「あーも露骨に驚かれると……正直、へこむ」 がっくりと肩を落として溜め息を吐く宗田へ、幸邑は今はもう影も形も見えない一行へと思いを馳せるように目を細めた。 「巳桜は、打算のない想いもあるのだと、知るいい機会だ」 「……今までだって、態度にも言葉にも打算なんて含めたつもり皆無なんだけどなぁ」 何かちょっとショックだ、と宗田は項垂れる。 「あれは、人を信じちゃいない。あれだけお前達や両陛下に思われ、国民にも愛でられているというのに、血に頼らない愛情を信じきれずにいる。あれほど頑なになるその根底に何があったのか、窺い知ることも出来ないほどに己を隠して」 ”のどけき春の桜君”との渾名そのままの穏やかさと柔らかさを思わせる雰囲気を醸し出しながらも、絶対に入り込めない一線がある。表面から覗き込めないその内は、自ら刻んだ数え切れない傷から流れる血で真っ赤に染まっているに違いない。 そして、その傷を治す手を拒み、痛みに表情を歪める事無く彼の少年は微笑う。 だから、泣いていいんだと手を伸ばしたのに。その手すらも、あの子どもは己ではなく近江の為に利用するのだ。 「何というか……見くびられてるというか……怒るという以前に、呆れる」 本来なら、巳桜は見限られて当然のことをしている。相手の気持ちも、自分の気持ちも蔑ろにしている。 だけれど、だ。 それが解っていながら、そうまでしてたったひとり残された片腹を護りたいと思う巳桜の気持ちを、幸邑は無下に踏み躙ることも出来ずにいる。 その、必死さ故に。 「巳桜は、近江のことを不器用だと散々貶めるよね。じゃあ、自分は何なのだと問い詰めたいよ」 腕を組んで、自分の台詞に頷きながら、宗田は言を繋ぐ。 「氷姫の異名、巳桜のほうがよっぽど相応しいってことくらい私達が気付かずにいるなんて、本当に思われてるとしたらショック倍増なんだけど」 巳桜なんて容姿そのままの穏やかこの上ない名を持ちながらも、彼の人の心を覆うのは、とんでもなく厚く強固で壊す事の出来ない壁だ。暖めれば溶けるやもしれない凍土などより、余程手強い。 自分たちは、巳桜と一緒に過ごした時間の中、それを壊せたらいいとずっと考えていた。そして、そうなるように、出来得る限りの手は色々と尽くしてきた。結果は見事なまでの連敗だったけれど。 「どうすれば、いいのかねぇ」 「根本は、あの事件だろ」 「………それ出されると、正直打破出来る気全くしないんだけど」 巳桜の内の壁が形成された時分、彼とその半身の身に降りかかったことなど思い出したくもない。城下で起こったその事件は、類を見ない残虐性で当時国中を文字通り震撼させた。 一時は命の存続さえ危ぶまれた近江の背は、その時の傷跡を残したまま。その時の記憶は恐怖故にか失われ。逆に、全く無傷に見えた巳桜は、心を失くしていた。 時折、乳母に連れられて城にやってきていたふたりのあまりな変わり様に、彼らは酷く驚き心を痛めた。 「近江のって素なんだろうけど、巳桜のはあきらかにあの事件の影響だよね」 はにかみは可愛らしく、綺麗に微笑む子だった。傍にいる者を優しい気持ちにするような、そんな笑顔だった。 巳桜の”のどけき春の桜君”との異名はその当時から付けられていたものだ。 今の笑顔も美しいが、当時を見てきた彼らにとっては全く別なものに見える。確かに、年を重ねると共に人というのは変わってゆく。が、巳桜の変化はそんな言葉で片付けられるほどに生易しいものではなかった。 痛みに爛れ、今にも壊れそうな儚い内を隠すように薄膜を貼り付けた上に描かれる笑顔は、彼らには痛みすら感じさせる。 記憶を失ったままの近江にも時折感じるが、それ以上に平穏を笑みで取り繕っている巳桜は、酷く危うい。 「……私達じゃ、癒せないのかな」 共に過ごしたのは8年。巳桜や近江からすれば、人生の半分を共にしてきている。それだけの間、同じ時間を過ごしながらも、傷の深さも知らされず、ましてや癒すことも許されず。 「何はともあれ、まずは、近江だ」 近江自身も心配だ。もし仮に近江の身に何かあれば、巳桜は文字通り崩れる。そして、恐らく修復は出来ない。瓦礫の山の上で何の支えもなく立ち続けることは、誰にだって難しい。彼自身が唯一として認めている支えが失くなれば、立ち上がることさえ出来ないだろう。 そうなれば、自分たちは大事な家族にも等しい友人ふたり共を失う。それだけは、否が応にも胸に刻まなくてはならなかった。 |
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… to be continue |