きみは 



 桜の舞い散る道端で。
 それは、無防備に白い喉許を晒し、今を盛りと咲き誇る桜の木を見上げていた。
 静かに佇み仰のく小さな姿は、厳かかつ神聖にも似て、視線を惹き付ける。そして、その様は泣きたくなるほどに胸を締め付ける。
 哀しいまでの儚さはこの世のものではないかのようで。ちらほらと散る花弁も相まって、桜の精であるといわれれば頷けてしまう。
 道行く人々の視線を捕らえて離さないその姿。
 どこかで見知ったことがあるような、不思議な感覚。

 鼓動がひとつ、とくんと震える。

 華奢な肩口をわずか掠める位置でその毛先が柔らかな風に煽られて、さらさらと揺れる。
 その桜の精の視線が、ゆるりと。
 しかし、確実に。
 弥(わたる)を射竦めた。
 途端に、再び鼓動がトクンと跳ねる。
 それは、その儚い姿形からは想像も付かない程の、強い意志を秘めた瞳。


 ……きみは、誰?


 言葉なくそう問う、と。強い眼差しが微かに落胆の色をのせた。
 胸が―――ちくりと痛む。
 よく見知ったものの感があるのに、それでもこんな儚い幻のように綺麗な存在は知らない、と思う自分が確かに居て。
 それなのに。
 その幻は、弥の側にゆっくりと歩み寄ってくる。
 又、鼓動がひとつ とくん と大きく振れる。
 間近で真っ直ぐに見上げてくる、琥珀色の綺麗な瞳。
「ねぇ、きみは誰?」
「ーーーッ、」
 耳に届いたというよりは、直接脳に触れたかのようなその声音に弥の鼓動が又ひとつ、振れる。
「きみは……誰?」
 返さない答えは、再び彼の問いを引き出す。
「……僕は…弥。朝倉弥」
「そう」
「―――きみは?」
「……コトハだよ」

 再び、振れる鼓動。

 何故……?
 知らない名前。
 知らない少年。
 知らない、筈なのに?
 胸を過ぎる、溢れるかの如く湧く愛しさは、何? どうして?

 僅かばかり低い位置に窺えるコトハの長い睫が、ゆっくりを伏せられる。そして、
「…………きみは、違うんだね」
 そう、小さく囁くように呟いた。
「……ちがう?」
「波動が、似ていたから。あの人……かと思って」
「あの人?」
 コトハの瞳は、ここには居ない誰かを求めてた。
 躊躇いがちに聴くと。コトハはひとつこくんと頷いた。
「………捜してる。もう、あの人が居なくなって2度目の桜の季節だ」
「……」
 刹那、強い瞳が弥に向けられる。細い肩も白く繊細な面も、小さなその姿も、生命を感じさせない程に儚いのに。
 その惹き込まれそうに強い琥珀の瞳だけが、いっそ見事なまでにコトハに生を与えていた。
「―――テイ、って言うんだ」
 コトハの唇から告げられたその名に、 とくん と鼓動が跳ねる。
 弥には、その理由が解らなかった。聞いたことのないものの筈なのに、その名は確かに微かに自分の中の何かに触れる。
 その訳の解らない感覚。
 微妙な違和感。

 ―――苛つく。

 咀嚼しきれず持て余してしまうそれに、弥は自分にそういう感覚を沸き起こさせるコトハから視線を外した。
 コトハはそんな弥の様子に、再び静かに睫を伏せた。
「……ここに」
「えっ?」
 その小さな呟きに、弥はふっとコトハに視線を戻す。
「明日もここに居るよ? だから」
 そう言って見上げてくる琥珀の瞳。それは、強くて…だけれど、どこか途方にくれたように揺れる。

 ―――待ってる。

 その瞳から伝えられる意思を、はっきりと受け取った。
「……………うん」
 躊躇いがちに頷く弥に、コトハは微かに笑みを浮かべる。
 寂しそうな…それでいてホッとした様な笑みに、弥の鼓動が又ひとつ とくんと振れる。

 ……あぁ、又こんな顔させちまった。

 どこかから、沸き出でるその想い。
 そして、それを自然と受けれてしまった自分に、弥自身が一番驚いた。

 ―――なっ、何で………。

「じ、じゃあ…っ!」
 もやもやしたそれを隠す為に慌てて踵を返すと、 「……又ね、」 囁くように耳に届く声。
 あまりにも寂しそうに響いたその声音に、そっと背後を振り返って見る。
 だけれど………。
 その場にはもう誰も居なくて。

 ただただ、満開の桜がちらほらとその淡い花弁を散らしているばかりだった。







「なぁなぁ、朝倉! 昨日話してた美少女、誰!?」
 朝、学校の門をくぐった弥にいの一番に掛けられた言葉がそれだった。
「昨日?」
 弥が訝しげに聞き返すと、尋ねてきた学友は、
「ほら、お堀の桜並木で! 何か、人間離れした美少女?」
 気になってしょうがないという態を隠しもせずに捲くし立ててくる。
「あ…あぁ、あの子」
 彼にも見えたというのなら、やはりあの子はちゃんと存在していたのだろう。
 振り返ったら居なかった…という有り得ない筈の状況に、てっきりあれは自分が見た白昼夢なのだと思っていた。否、思い込もうとしていた。
 ―――正直。
 あの子の存在、言葉、表情……そんなものに触れる度、強く振れる鼓動に自身怯えていた。
 それに……あれは確かにこの世のものではないと感じるくらいに、儚く美しかったから。
 だから、白昼夢だと結論付けると、案外すんなりと自分の中ではまってしまったのだ。ひと時の、淡く儚い幻だった、と。だったらそれでもいい、と思っていた。
「昨日の夜からすっげーメール回っててさ、今朝の朝倉って有名人だぜ? 謎の美少女と桜の下でデート!って」
「デ…デートってなぁ」
 苦笑するしかない。あんなものをデートというのなら、結構デートってやつを自分では知らないうちにしてたんだな、と思えたからだ。
「それに、期待裏切って悪いけど、あの子男の子だよ?」
「…………………………………はっ?」
 嘘だろーーーーーーー! 詐欺だよっっっ!!!
 背後で咆える学友に、 「じゃ、後で」 と言い置いて校舎に向かう。
 確かに、あの子が男の子だと本人に確認したわけではないけど。
 弥は確信していた。
 例えどんなに綺麗だろうと、華奢だろうと、あの瞳が、そんな外見を押さえ込んでしまうほどに、コトハを男だと知らしめていた。
「―――夢、じゃ…なかったんだ」
 夢であって欲しいと思っていたわけではないが。もう一度会いたいと思う感情と同じくらい、あの瞳を、存在を恐れる自分を弥は知っていたから。

「おっす、弥!」
 校舎に入ると、背後から小さく肩を叩かれた。
「ーッ! っあぁ、隆行…おはよ」
 一端、大きく息を喘がせた弥に、彼よりは頭半分程大きな体躯の男は 「あっ!」 と、驚いたように肩に置いた手を慌てて引いた。
「あっ、ごめん! 弥……大丈夫か?」
 微かに腰を折って心配そうに顔を覗き込んでくるその男の様子に、弥は逆に慌てた。
「だ、大丈夫! 今は、考え事してたからびっくりしただけで」
「だけど」
「本当に、大丈夫だ。っていうか、心配掛けて悪いな」
「……なら、いいけど―――調子いいんだろ、最近?」
「まぁ、走れるくらいには?」
「だったら、いいけど……」
 ほっとした様に息を吐く隆行に、弥は穏やかに微笑んだ。
 自分が2年前に大掛かりな手術をしたという事を知っているのは、親類以外ではごく親しい間柄の数人に限られていた。この隆行も、その内のひとりだ。
「まだ、親父のとこ通ってるんだろ?」
 隆行の台詞に、弥の笑みが苦笑に変わる。
 まだこの親子は仲悪いのか。診療を受けるのさえ2年待ちといわれている心臓病の第一人者である隆行の父の病院に、弥が親族のコネで紹介された時期には、もう既にこの親子はどうやったらこんなに拗れるのかと頭を捻る程険悪な状態だった。
「中間先生も、『隆行とは最近会ってるかね』って聞いてたけど?」
 お互い本当に嫌ってるって訳じゃない事は知っている。ただ、互いが素直じゃなくて、依怙地なだけだ。どちらかが折れれば、修復は容易いだろうと思うのに。
 弥がそう言うと、 「あの、くそ親父」 仏頂面で隆行は毒づいた。
「たまには帰ってあげればいいのに」
「冗談!」
 さもあらんという様に肩を竦める隆行に、大きく溜め息を吐いて見せた。
「それはそうと、お前、彼女出来たんだってっ?」
 その隆行の如何にも興味津々といった態度に、弥は今度は呆れた様に言葉を返す。
「……お前たち、どんだけ暇なんだ?」







 ――――――いた。

 桜の花は満開。
 その桜の大木の下で、今日も夢のような儚さでコトハはじっと桜を見上げていた。
 今を爛漫と咲き誇る桜の花でさえ霞んでしまいそうな、一際目を惹くその姿。
 こんなに綺麗なモノがあるんだ。
 まるで現実感の伴わない心許ないような様さえ見受けられる。
 だけど、コトハが生あるものだということは、こちらに向けられたその瞳の強さで解る。
「……来て、くれたんだ」
「約束したから」
「律儀なんだ」
 微かに口許を緩めるコトハ。
「テイは全然そういうとこ、駄目だったけど」
「………逢いたいの?」
 自分で訊ねておきながら、えらく愚問だと思った。
 逢いたくなきゃ、捜さないだろ。
 ―――ひとりで? 2年間も。
 あてどなく誰かを求めて彷徨うには、永過ぎる時間だ。
「そうだね、逢って殴ってやりたいよ」
 そう言いながら微かに笑みを浮かべる。だけれど、それは笑みというよりは自嘲に近いような表情で。
「………捜さなくていい、の?」
 彼のことを話す時、淋しそうな表情を見せるから。逢いたいと思っているだろうことは、訊くまでもなく知れる。そんなことは、昨日逢ったばかりの自分でさえ解るのに。
 どうして今、こんな所で自分となんて話してるのだろう。
「ん、そうだね」
 コトハの呟きを攫うように、強い風が桜の並木を吹き抜ける。
 そして、咲き誇る桜の花弁を落とし、アスファルトの上に落ちていた変色しかけた花弁をも巻き上げて。
「……まだ、駄目なんだ。刻が、満ちてないから」
「とき……?」
 問い返すと、小さく頷く。
「だから、待ってる」
 じっと見上げてくる……琥珀色の瞳。魅入られて、コトハの言葉の意味さえ考えられなくなってくる。
「明日は……満月だね」
 コトハの言に誘われるように見上げた先には、まだ昼間だというのに天空に浮かぶ月。薄く白いその形状は、限りなく丸に近く。
 明日の夜には、コトハの言う通り見事な満月を見せるだろう。
「そう、だね」
 弥はその月に目を奪われたまま、ぼんやりと同意する。
「明日………ふたりで満月、見られる?」
 明日も会いたい―――そんな意味合いを含めて、ひそりとコトハに聞く。
「……きみが、そう望むなら」
 返された答えに、どこかほっとする。
 自分は、彼に何を求めて居るのだろう……ふっとそんな事を思いもしたけれど。
 ただ、ひたすらに会いたいと。
 その思いばかりが胸を占めるから。

 そう言えば、と。
 コトハは冷たい月の様だ―――と弥は思った。







 次に逢ったのは……真夜中の桜の木の下。
 微かに発光しているかのような桜の花と、月に照らされて生を感じさせないコトハはそのままで一枚の絵の如く、弥は暫し目を奪われた。
「……弥?」
 そんな弥に、コトハは訝しげな表情を見せる。
「………待った?」
 そう問うと、コトハはひとつこくんと頷いた。
「待ったよ……ずっと、この日を待ってた」
「……え?」
「やっと、テイを取り戻せる。この日を」
 刻が満ちた―――と、コトハは悠然と微笑む。
 一際目を惹く、その微笑。
 奪われる視線。
 コトハと出会って、初めて彼の笑みを見た事に、今更ながらに気付く。
「…………コトハ?」
「今なら、月の力で最高の力を引き出せる今なら解る。―――きみの中にテイは居る」
 冷たい声音と強い視線。
 どくん と大きく震える鼓動。
「……な、に…言って」
「どうやって、テイの心臓をその身に取り込んだの?」
「ーーー!?」

 ど くんっ

 弥は大きく目を見開き、絶句する。


 本来なら、移植するドナーの情報は一切明かされない。
 されど、弥は父と友人の父親である主治医の会話を訊いた。
 若い男だったと、中間医師は言っていた。
 ひき逃げ事故に遭ったのか、道路の脇に血塗れで横たわっていたのを見つけたのは、中間で。
 既にその時点で心肺停止状態だったのだと。
 名も知らないドナー。その名無しのドナーの意を汲まない違法な移植。
 父と中間の間にどんな約束が交わされていたのか、解らない。どれ程の金額が動いたのかも、弥は知らない。
 だけれど、移植の機会は巡ってきた。
 それは、恐らく二度目はないであろうチャンスだった。
 成人するまではもたないと、物心ついた頃から言われ続けてきた弥が、その幸運を放棄することはなかった。


 咄嗟、無意識のうちに胸許を庇った掌に、早鐘を打ち始めた鼓動が伝わってくる。
 彼は……コトハは一体何と言ったのだろう。
 自分の胸に走る傷痕。
 それを他人に見せた事なんてないのに。
 コトハは何故、何を知っている。
「まぁ、いいけど。―――返してもらうから」
「……えっ?」
 淡々と告げてくる彼の、その言葉の意味が解らない。
 返してもらう……? 何を?
「あぁ、心配しなくてもいいよ。痛くない様にしてあげるから」
 そう言うなり。
 コトハのすんなりと白い左手が、すっと弥へと伸ばされた。身構える間もなく、胸許を抑えていた弥の手の甲を貫ぬき、薄い胸板の更に奥へ、奥へ。
 折れそうに細い手首が、その位置ですっぱりと切り取られたかの様に弥の手の甲で消えていた。
「――――――――――!!!」
 内臓を掻き回される感覚だけが伝わってきて、弥は声もなく叫んだ。
 やがて、何かを探し当てたらしいその手の動きがぴたりと、ある一点で止まる。
 口許に鮮やかな笑みを刷いて、コトハは琥珀の目を細めた。

 どくんっ!

 彼の手の内に納まったソレが一度、強い鼓動を打つ。
 確かに、痛みは微塵も感じない。
 言いようのない違和感が身体中を突き抜けるばかりで。
「ーッ」
 呼気が、抑えようもなく乱れる。
 恐怖が全身を覆い尽くす。
 鼓動が、ひとつどくり―――と。
「大丈夫、何も変わらない」
 吐息の如く囁く声音は柔らかなのに、意味合いを考える暇を与えない。
 音もなくゆっくりと、引き抜かれてゆくコトハの手首、手、指先。
 そして…その掌には、紅く蠢く肉塊。それは、正しく今のこの瞬間まで、自分を生かしていた生命の動力源。
 滴る血は、送り出す為のもの?
 コトハの掌の中でさえ、強く鼓動を刻む………心臓。
 咄嗟に胸許を撫で擦った弥の手に。しかし、そこが傷付いた痕跡など微塵もない。愕然とする弥に、だけれどコトハの視線は向けられない。
 それどころか、弥のそんな所作を気にかけた風もなく、自分の掌の上でしっかりと鼓動を刻む物体に向かって、静かに呟く。
「起きなよ、テイ」
 呼びかけに答えるように、小さく震える肉塊。
「何時までも、寝てないで」
 琥珀のその瞳が、愛しそうな色を乗せてソレに向けられる。
 いつもの憂いをおびたものとは違う、ただただ優しいその瞳。弥には向けられる事などなかった……その色。
「テイ」
 幾分、強みを増したコトハのその声に、再び大きく鼓動を刻むその……心臓。
「起きなよ、テイ」

 どくんっ

 先程よりも大きく。

 どくんっっ

 強く、確かにその鼓動は刻まれて―――。
「テイ、」
 コトハのそれは、どこか叱咤する響きを含んで。
 次の瞬間。
 コトハの掌の肉塊から、一斉に無数の触手に似た細い糸状のものがしゅるしゅると生え産まれ出る。
 そして、何本も重なり合い、結合し、あるものは丸まり、又あるものは造られゆくその形に這うように色味を変え、そうして………。
 コトハの手を離れた心臓を核として、あるものの姿を形造る。
「―――っ、な…………んで、」
 それは、有り得ない筈の光景。
 目にしてさえも、認める事など到底出来ない現実……?

「…………おかえり、テイ」

 コトハが目を細めて見上げるその先には、確かに見紛う事なき人間の姿。
 目の前の、コトハの小さな身体などとは比べ物にならないその体躯。
 肩口に掛かる黒い髪に、紅味を帯びた暗い瞳。その男の面は、壮絶なまでに美しく妖艶だった。

「……よく寝た」

 背筋を撫で上げられるような声音。
 だったが、呟かれた台詞に、コトハは眦をぴくりと上げた。
「そう、そのお陰で僕がテイの探索に刈り出されたんだよっ」
 剣呑に言い放ち、ベンチに掛けてあった黒い大きなコートを、自身がテイと呼ぶ男に投げ付ける。
「そりゃー、こんなんなってたら、コトハにしか捜し出せないからなぁ」
 暢気に言う男を、コトハは苛立ちそのままにきっと睨み付けた。
 それでも飄々とした態度を崩しもしないテイの相手をするのにいい加減疲れたのか、コトハは弥に視線を向けた。
 どくん、とない筈の鼓動が刻まれた錯覚に陥る。
 今は、ないソレ。
 目の前の男を創る核となった、心の肉塊。
「生きたい?」
 唐突な台詞と共に、見上げてくる琥珀の瞳を弥はじっと見つめた。
「……生きる?」
 僕には、もう時を刻む核がないのに?
「もうすぐ弥は死ぬよ。きみの身体から、テイを引き剥がしたから」
「そうだろうね」
 今、この瞬間だって、こうしてコトハと話せてるのが不思議なくらいだから。
「弥が望むなら、きみの血肉で欠けた臓器でも何でも起こしてあげる。僕になら出来るよ? ねぇ、……きみは生きたい?」
「どう、して……?」
 どうしてそんな事が出来る?
「さぁ、どうしてだろうね?」
 コトハは、静かに綺麗に微笑む。
 生きたいかどうかなんて……愚問だ。
 否というのなら、何の為に2年前、違法と知りながらも移植を受けたのか。全ては、己自身が望んだからに他ならない。
 だけど―――。
「生きてたら……コトハと又逢える?」
「………それは、きっとないよ」
 いっそきっぱりと綺麗にそう告げられて。
「……なら、もういいよ」 自分で答えて、驚いた。
「弥?」
「コトハと逢えないなら……もう、何も要らない」
 自分の望みなんて、コトハと出会った時から知ってた。
 それは、本当は自分の望みじゃなくて、僕を生かし続けていたテイのものだったのかもしれないけど……それでも、僕はコトハと出会ってしまったから。
 理を捻じ曲げてまで生きたいと望んだのは、何も知らず何も持たず何も執着することもなく、何も得ないままにこの世を去らなければならない自分が、ただ哀しかったからに過ぎない。
 だけど、もう、僕は知ったから。
「…………いいの?」
 そう尋ねてくる瞳はやっぱり綺麗で……この瞳を見る事が出来なくなるなら、もう何も見れなくたって 「いいよ」 。
 答えて笑った。
 静かに見上げてきていたコトハの瞳が、ひとつ瞬く。
 そして、唐突に―――胸許を引き寄せられて触れ合う、唇。
 一瞬触れるだけのそれは、熱を伝える間もなく離れていった。

「……さようなら、弥」

 綺麗な綺麗な幻影は、傍に佇んでいる憮然とした表情のテイの腕を取ると、何も返す暇さえない内に、ふっと掻き消えていた。
「…………コト、ハ?」
 それは、刹那の幻の如く。
 最後に一瞬、触れ合った唇と同じ瞬く間に。

 後には―――。
 風に煽られて舞い散る桜が、あたり一面に吹き荒れているだけだった。












 あれから、1週間が経とうとしている。
 なのに、何故か……僕は未だ生きている。
 昨日、検査の為に行った病院でも、何の問題もないと言われた。
 コトハが創ったのか…も知れない。
 その力があると、彼は言っていたから。
 だけど。
 要らない、と言ったのに。
 逢えないのなら要らない―――って、そう言ったのに。


 それとも。
 あれは、全て幻だった?
 桜の見せた……願望?
 桜が見た、夢?

 それでも、僕は……きみを捜してる。





 ねぇ、きみは今何処に或る?

 ちゃんと、ここに居たよね。




<END>


 不思議系を目指してコケました。
 コトハサイドの話(というかそちらの世界の話)は色々あるので、書けたら書きたい…です。←あくまで希望
 雰囲気的には全く違うものになりますが。