陽は西か東か ・・・ 3



 小さく小さくなってゆく、大好きで大切なひと。
「……おうみ」
 何だってこんなことになってるの? なんて考える間もなく、すくっと立ち上がる。
 薄汚れてしまったお気に入りの服――って、近江がこの服が似合うって言ってくれたからそうなったまでなんだけど――の袖口で目許を拭ってから、唇を噛んだ。
「絶対、許さない」


 堅強なと誉れ高い王城へは顔パス。
 本来なら出入りに相応しい身分もなく、身寄りもない僕等が通用口とはいえそれを許されているのは、現王子三人と乳兄弟であるからに他ならない。
 妃殿下の幼馴染みであり王子たちの乳母であった母は、夫が亡くなったのを機に僕等を連れて城へ上がり、自分の子王妃の子を分け隔てなく扱い育てた。
 その母が亡くなって、4年。本当ならその時点で追い出されていた筈の僕等が、未だに城に住まわせてもらえているのは、王と王妃の意向以前に、乳兄弟の猛烈な懇願があったからだ。
 彼等は僕と近江を他の兄弟に対するのと変わらず、とても大事にしてくれている。その寄せられる想いがどこからくるものなのか、不思議に感じるほどに。

 乱れた息を整えつつ、城の奥居住区へと続く扉の前で足を止める。
 大きな扉の合わせ目には三十センチ四方の四角い枠が嵌められてある。いつもなら、軽くてのひらを押し当てるだけのそれに、勢い良く叩きつけ、 「開けよ!」 声を荒げる。素が出てしまう。こんな時にいつもの仮面を取り繕える程、僕は大人じゃない。
 怒鳴っても、意味ないのは解っているけど。
 掌紋の認証とかをその四角い枠内でやるから、扉が開くのはその後だ。
 いつもなら気にならない程の時間なのに、こんな時には苛立つし、はっきりいって邪魔。こっちは瞬きひとつ分の間でも惜しいっていうのに!
 きちんと認識されたと、青い光りが認証機に点ると共に、開いた扉の中に憤ったまま飛び込んだ。
「おかえり、巳桜」
「あれ? 近江は?」
 お茶の約束をしていたお陰で勢ぞろいしていた乳兄弟達の姿に、胸を占めていた不安が僅かに綻ぶ。常と変わらない状況っていうのは、そのまま安堵へと繋がる。と、同時に何でそんなにのほほんとしてるんだと、彼らにとっては不当でしかないであろう怒りも湧く。
「宗田、鈴木、皆見ッ!」
 勢い込んで彼達の名を呼ぶ、と。
「な、なに?!」
 宗田は驚きながらも穏やかに、鈴村はぎょっとしつつ、皆見は驚いたんだろうけど淡々と。三者三様に返してくれた。何か、たったこれだけのことで各々の性格って解るよね。
 なんてのんびり頷いてる場合じゃなくて。
「近江が攫われた!」
 今回最大の爆弾を落してやった。
「…はっ?」
「……なにーーー?!」
「………なんで、近江?」
 本当、解りやすい奴らだ。
 だけど、彼らの驚きにはムッとしてしまう。
 確かに近江には隙がない。
 他人をそうとは悟らせないほど静かに拒絶する。
 だから、生半可なヤツらなら、近江には近づけない。
 でなければ、巳桜と同じくらいには危ない目にあってる筈だ。
 近江って性格があんなだからか、マニアックな人に受ける傾向にある。だから、余計に心配なんだ。
「近江は、綺麗だし可愛いよ!」
 近江は歯に衣着せぬ毒舌と冷たい美貌で他を威圧するけど、そのお陰もあってすれてない分、僕なんかに比べるとよっぽど素直だ。おまけに、普段は警戒心バリバリなくせに自分のことに関しては自覚が薄い。
 他を分析するには長けてながら、僕には盲目的で、自分自身には疎い。
 そんなとこも見掛けとのギャップも相まって凄く可愛いんだけど!
 だからこそ、変な奴等に目をつけられたりしないかいつも心配だった。
 僕だったら、それを逆手に取るくらいどうってことないけど、近江には到底そんなこと無理。
 近江は母さんのお腹の中にいる時分から一番近くに居るくせに、何故か未だに僕に夢を見てるみたいで、それを無下に壊したくないから、そんな強かさは彼の前で極力見せないようにしてるけど。
 まぁ、素のまま過ごしてても、僕を見る近江の目に掛かってるフィルターはやたらと分厚くて頑丈だから、ちょっとやそっとのことじゃ問題ないみたいではある。
「助けに行くよね!」
 乳兄弟は僕ら双子を、肉親と同じように大事にしてくれている。だから、そんなこと今更訊ねなくてもそうしてくれるってことは解ってても。
「行って…くれる、よね」
 懇願さえ含ませてしまうほどに、近江は僕にとって唯一の人で。父さんも母さんも亡くなった今となっては、同じ血の通う…唯ひとりの兄弟で。
「巳桜……」
 近江とこの乳兄弟等の前では、他人を前にするような演技は必要ない所為もあるけど。僕の意思を無視して潤んでく瞳を隠すことも出来ない。
 ―――と、
「当然だろう」 さっき僕が入ってきた扉が、ピッと小さな電子音を響かせて開かれた。毅然とした、声音を共に。
「幸邑、」
「宰相? 何で?」
 そう、声の持ち主はこの国の宰相であり、僕の婚約者でもある幸邑だ。
「巳桜が血相変えてこちらへ窺うのが見えましたので」 王族である乳兄弟達に一礼し、許可を得ずに入室したことに対するであろう非礼を詫びる。そうして、僕へ向き直った。
「ゆき……」
「泣くな、巳桜」
 そっと柔らかに僕を囲う腕は、しなやかでいて力強い。それでいて、不安でいっぱいの胸の内を直に溶かすように、温かい。
「あれはお前の大事な片割れだ。ついでにいうなら、ようやっと使えるようになってきた俺の右腕でもある」
「ゆき」
 護るように抱き締めてくる腕に、素直に縋ってしまいたくなる。
 そんなの僕のキャラじゃないのに。相手が誰であろうと、縋るなんてしたくないのに。もっとも、そんなこと近江にでさえ告げられないけど。

… to be continue