどこか面白がる色を乗せた地図職人の顔。 その瞳が、実に楽しそうな笑みを見せる。 『黙らせる方法、やってみたら?』 唇と瞳が、そう告げてくる。 黙らせる方法―――って、昨日放蕩息子がクッキーを頬張りながら言ってた、アレか。 思い出したが早いか、目の前の男の胸倉をぐいっと掴んで距離を縮める。 うおっとかぐぇっとか言葉じゃない単語が耳に届いたけど、そんなこと構やしない。 「―――っいきなり、んーだって…」 がなりたて始めた男の瞳をじっと見上げる。逸らすことなく、ただじっと。 ……で、えーっと確か? 「もう、黙ってて」 囁くように言って。何事かとじっとこっちを見ている相手の唇に、自分のそれを押し付け、 「………ッ! ×&○%□!#☆ーーー?!?」 ……た。 相手の背がそれなりに高いから、背伸びをしないといけないのが、きついよねと内心考えながら、そっと離す。そのままゆっくりと身を離し、見上げた先には。 真っ赤になったり青くなったりひとり百面相をしている姿。 思い切りにっこり笑って首を傾げてやると、刹那見事に固まった軍主殿は。暫しの放心の後、口元を押さえて、椅子に扉に激突しながら部屋から出て行った。 「へぇ、効き目抜群」 それは、思っても見なかった程見事に。 「う〜ん、何かビジュアル的に凄かった」 「何、それ」 そもそも唆したの、あんたじゃないかとばかりに視線を向けると、地図職人は堪えた風もなく楽し気に声を立てて笑う。 ま、常にない慌てぶりが見られて面白くはあったけど。暫くこれをネタに遊べそうな気がする。 時間も頃合とばかりに持ち上げた紙袋の中には、持参した菓子がひとつ余ってて。流石にこれ以上食す気にもなれず、地図職人に勧めると、もう充分だと断られた。 思わず、しみじみと菓子を眺める。 何だ、だったらこれ口に押し込んでやればよかった……。食物を無駄にするなんて論外だから、いい処理にはなったろうに。 なんて事も思ってしまった訳だけど。 溜息を吐いた所で、 「シーナ来なかったからね」 言われて、ぴくりと固まってしまう。別に、あいつの分も用意していたって……訳じゃないよ。 不本意とばかりに黙り込んだ様に気付いたのか、地図職人はさらりと話題を変える。 「だけどさっきのアレ、対女の子用じゃなかったっけ?」 この察し良さが好ましい。あの男も少しは見習うといいんだ。 「そう? 別にいいんじゃない。ちゃんとあいつにも効いたし」 そう、それが肝心だ。 お陰で説教の時間が減った。物事の本質を違う視点から見てる奴と論議したって、時間の無駄だ。 「……そっか、そうだな。今度僕もやってみよ」 頷きながら真新しい紙を広げる地図職人に、 「モノは試しだからね」 邪魔になる茶器を片してやりながら助言した。 そろそろ石板前に戻らなきゃ。 やる事やっとかないと、何かを言われた時に反論も出来やしない。 「明日は、ケーキがいいな」 言葉もなく退室しようとした背後から、さも当然のように言われて。 「……材料があればね」 とだけ、返した。 ...... END
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