願うはただひとりの 君







 星に願うは、ただひとつ

 ねぇ……傍に いて?








 三日と空けずに迎えに訪れていた同盟軍一行が姿を現さなくなってから、一月になる。
 前の滞在時に、ハイランド側からの進攻が見られているとは言っていたから。恐らく、小さくない衝突が起こっているのだろう、という事くらいは予想に堅くない。
 戦が一段落ついたら、あの軍主の事だからすぐに迎えに来るだろう事は解っているんだけど。
 だけど―――。
「……逢いたいな」
 瞼裏に浮かぶのは、たったひとりの人。
 もう、彼は寝ているだろうか。
 此度の戦乱で傷付いてやしないだろうか。
 無理し過ぎて倒れてやしないだろうか…。
 そんな意味のない逡巡ばかりが思考を占める。
「………逢いたいよ、ルック」
 再び呟いて。無意識の内のそれに、苦笑が洩れる。一向に訪れない眠気を呼び込む為だけに手にしていた本を、ぱたりと閉じた。
 生家の、己の部屋でありながら、僅かな違和感を感じるのは、彼が傍に居ない所為だ。
 帳を下ろさずにいる窓に歩み寄り、夜空を窺うと、満天の星が視界を彩った。
「―――ルック」
 愛しさそのままを、その名に込めて呼べば。
「………何、」 どこか、憮然とした声音が返されて。
 咄嗟に振り向いた先には、ただただ焦がれた彼の…姿。転移を成したばかりらしいその身には、風の余波が纏いついていた。
「ルック、何で……」
 慌ててそう言うと、綺麗な翡翠が僅かに眇められた。
「何か不都合でも?」
 胸元に軽く腕まで組んで、そう言われて。
 笑みを浮かべたままに、 「そういう訳じゃなくて……逢いたいって思ってたから」
 目の前に現れた君を見て驚いただけだよ―――と、返す。
「…………馬鹿?」
 呆れたように零しながらもその頬が朱色を刷いているのを目にしては、笑みが深くなるのを止めようがない。
「それに、僕があんたに逢いに来た訳じゃない」
 赤い顔してそう言われても、それが本心だとは思えなくて、 「うん」 と頷いたところで目の前に小さなひらひらしたそれを突き出された。
「……何、これ?」
 裏返してみても、ただ何の変哲もない長細い薄手の、紙。
「短冊だって。願い事を書いて笹の木に吊るせば、願いが叶うって。あんたにも書いてもらってきてって軍主に命ぜられた」
 それが、僕がここに居る理由だよ―――と、ふんと鼻で嘲笑うかのように言われて、ある意味呆れた。こんな事でルックを使う勇気がある者なんて、ツバキくらいだろう。
 そう言えば、昼食時にグレミオが今日は七夕だって言ってたっけ。
「こんなお祭り騒ぎしてるって事は、戦は終わってるんだ?」
「三日程前にね。軍師とお祭り準備の所為で、誘いに来れないってぼやいてた」
 で、僕が借り出されたんだよ、と面倒臭そうに言う。
 でも、それがいくら天魁星命令でも、ルックの場合その命令にそれなりの正当性がないと動かない。……って事、彼自身気付いてないんだろうか。
「さっさと書いてくれない?」
 帰れないじゃないかと、仏頂面を向けられて…暫し悩む。
「だったら、書かなければルックずっとここに居るんだ?」
「………ふざけた事言ってんじゃないよ」
 目いっぱい呆れたように溜息を零す様に苦笑を漏らし、目の前に紙を翳す。
 だけれど、願いを込めるというそれは、薄いだけの何の特徴もない、ただの紙だ。
「本当に、叶うのかな」
 願いを託すそれは、たった紙切れ一枚でしかないのに。
「ただの紙に書く事で叶う願いなんて幾許のもんだろうね」
 嘲笑い吐き捨てる様を見、自嘲しているのだと、知る。
 彼は、彼の願いを…望みを絶対に口にはしない。ルックの本心からの願いは憶測するしかないけれど、それが酷く重いものだという事くらいは彼を見てれば解ってしまうから。
 だからこそ、僕の願いは告げられない。
 それを願う事自体、彼を苦しめることになるのだから。
 だけど―――願わずにはいられない。
「きっと、願うコトが大切なんだよ」
 願うという事は、叶って欲しいと思う事だ。
 普通なら、己の真に欲しいモノを知れば、それに費やす労力は惜しまないだろう。
 だからこそ、願う。
 手渡された紙をもう一度眺めて、脇の机の上に無造作に放り出す。何か言いたそうな彼の、未だ組まれたままにあった細い腕を掴んでそのまま引き寄せた。
「―――ッ、」
 抱き締めて感じる温かさに、ほうっと零れるのは安心感。
「………突然、何」
「だって……本当に、逢いたかったんだ」
 そして、触れたかった―――。
 そっと耳元に囁くと、抗う躰と胸元を押し返す腕の動きが止まった。どんなに望んだとしても、その腕が背にまわされる事は、ないけれど。
 それを出来ないのが、彼だから。
 それと知りつつ、彼を欲するのだから。
 ひとりで立ち続けていられる事を望む彼に、そうするなとは言えないから。
「ね、今日はここに居て」
「冗談ッ」
「城に戻れば、ふたりで居られないよ」
「………別、に」
「それに今日は、織姫と彦星も逢ってるし」
 帳のない窓からは、雲ひとつない星空が見て取れる。
 星の流れる川を渡っての、年に一晩だけの逢瀬。
 雨が降れば叶えられないそれは、だけれど永久の逢瀬を約束されてはいる。
「……僕等は、一年に一度しか逢ってない訳じゃないだろ」
 どこか、躊躇いがちなその台詞に。
「そりゃ、今はそうだけど。だけど、例え離れてる時間が一日でも半日でも……逢いたい気持ちっていうのは誰にも負けてない、って…そう自負してるよ?」
 抱き締めたまま顔を覗き込むようにしてそう言うと、暫く逡巡するように置かれた間の後に返されたのは、諦めを含んだ溜息。
 その溜息を拾って、そのまま吐かれた唇へと返す。そっと触れ合った唇が、ゆるりと離れてゆく―――と、見事なまでに赤く染まった顔で睨まれた。
「い、いきなりっ!」
「居てね」
 真っ赤な顔して捲くし立ててくるルックに、にっこりと満面の笑みで言えば。
「………甘やかしてやらなきゃならない義理なんて、ないんだけど」 と、じろりと険の篭もった視線と容赦ない言葉が飛んで来る。
「うん、だけど甘やかしてくれるんだよね?」
「…………仕方ないから、ね」
 不承不承といった態で、返ってくるのに。
「うん、ありがとう」 再び、彼の背に回した腕を中身ごと手繰り寄せた。


 そういえば―――。
「ねぇ、ルックは……何を願ったの?」
 腕の中に囲い込める華奢な躰を抱き締めたままに、気になった事を問う。
 と、暫くの逡巡の後に。
「願う前に叶える事が可能なくらい、つまんない事だよ」

 ……それ、って。
 今、ここに居る事が…答え?
 そう思って……いいんだよね?

「何、笑ってるのさ」 嬉しさのあまり込み上げる笑みを隠す事も出来ず。
 不本意極まりない顔で睨み付けてくる彼の、その額に。
 ひとつ、口付けを落とした。











 願うはただひとりの、君

 ずっと、変わらずに―――傍に 居て





 ねぇ、そう願っても…いい?








...... END
2004.07.03



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