ありがとう







 ただ、ありがとう…と、告げたい。
 理由なんて、たったそれだけ。






 はいっと、目の前に差し出されたそれに、ルックは軽く瞠目した。
「……何さ、これ」
 可愛らしい青いリボンで装飾された小さな袋の中身は、てのひら大の 「えっ、ケーキだけど?」 らしい。
 どうやら、あちらこちらに配って歩いているらしく、軍主ではあっても菓子屋ではない筈のツバキとその姉ナナミの抱えた籠の中は同じ物で埋まっていた。
「それくらい見れば解る。で?」
「で…って?」
 問い返しに問い返しで返され、同盟軍きっての魔法の使い手であるルックは綺麗に弧をかいた眉をぴくりと跳ね上げた。いちいち言葉にして問わなければ、意が伝わらない事なんてこのふたり相手では今更だと思いながら、仕方なく再度訊ねる。
「……何でこんなもの」
「あぁ、それお祝いだから?」
「……お祝い?」
「うん、今日ナナミの誕生日だから」
 城の皆に配って歩いてるんだよ〜と、実にのどかな返答が寄越された。
「本当は、城を上げてどーんとパーティしたかったんだけど、シュウさんが駄目だって言うから?」
 そう言って、再び「はい」っと胸元に押し付けられるケーキをついつい受け取ってしまう。
「………誕生日って、人にものを配って歩く日だっけ?」
 包装だけは綺麗なそれに視線を落として問うと、ツバキは違う違うと胸元で手を振った。
「これはね―――」





 転移に要した風を霧散させながら見回した先。
 見慣れた部屋の真中で安楽椅子に腰掛け、それまで読んでいたらしい本を閉じている尋ね人の姿があった。
「いらっしゃい」
 真っ直ぐに向けられている黒曜石を思わせる瞳にはさして驚いた風もなく、いつもと変わらない柔らかな笑みで迎えられた。嬉しいとか、胸が跳ねるとかいう感情以前に、沸き立つのは癪に障るという何ともいえない類のものだ。
 挨拶を返す気にもなれずに、手にしていたモノを 「…これ」 と彼の目の前に突き出す。あまりに唐突で脈絡もない所作に、サクラ・マクドールは目を丸くした。
 そして、そのままルックの顔を見上げる。それに促されるように、ルックは 「ナナミから」 と、端的に告げた。
「あんたに『ありがとう』って」
「は?」
 ますます意味が解らなくなったんだろうサクラは、恐々と受け取りながらも眉を顰める。それは、贈られた物体に寄せる恐怖か、それとも添えられた言葉への違和感故か。
 どちらにしろ、滅多に見られない表情だった。
「青いリボンはハイ・ヨーが作ったヤツだって言ってたから、食べても大丈夫だと思うけど」
 ナナミがケーキを贈る次の標的に向かった後に、どうしたものかと思案に明け暮れているルックへ、ツバキは笑って言った。
『だから、それは大丈夫v で、これサクラさんへの分。今日中に届けておいてね』
『………今度逢った時でいいんじゃないの』
『駄目。今日っていう日に、意味があるんだから! 2、3日中にお伺いしますって言付けもよろしくね』
 面倒臭さを隠しもしなかったにも関わらず、天魁星命令などと言われなくて。だから、逆に断れなくなったのも事実だった。
「でも、何で『ありがとう』?」
「今日、彼女の誕生日らしいから。彼女が言うには、自分の存在を許容してくれてることへの感謝の気持ちを込めてるらしいけど」
 そう言うと、サクラは笑みを浮かべて。
「じゃあ、受け取らない訳にはいかないね」
 手にしていた菓子を、そっと傍の机に置く。ナナミの台詞をすんなり納得したらしい様に、僅か疑問が浮かんだ。
「許容してくれてるって、有り難いもの?」
「ルック?」
「言葉の意味としては解るけど、どうして感謝できるのかが解らない」
 許容されるされないに関わらず、その場に今、彼女が在るって事は違え様もない事実なんだし。否定しようもない事なのに。
「存在してるって事実を、受け入れてもらえないって苦しいよね。誰だって、否定されたら辛いよ?」
「…………よく、解らない」
 そう、許容と拒絶に、どれほどの違いがあるのかが解らない。
 抑揚のない声音でそう告げれば、サクラは微かに笑みを解き。そして、伸ばせば届く距離にあった腕をそっと捕らえてくる。その手が腕を滑り、手首を辿り、てのひらへと行き着くと、そのままぎゅっと指先ごと握り締められた。
 いつもならそんな事、大人しく許してやらないのだけれど。
 解かれた笑みが気になってしまい、そのまま甘受した。
「同じ在るなら、それがルックで良かったって思われたくはない?」
「……さぁ?」
 首を傾げたままに返すと、握られたままの指先から、サクラがぴくりと反応したのを感じた。
 そう思うのが普通なのだと言われれば、そうなんだと返す事しか出来ない。他人のそれに限らず、己の感情の機微にさえ疎いのは言われずとも知り尽くしていた。
 だからと言って、それについて何かを思うなんて事はないのだけど。
 他と違うのなんて僕にとっては当り前で。
 そんな些細な事にこだわる必要性も感じなかったから。
 だけど、サクラのどこか痛ましげな瞳は……あまり見たくない、気がする。
「でも……今、僕の前にいるのはあんただろ?」
 そうでなきゃ、手なんて握らせてやしないんだから。
 存在にすれば同じ”在る”でも、それを許せるのはただひとりしか居やしない。こいつだけが僕にとっての唯一の、例外だ。
 そう告げた時の、サクラの笑みは大輪の花が綻ぶようで。
 跳ねる胸ととんでもなく恥かしいことを口にしてしまった羞恥に、咄嗟に誤魔化すように視線を逸らせてしまう。
 逸らした視線は、窓の外。
 穏やかに降り注ぐ日差しに、ふっと目を細めて。
 どこか既視感を、覚えた。
 その既視感の告げるまま、 「あんたは……春だったよね」 ぽそりと呟いた。
「えっ?」
 不思議そうに丸く見張られる黒曜石に視線を戻しながら、誕生日―――と、言うと 「覚えててくれたんだ」 いっそ綺麗なまでに微笑まれた。
 ……その笑みに、記憶の淵に埋没させていた半年前のその日の事を思い出す。
「あんた、誕生日だから祝いくれって! 散々、人の事翻弄してくれたじゃないか!」
 その時の事を思い出すだけで、居た堪れなくなる程の羞恥を覚える。
「今度は絶対、あんなのゴメンだからね!」
「僕は凄く幸せだったのに?」
 この笑顔が厄介極まりない、けど―――。二度とこいつの口車に乗せられる気なんてなかったから、口を噤む事で答えと成した。
 それまで浮かんでいた微笑みに苦みが混じり、そしてふっと気付いたように 「そう言えば…ルックの誕生日は、いつ?」
 そう問われて、息が詰まる。
「………そんなの」
 生まれ出でた経過なら、知ってる。
 この身は、器としてのみ望まれた。
 その意味も、知っている。
 だけれど……。
「知らない、よ」
 そう、いつ生まれ出でたのかは知らなかった。何をもって生と成すのかさえ、曖昧なままなのに。それに……そんな事、知ってどうなる。紛い物である事に変わりないんだから、知っても無意味だ。
 だけれど、そんな思いを言葉にすることなく飲み込んだ。
 そんな僕の態度を認めながらも、サクラはそれについては何も問うては来ない。全てを知りたがるこいつは、だけれどそうして欲しくない場所までは立ち入ろうとはしない。
「ね、だったら……決めていい?」
「は?」
 何を―――との疑問そのままの視線を向ける。と、その先には何が嬉しいのか笑顔満面のサクラ。
「ルックの誕生日」
「………別に、要らないって言ってる」
 そんなものが欲しい訳じゃない。自分にとって、それは呪わしいばかりのものでしか、ないのだから。
「うん、解ってる。だけど、プレゼントくれる気があるんなら」
 その代わりに、その決定権をくれる?
「そんなもの…」
 僕には、 「無意味だよ」。
 そう言うと、サクラはそんな事はないと尚も笑う。
「祝える、から」
「祝って、なんて…」
 思わず否定しかけた、刹那。握り締めた拳をそっと持ち上げられ。そして、拳の先にそっと唇が落ちた。思わず手を引きかけるも、それは柔らかな笑みひとつで留められる。
「僕は感謝している。ルックに出逢えた事、そして今こうして傍に居られる事を」
 そうあれる事を、祝いたいんだよ。
 ―――至極、穏やかに。優しい黒曜石の瞳に、そう言われて。
 咄嗟に言葉が紡げない。
「今の僕がここにこうして在れるのは、ルックのお陰だから。それがルックであった事に、感謝してる」
 真摯なまでの黒曜石に告げられて、胸を湧き上がるのは歓喜の咆哮。
 これが、許容されてる―――って事?




 違うよ?
 と、ナナミが笑って言った。
『感謝してる思いを込めて配ってるの。私の存在を知ってくれて、認めてくれて、受け入れてくれて、ありがとうって』
 ―――だから、私は私のまま今ここに居られるんだよ?って。
『それって、一番幸せな事だもん』
 咄嗟に言葉が返せなかったのは、あまりに突拍子もない台詞の所為ばかりではない。そう言っていたナナミの笑顔が、本当に嬉しそうだったからだ。
 その時の言葉の意味は解っても、理解なんて全く出来ずにいたけれど。今なら……相槌くらいは打てるかも知れない、と思う。




「………そう言い切るって事は、候補でもある訳」
 逆らう以前に、こいつが何を持ってその日を決めるのかが、知りたい気がした。
「うん、ルックがいいって言ってくれるなら?」
「………」
 応と答えない限りその日を教える気がないのだろう事は、どこか確信に満ちた微笑で知れる。
 まるで僕の答えを知り得ているかのような態度に、僅かな反発心は湧いたけど。相手がこいつである限り、どう足掻いても軽くいなされてしまうのが解りきってて。
 そう、解りきっているんだから。
 ひとつ溜息で己にそう言い聞かせてから、 「納得いかない日だったら、却下だからね」 と一応の牽制を敷いておく。
 だけれどサクラは、それにはにっこりと笑みを深めて頷いた。
「うん。それは多分大丈夫だと思うよ?」
「………」
 どこからこんな自信が生まれてくるんだろう。
 純粋な疑問を感じつつ、首を傾げたままに目の前の男の口が開かれるのを待つ。
「僕とルックが出会った日。僕が、ルックを知った日」
 それは―――。
 新緑の映える春の一日だった。目の覚めるような、真っ赤な胴着。何も知らずにいられた、子供のままの無邪気な笑顔。
 それらを視界に収め、僕の世界が一変した、日。
「空が、凄く青くて綺麗だった」
 自然、口端が笑みを形作る。
「あぁ、そうだね」
 きっと、それが自分にとって一番正しい日だ。
 だけれど。
「納得してくれた?」
 あまりに当然のように言われると……湧き上がってくるのが対抗心地味たものなのが、自分でも不思議なのだけど。
「ま、あんたにしては…ね」
 きっとこれ以上的確な日なんてないとは思うものの。
 それでも、だ。
 素直に頷いて、そうだねなんて……言えない天邪鬼である自覚は然りとある。それは、僕以上に目の前のこいつも知っていて。
「うん。僕にとって一番大事な日だから」
 僕の世界が始まった日だ―――なんのてらいもなくそう言う様に、何故かこちらの頬が火照ってくる。
 これ以上もなく歓喜する胸の内に。
 許容されているという、昂揚感が占める。
 何となく、いいだけ毒されている気がしなくもないけれど。
「いいよ、それで手を打とう」
 そう言ってしまうのも、その日が一番相応しいと思わずには要られないから。
 一緒に祝おうね、と言われ。
「暇だったらね」
 そう、ひと言返した。






 刻に忘れられた僕らには、誕生日なんて関係ないけれど。

 だけど、その日があるから今の僕らがあるのだと―――そう、祝おう。










−了−
2004.11.09



『サクラ坊さま』にて、『甘い』『2軸』の話になっておりましたでしょうか…? ちょっと…切ない(痛い?)が混じってる気がしなくもないですが(汗)。当サイトの坊ルクにおける基本がそうらしいので、純粋に甘い話を求められてましたら…すみません。

何はともあれ、三周年ありがとうございましたv
少しでもお気に召して頂けたら、幸いです。


※ 尚、坊さまの誕生日の件については、当方一切関与いたしておりません。



月ノ郷 杜/拝



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