油断していた。思わぬ失態だ。 と、言うよりは注意対象が違う方へむいていたというのが正しい。 「近江!」 いつもは柔らかな空色の瞳が、驚きに大きく瞠られ。 細く白い腕が、縋るように伸ばされ。 「近江ー!」 小鳥のさえずりかと讃えられる声音が、悲痛に掠れ。 綺麗に結ってやった亜麻色の髪が、乱れて。 春を思わせるのほほんとした弟のいつにない様子を文字通り見下ろしながら、巳桜もこういうときは普通に慌てるんだなぁなんて現実逃避をしてみる。 だって、腰のあたりを巨大な鳥の足でがっしり掴まれて運ばれてる途中で、そのくらいしか出来ないし。下手に暴れて落っことされでもしたら、怪我必須だし。痛いのは、嫌いだ。 「近江ぃ」 あぁ、巳桜…泣きそうな顔してる。そんなに上ばかり見て駆けてちゃ、こける!と心配した端から、すっ転んだ。 「巳桜ッ」 「おうみーーー!」 泣いても可愛い顔が、くしゃくしゃに歪められてこっちを見上げている。泥だらけになってる若草色の服は、巳桜のお気に入り。だけど、そんなことに気遣ってる暇はないようで、涙いっぱい湛えた大きな瞳が縋るように見上げてきている。 僕らの意に叶わず、どんどん離れてゆく距離。 傍にいたら、抱きしめて慰めてやれるのに…と、こんな状況に陥っている自分が不甲斐なくなる。 あぁ、でも元々の発端は巳桜のひと言だった。 それというのも、 「ぼく、結婚するよ」 などと、何よりも誰よりも大事な双子の弟が頬を染めて告白してくれたりするから。 そんな状況下で一体誰が平静で居られると? との言葉そのままに、目いっぱい呆けて、周囲などへ注意を向ける余裕もなくして……現状に至っている。 「相手は一体全体何処の誰だ」 そんじょそこいらの雑魚なんぞに大切な巳桜はやれない。帰ったらさっさと名を聞きだしてやる、と決意を新たにする。 「……泣いたって許してやらないし」 どんなに相手が好きだとしても……そう思って、少しへこむ。 結婚を報告してきた近江は、とても愛らしかった。 ほんのり上気した顔が桜色に染まって、柔らかく蕩けそうな顔だった。兄の僕でさえ見惚れて、ドキドキした。そのくらい、可愛い弟なのだ。 そんな巳桜は、当然の如くとんでもなくもてる。 比率的には、男性に。 それも理解できなくもない。何しろ、巳桜は容姿、性格共に小動物系の愛らしさだ。 身内故の身贔屓ってやつなんかじゃないのは、物事を冷静に、かつ客観的に捉えることが出来ると王国の宰相殿からも太鼓判を押された僕が保証する。 その所為で、誘拐未遂なんて巳桜は何度も経験済みだ。 何度もあったそれが未遂ですんでいるのは、その度に僕やら乳兄弟やら周囲の者達がことごとく阻止してきたからに他ならない。 今では、僕の唯一の肉親である巳桜。 ―――なのに。 何だってこの僕が攫われたりしているんだろう。 地上があんなに遠い、と米粒大までに小さくなった巳桜から目を逸らさないまま、盛大な吐息を零した。 連れてやってこられたのは、やたらと大きな城。蔦やらが絡まってるし、切り立った山の天辺にそそり立ってるし、なその城の印象といえば―――古めかしい、だ。 そんな城の門前に、僕を下ろした巨大な鳥はさっさと何処かへと飛び去った。 「……こんなとこに降ろされても」 点になってしまった鳥から、視線を巡らせれば……さっきは誰も居なかった筈の門前には、真っ黒な長い髪をした見上げるばかりの背高のっぽの男が、ひとり。 「……あんた、」 言葉を発する為に開いた口が、恭しく頭を垂れる男の所作で停止させられる。 「ようこそお出で下さいました。我が主の元へご案内致します」 「結構だ。そんなことより僕を帰してくれ」 「私にその決定権はございません」 「…………」 っていうか、その決定権は僕にあって然るべくなものなんじゃないか? 僕に関する諸々の決定権は、僕のものであって他の誰かのものじゃないんだから。ま、巳桜にならその権利の半分くらいは、くれてもいいけど。 「貴方さまは我が主が呼ばれた方。我が主の意向を窺いませんことには」 「……案内しろ」 男の台詞は、誘拐もこいつらが仕組んだことって白状してるも同じ。となると、そんな悪事を働く親玉にはそれなりの文句を言ってやらなきゃ。 「では、こちらへ」 ふつふつと燃え上がる正義感が、得体の知れない城への道を歩かせる。 大きな門構えを抜け、半分蔦で覆われた巨大な扉が開く。広めの薄暗い回廊を突っ切った先には、さっきのよりは小さめ…とはいえ、それでも充分に大きな扉。 「日沖様、お連れ致しました」 背高のっぽ男が報告すると、手も掛けていない扉が軋みを上げて開いた。どうなってるんだ?! これが噂に聞く魔法ってやつか??? 口には出さず、内心凄い凄いと感嘆。だって、魔法なんて初めて見た。 「―――我が主、日沖様です」 呆けていたところで、案内してきた男の声に唐突に我に帰る。初めてのものを見たり体験したりすると、他に注意をはらえなくなるのが悪いとこだと、宰相殿には何度か指摘されたのを思い出して、口許を引き結ぶ。 絢爛な内装は王の間であることを知らしめる。そのまま扉の真正面の玉座へ視線を向けて、息を呑んだ。 厳つい玉座へと座すのは、一瞬とはいえこちらの意識を持ってゆくほどの美貌。 こちらに無遠慮に向けられていた瞳が、凝視した僕を嘲笑うかのごとく心持ち細められたのを見、生きているものだということが知れた。 正直、彫刻かと―――思った。そのくらい卓越した美しさだ。 僕の周囲は、弟の巳桜を筆頭に所謂美形が多い。父も母も生存中、二つ名を戴いていたほどには容姿に恵まれていた。そんな僕の審美眼をもってしても、この男の美しさには度肝を抜かれた。 玉座へ腰掛けたままながら、その艶やかな漆黒の黒髪は床へと届く長さ。こちらを値踏みするかのように細く眇められた瞳は、金色。 その両方ともに、人にはない色だ。そう、魔族独特のもの。 ってことは……魔族の城か、ここは。 行き着いた結論に、頭を捻る。魔族でも人でも、僕が攫われたのは事実で。なんだってこうなっているのかが全くもって解らない。 「貴様、何だ」 「………」 それが仮にも、誘拐を唆した本人が言う台詞か。 |
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… to be continue |