−シュウ− 〜序章〜 二幕 薄暗い、何もかもがそのあるべき姿を闇に拡散される夜。 その向かい合った二組一対の瞳だけが、そんな暗闇に置いてさえ確かにその存在を保持しているかの様だった。 片方はハンターで片方は獲物―――しかし、獲物のその目は、追い詰められ狩られるもののそれではなかった。 脅えも迷いもない、月の色を浴び金色に光る瞳。 寂れた倉庫の立ち並ぶその場所に追い込んだのは、自分だった筈なのに…その金の瞳は、お前が誘導されたのだ、とハンターに告げていた。 「何で裏切った?」 その台詞が、形式だけなのも分かっていた。裏切りの理由など確かめても、結局元からなかったものの様に処分されてしまうのだから。 「裏切ってなんかないよ、面倒になっただけだもん」 小さな頭を上半身ごと斜に構え、少年は気だるそうに言う。 少年の態度と台詞に、その男は切れ長の冷たい目を尚も細めた。 「裏切り者を待つのは死だけだ。しかし、君に関しては組織は処分の決定を躊躇っているらしい―――」 ふぅんと興味なさげに相槌を打つ少年が、突然何かを思いついた様にくすりと笑った。 「まだ、必要なんだ。―――これが…」 言いながら、右手の人指し指と中指の間に挟んだ小さなチップを肩の位置まで上げてみせる。それを目にし、男の瞳がきらりと光る。 「そんな大事な物を、やたらと人前に出すのではないよ」 「俺にとっちゃあ、大した価値もないもん。全部、こん中にインプットしてある」 そう言って、軽く自分のこめかみを指した。 「俺が係わったやつは全部。それ以外のものだって、あんたらが組織に提出する形程度の出来でいいんなら、全て―――」 「成程、それで君の処分も決めかねている訳だ」 裏切り者を抹殺してしまうのは簡単だ―――しかし、その裏切りさえ凌駕してしまう程の価値があるという事なのか。 男はちっと小さく舌打ちをする。例外を作るという事、それは崩壊への一歩だ。その恐れさえも超越するというのか、こいつが。 「俺、裏切ってるつもりもない。あれはあれで楽しかったけど、飽きちゃった。もう戻るつもりないし、殺されてやってもいいけど?」 「私の受けた指令は、君の捕獲だ」 「じゃー、交渉決裂だな。俺、戻る気ないって言ったよね」 「―――逃げきれると?」 嘲りの混じった言葉に、別段なんの感情も沸いた様子もなく少年は言ってのける。 「そうだな、殺さないで捕獲するって言うなら、戻りたくない俺としちゃー逃げるしかない訳だ」 ―――言うなり、指に挟んだままだったチップを指を使って撥ね上げた。 男の視線が、一瞬逸れる。少年はそれを見逃さなかった。 闇夜にも白く映える足が、ぐっと踏み込まれ地を蹴る。一瞬とも思える素早い動きで、男の死角に姿が消えた。 忌ま忌ましげに寄せられた男の眉根に、呼応するかの様に微かな笑い声が響いた。 「それ、置き土産だよ。あんたらが血眼になって捜してたレック社のコードが入ってるから、最後のご奉仕ってやつだ。宮脇のじいさんによろしく!」 どこからともなく響きわたる声。 一歩間違えば簡単に捕獲されそうな場所に、わざと追い詰められた振りをしていたのだ。 男がひとりで追ってきたのを知って…。 声の拡散に因って、己が行く先を悟られない為に―――。 後はただ、ひとり立ち尽くす男の影だけが、長く延びているだけ。 「逃げたか…」静まり返ったその場で、男は微かな笑みを唇に浮かべる。 ―――狩りが始まる。 狩りがいのある獲物だ。極上の頭脳と、狼の様な肢体を持つ。 脇の草のなかに、無造作に放り投げられたマイクロチップを拾い上げながら、自然と冷笑が浮かぶ。 星さえない空に、欠けた月だけが仄かにその姿をとどめていた。 『シュウ』 〜序章〜 二幕 ©mori tukinosato |