柔らかい殻 



 そこから、突き破って出て来い―――ずっと、そう囁かれ続けてた気がした。


 だけど、そこは凄く居心地良くて。
 温かくてふわふわしてて、出てく気になんてなれなかった。
「出て来ないと、アイツもらっちゃうからな」
 そう囁かれ、アイツって単語に我知らず身体がピクリと反応する。

 ………アイツって、何だっけ。

 それすらも解らないのに。
「深山が声掛けたら一発だと思うんだけど」

 ………ミ、ヤマ?

「……っ、出来ないよ」
 身体の奥まで響いてくるようなその声音が、心地いい。
「朝倉は怒ってなんかないって」
「………知ってるよ。こいつは人を庇って車に轢かれるような馬鹿な奴だし! 怒ってないのなんて知ってる。だけど…!」
 そう言って一端、言葉が切れる。くぐもったような声音が、どこか震えてると思うのは気の所為?

 ……ミヤマのこんな声、聞きたくないのに。

「……こいつもう、走れないじゃないかっ」

 ………走れない? 誰が? 俺、が?

「深山、こんなとこで」
「じゃあ、誰がこいつに言ってやるんだよ! もう、お前は走れないんだって。もう、選手生命終わったんだって。それって、俺の役目だろ? こいつは俺を庇ったんだから……庇って片足なくしたんだから」

 ………なくした? 足を。だから―――。

「……はし、れないのか」
「朝倉!」
「眼、覚めたのか…」
 眼を開くと、そこはカーテンも壁も天井も真っ白の室内。
 俺の顔を凝視してるのは、同じ陸上部の佐藤と―――。
「深山……」
 深山の綺麗に整った顔を見て、そして唐突に思い出す。
 ………距離を置こうって、言われたんだっけ。
 そして、しつこく理由を尋ねる俺を振り切ろうとして……あの事故にあった。
「先生、呼んでくるから!」
 言い置いて、佐藤は病室を駆け出して行った。
 直に呼びに行かなくても、ナースコールっていうのがあるって知らないのか…。それとも、気を利かせたのか。
 静かな白い病室で、深山の瞳を直視したまま
「もう、俺走れないんだな」
 そう掠れた声で呟くと、深山は綺麗な面を歪めて唇を噛んだ。
「深、山…泣くなよ」
「っさ倉!」
「走れなくても、足無くなっても、それ以上にお前が泣いてるのが痛いよ」
 そう言ったら、きつい眼差しで睨み付けられた。
「ずっと、馬鹿は嫌いだって言ってきたよな! どうして庇ったんだよっ、どうして、どうしてっ!」
 ………だって。
「そしたら、深山俺から離れられなくなるから」
「―――っ!」
「足でも腕でも、何なくしてもよかった。深山さえ側に居てくれたら」
 ………それでよかった。
「そんな事っ!」
 真っ直ぐな瞳が、怒りを孕んで俺を見据える。
 あぁ、俺の大好きな顔だ。
「ーんな事しなくてもッ! 側にならずっと居てやったんだ。ただ、お前が……あまりに俺に現をぬかしてて、部活ですらサボるようになってたから」
 言葉尻が小さく掠れてゆく。本当は笑顔が一番好きなんだけど、勝気な瞳が涙で潤んでるのはその次くらいに好きだと告げたら……余計怒られるかな。
「だから、頭冷やさせようとして距離置こう…って言ったに過ぎなかったんだよ!」
 ………あぁ、何だ。
「そうだったんだ」
「どうすんだよ、これから……。お前、他に取り得ないのに。推薦も取り消されちゃうんだぞ」
 ………そんな事。
「どうせ、行きたい学校じゃなかったし……いいよ」
 ………だって、あの学校に行ったら、深山は側には居なかった。
「そんな…っ」
「いいんだよ、だって深山が居てくれるから」
 ………それだけで、いい。なくしたモノで縛り付けられるなら…それでもいい。
「…馬鹿、」
 どこか途方に暮れた顔が、それでも綺麗で…。
「うん、馬鹿だから。側に居て」
 ………ずっと。
「仕方ないだろ、お前馬鹿だから…ずっと居てやるよ」
 涙声で囁かれた台詞に、漸く安堵する。
 ………あぁ、俺は又やわらかい殻に包まれる。



 眼を覚ませば、居なくなると思ってしまったから。
 そこから出て行きたくはなくて。
 優しく温かい殻に包まっていた。

 それは、柔らかい殻だった。
 例えば、涙ひとつで壊れてしまうような。

 だけど、強固な殻だった。
 唯一の人でないと壊せない程の。


 心を護る殻だったんだ。

 だけど、俺にはもう必要ない。
 俺を包み込む柔らかい殻は、ここにある。




<END>


 過去、100題に挑戦仕掛けて頓挫したブツ。
 色んな意味で凄い制作欲の湧く題目だと思う。……出来上がりこんなだけど?