ただ今、補佐官見習い中 



 穏やかな午後の昼下がり。
 タリア王国歴代随一の名宰相と謳われている雪代殿の補佐官見習いになって、早ふた月。エリート街道をまっしぐらに突き進む僕の毎日は、充実している。
 諸々の雑事に追われながらも、それさえも遣り甲斐のある仕事の一環として感じている分、やたらと機嫌がいい……自覚はある。
 ただひとつ、日常茶飯事的に目にしている、とある問題を除いては。
「ーーーッ、ぁ」
「……?」
 補佐官室の扉に手を掛けたところで、微かに洩れ出でているそれに気付いて、眉根が寄った。
「ぁ、や…ゃ」
 扱う事項が国の重要な案件ばかりな所為か、職場の扉はそれなりに頑丈だ。勿論、声が漏れ出でるような筈もない。ましてや、それが喘ぎ声なんて……就業時間中の真昼間、本来なら有り得ない。がっくりと、肩が落ちる。
 ―――真に遺憾ながら、ここではそれが日常的だ。
「ゃだ、ぁ、ぁんっ」
 あぁ、又……ヤられてるし。
 ここまでくると、もう一種の才能? 男盛らせるフェロモンでも放出してるんじゃないのか? とか思ってしまう。
「かーわいいね、渡瀬ちゃん」
 だから、扉が薄く開いてるのは意図的だ。
 要するに、真っ最中だから入ってくるな――って、上司のサイン。
 いや、この上司の場合は見たかったらご自由にどうぞvってとこか。
 ご希望通り、って訳じゃないけど、ここで引き下がったら仕事に差し支えるから、遠慮なく扉を押し開く。
 視界に映るのは、案の定というか何と言うか。椅子の上で背後から貫かれている同僚と、実に楽しそうな直属の上司だ。性癖云々は兎も角、やり手と名高い上司・大迫補佐官はちらりとこちらに視線を流してきたけど、同僚は乱れさせまくっててこちらの乱入に気付いてもいない。
 あぁ、もう。何でそんなに簡単にのっけられちゃうかなぁ。僕が退室してたのなんて、高々半時程度なのに。
 溜め息なんて、吐き飽きた。
 一体全体、どういう因果で。同僚の…しかも男の喘ぎ声やら媚態やらを毎日朝から就業時間いっぱい聞かされなきゃなんないのか。
 だけど、ここで諦めちゃ、快適な職場環境は望めない。上司は最悪だけど、エリートコースだし、仕事も遣り甲斐あるし、お給金も破格だから辞めるなんて選択肢はこれっぽっちもない。だったら、何とかしなきゃね。
 そう奮起して、目の前の扇情的ともいえる光景を眼を眇めて一瞥した。
「……ここで盛るのやめて下さいって言いましたよね」
 眉間の皺4割り増し、声音の低さを5割り増し、怒りのオーラを7割り増し。ついでに、冷たさ倍増の笑みを浮かべて言えば、
「未咲も混ざる?」 と、直属の上司は飄々とした態を隠しもせず、にやりと笑った。

 着任してひと月。
 こんなのが、日常茶飯事ってどうなのか。



「………又、あんたはどうしてそう学習能力がないかな」
 せめて達くまで待って、と堂々と言ってのける上司の望み通りに暫し待ってやって、その後いやにすっきりした様子の補佐官殿を宰相ンとこへ追い立てた。結局は、僕に火の粉が被らなきゃいいわけだし。
 いつまでもメソメソ泣いてる同僚に、慰めるでもなく聞く。と、強気な瞳がキッと睨みつけてきた。
「何言ってんだよ! 未咲が俺一人にすんのが悪い」
「あんたは、いくつまで付き添いを必要とするんですか」
 そう、この渡瀬補佐官見習いは同期同僚なんだけど、僕よりもひとつ年上だ。21にもなろうかって男が、何をほざく。
 今は泣きそうに歪んだ顔も、雪代宰相の補佐官選択基準に”美形である事”が必須条件として掲げてあるのを頷けてしまうくらいには綺麗。
 体型は僕とそんなに変わらないから、華奢ってイメージはない筈…なんだけど。
 口は悪いし、ひと言多いし、タイミング悪いっていうのか不器用っていうのか……頭良い割に、迂闊なとこが目に付く。
 ひと言で言えば、勿体無いヤツ?
 そういえば、朝一で雪代宰相にもヤられてなかったか、この人。最早毎日の日課になりつつあるから、仕事でもないことまではっきり覚えてられない。
「っていうか、隙だらけだから、あんた」
 今だって、半裸…というか、上半身はシャツの前が肌蹴たまま、下半身剥きだしで僕を見上げてたりするし。
「職場でそういう意味で気ぃ張っとけ、っておかしいし!」
「ここは普通の職場じゃないでしょ」
 一刀両断。
 流石に、渡瀬は絶句してる。
 そもそも、一番の被害者だっていうのに、そんな暢気なこと言ってる場合?
 そう、あの雪代宰相と大迫補佐官が上司ってだけで油断なんて出来ない。
 難関といわれる見習い試験を受かって配属の辞令を受けた時に、周囲の人たちには羨望と同情の混じった視線を送られた。
 彼ら曰く、エリート部署らしいが、上司に問題ありらしい。
 それ以上は教えてくれなかったけど、一日目で知っちゃいました。知りたくなかったよ、こんなパワハラ前提のセクハラが、日常的に平然と横行してるなんて。僕にも魔の手が迫ってこない訳じゃないけど、有難いことに第二王子が学友でそっちの方から釘刺しがあったらしい。持つべきものは、権力を持つ友人だ。
 そうと知ってたら第三候補のヤツ入れたのに、とは雪代宰相の弁だったか。
 いや、いくら宰相直轄部署とはいえ、ここは職場であって貴方方のハーレムではありませんから――くらいは言っていいんじゃないかと思う。
「どうでもいいけど、いい加減服、直したら?」 いつまでも動く様子のない渡瀬に言うと、 もそもそと制服のボタンを留め始める。
 ダルそう。
 大迫補佐官は男女見境なく手を出しまくってる遊び人で、経験豊富だから、持ってるモノ共々何かもー色々凄いって噂だ。
 まぁ、確かに。
 自ら体験したくはないけど、最中の渡瀬の乱れ具合を何度も目にしてれば、噂は本当なんだろうと思う。終った後はいつも、精根尽き果ててるし。見掛けの割りに案外タフなのか、半時もすればそれなりに復活してるけど。
 下穿きを手にした渡瀬を横目に、換気の為窓を開けた後、自席に腰を下ろす。ようやっと、落ち着ける。
 執務机の上に重ねてあった書類に目を通してはいても、視界の隅でのろのろと着替える様はどうしたって集中力を奪ってくれる。
 ちらりと視線を向ければ、タイを首に回してるとこだった。仏頂面だけど、元々の素材がよろしいと、どんな表情でもそれなりに見えるから得だ。
 確かに、綺麗ではあるけどねぇ、正直色気はないと思う。最中はまぁ、色々アレかもだけど、日頃は粗雑なんだよね。なのに周囲の連中に盛られるなんて実に不憫だ。
 雪代宰相には着任したその日のうち、大迫補佐官には三日後には喰われてた。その後だって、日に何度もセクハラ紛いのことされてるって……二の句も告げない。
 最初の頃は渡瀬に同情もしたけど、それ以上に危機回避能力のなさに呆れ返った。
 同職場勤務である僕は、この人たちの真っ最中現場に何度遭遇したことか。えーっといわゆる3Pとかいわれてるらしいプレイ? 雪代宰相と大迫補佐官と渡瀬で、とかも片手の指じゃ足りないくらいあった。
 お陰で、必要ない知識までめいっぱい蓄積されてく日々だ。
 出来れば、デバガメは御免被りたいけど、雪代宰相にしろ大迫補佐官にしろ、人に見られても 全く構わないらしいし。どころか、見せ付けるみたいにタイミング計ってたりするし。逆に燃えるよ〜、とか言ってたことは無視。
 僕に、じゃなくてもいいだろ、とか思う。
 それでもここまでされて、辞任はともかく、異動願いさえ出さない渡瀬に、変に感心してる。
「慰み者になってまでここにいる理由ってあんの?」
「な、ぐさみ者とか……言うなっ」
「その通りでしょ」
 辛辣に言い放ってやれば、渡瀬は薄い唇をキュッと引き結んだ。
 あ、虐め過ぎた? と、様子を窺ってれば。
 暫しの逡巡後、
「……ここでやってけないなら、帰って来いって言われてる」 渡瀬はぽそりと呟いた。
 渡瀬の実家は、宮廷ご用達も兼ねる大きな商家だと聞いた。
「帰れば?」 三男だって話だけど、それ程の大店ならそれなりに仕事もあるだろうし……さして問題だと思えないけど。
 と、チッと舌打ちが返ってくる。
「舌打ち!」
 行儀悪いと窘めれば、ふんと小さく鼻を鳴らす。
 だから! 外見とのギャップが激しいって、こいつ。
「ここでも……向こうでも、同じヤられるんなら少しでも抜け出せる可能性のある方がいいし」
 あぁ、なんだ。
「雪代宰相が初めてじゃないんだ」
 納得して言うと、むすりとした顔が僅かに歪んだ。
「………後妻に入った母さんには双子の息子がいて、俺より5つも上で体もでかかったし。俺、その頃14だったし」
 うっわー、それって今と全く変わらない状況? いや、今の方が職場限定なだけまし? 14からってんだったら…7年間? ×ふたり? 年季入ってるなぁ。当然慣れるだろうし、タフにもなるって。
 何か色々と納得出来てしまった。
「そういう星の下に生まれた、とか?」
 男盛らせるフェロモン放出してる!に決定。が、そんな事言うと渡瀬だって傷ついちゃうだろうし、と思って言葉選んで言ってやったのに。思い切り怒りに満ちた視線が向けられた。
「未咲もヤられちまえ!」
 何、その捨て台詞。
 ……二度と同情なんかしてやらないし。
 っていうか、凄い嗜虐心、煽ってくれるよねぇ。本人無意識になんだろうけど。
 にこりと笑ってやる。
「ね、知ってる?」
「何を」
 あ、腰ひけてる。
「あの二人、それぞれの獲物には絶対手を出さないんだって」
「………は?」
「うん、雪代宰相と大迫補佐官。好みが違うのか何なのか。お互いの獲物には見向きもしないって」
 あの二人の上司の噂話なら、聞き耳を立てなくても入ってくる。噂なら、信憑性は限りなく低いだろうけど。
「今まで例外なかったんだけどな、って、この間渡瀬が用足しに行ってる時に本人たちが話してくれたんだよね」
 そう、自分が言っているのは、出所も解らないただの噂話じゃない。これ以上もなく真実に近いであろう本人たちの言だ。三人で事に及ぶなんて、と呆れた僕への返答がそれだった。
「それってどういう事だろうね」
 満面の笑みで首を傾げて見せれば、渡瀬はくしゃりと顔を歪め、
「も……んーでそんな事、わざわざ教えるんだよ」 心底嫌そうな声音を吐いた。
「うん、暴言には暴言返し?」
「って、未咲はいっつも暴言ばっかじゃん!」
 泣きそうに情けない表情の渡瀬を見るにつけ。
 あ、何か。凄く楽しいかも。
 嫌なところで、厄介な二人の上司の気持ちが解ってしまった。



<END>


 設定だけ考えて、ずっと放ってあったブツです。
 設定では主人公・未咲だった(視点だし)けど……BL的に考えると渡瀬? 彼は、要領が悪く、やる事なす事裏目に出る不幸体質ながら、真っ直ぐ育って凄いね、渡瀬くん――な設定だったみたいです(笑)。