何も要らない…なんて嘘。 欲しいものがないなんて、ただの強がりでしかないことぐらい、 自分で分かってる。 でも……言えない。 だから…気付いて。 そして―――。 僕の求めるものを…くれる? ねぇ、ずっと側にいて。 逢魔が刻 幾分肌寒く感じる風が周囲を吹き抜け、ホールの定置で石版守をする美貌の風使いは夕刻であることを肌で感じた。 陽が落ちるのが早くなった。 間もなく、動物たちが篭る時期がやってくる。憂鬱そうに、ひとつ溜め息を零す。 寒さには強い方だと思うが、流石にホールで日がな一日立っているのはきつい…。 それに―――。 ふっと、視線をホールの入り口付近に向けた。勿論、この位置から外が見えるわけではない。 それでも、何かを探るような瞳はそこから離れなかった。 …………雪が降ると…山越えはきついから―――。 瞬間、頭を掠めたそれに、ルックは眉間に皺を寄せた。 関係ない…のに。 そうして、無理やり入り口から視線を外すと、ルックは周囲にそれを巡らせる。 あやふやなくせに、くっきりと視界に入る周りの風景。…そして人々。 自分だけが取り残されていくような頼りない感覚に、ルックは小さく溜め息を零す。 確かに…取り残されてはいくのだろうけど―――。 取り留めない逡巡を繰り返す自分に気付き、ルックは微かに瞼を伏せた。 こんな埒もないことばかりを考えてしまうのは何故か…、なんてちゃんと分かってるのに…。 ―――ここ暫く、彼に会っていない。 ハイランドとの大規模な攻防戦の際、グレッグミンスターに戻ったから……。 彼はその肩書き故に、大きな国家(同盟軍は国家とはいえないんだろうけど)間の戦争には手を貸さないという体制を保っていた。 その攻防戦も一昨日、片が付いたばかりで。 そう―――ただ、側にある筈のぬくもりがないだけ……。 それを認めるのは、かなり癪だし悔しい。 自分が意固地なのも、素直じゃないのも知ってはいるけれど…。 素直な自分なんて、それこそ 「……冗談じゃない」 なんて思ってしまうから。 「よっ、ルック! 眉間に皺寄ってるぞ」 気安く肩を叩かれ、びくりと身体が跳ねる。 「…っ、シーナ」 「んーだよ、んーなに驚くことないだろ」 諸手を上げた状態のシーナの方が、ルックよりよっぽど驚いたようで、そのままの形で固まっていた。 「――急に声掛けるあんたが悪い…」 不用意に声を掛けられた為に、激しく高鳴る鼓動を収めようと、なんでもない風を装いながら、ルックは一度だけ大きく息を吐く。 「だって、ルックいつも気が付いてるもんな」 今日はどうかしたのか? と、聞かれ、ルックは目を細めて目の前のシーナを見る。 「…………別に」 「相変わらず、のお答えで」 茶化すように言うシーナを軽く睨み、 「用件は?」 と尋ねる。 「晩飯、行こうぜ」 「……あんた煩いから嫌だ」 「何だよ、それ」 「もっと食えって、煩い」 「……そりゃ、ルックの食べる量見てたら、誰だって言う」 「…大きなお世話だよ」 「あんまり細いと、抱き心地良くないって言われないか?」 シーナの台詞に、ルックは思い切り胡乱気な視線を向けた。 「……何さ、それ」 「サクラが言わない?」 「……切り裂かれたいの?」 剣呑さも一際に言うと、シーナは降参の態を表してか、再び諸手を上げた。 「んーなに怒るなよ」 苦笑込みのシーナに溜め息をひとつ吐くと、ルックはどこか諦めを含んだように 「付き合えばいいんだね…」 と不本意そうに呟く。 「そうそう、サクラが居なくても食べなきゃな」 「いつもちゃんと食べてるよ。そこでなんであいつの名前が出てくるのさ」 「……サクラが居ないと、食事の量が一層減ってるって自覚ない?」 「…………そんな事っ」 「あるから言ってるの! 自覚ないんじゃ重症だぞ」 「―――っ」 食べることに興味はない。食べなくて済むのなら、何にも要らない。でも、流石にそれは無理なので、空腹を覚えた時は最低限食べることにしている。 師とふたりで居た時は、師の方が成長盛りの僕を気遣ってのことか、きちんと食事を取っていた。一緒に食べないと、空腹感さえ抑え込んでしまう僕の為だ。 ツバキに手を貸すことになり、このブラックベリー城に来た当時は、そんな風に気遣ってくれる者も居なかったから、食べないで済ますことも多かった。 取り敢えず、そんな状態でも自分の責務さえこなせば、誰にも何も言われることがなくて結構気に入っていたんだけど…。 なのに―――。 『相変わらずだね、ルック』 そんな台詞と共に彼は来たから…。3年前に別れたきりの、当時の天魁星・サクラ・マクドール。 ツバキに手を貸す…ということで城を頻繁に訪れる彼は、居城している間中僕の側から離れようともせず、食事の時間になるときちんと律儀なまでにレストランにまで引っ張ってゆくから…。 『要らないんだけど…』 そう言うと、決まって 『ちゃんと食べないと、大きくならないよ』 何て言うから…。 『もう、大きくなんてならないよ…』 そう思いながらも、彼にそう言うのは憚られて―――。 でも、確かに己よりは綺麗に筋肉のついた彼の腕が自分を包むのが悔しくて…。ついむきになって、要らないはずの食事を、毎回食べる羽目になってしまう。 それだって…かなり癪だったりするのだが。 「そろそろ、雪でも降りそうだな」 レストランに続く冷たい石造りの通路をシーナの後に続きながら、ルックはその台詞に視線を窓の外に向けた。 薄暗い雲に覆われた空が…、遠くに見える山の頂を隠し―――。 今にも泣きそうに視界を染める。 「降り出したら、あいつ来れなくなるな」 「…………いいんじゃない、別に」 「ルック―――?」 窓の外から無理やり視線を剥がし、ルックはそれを背にすると、再び歩を踏み出す。 「本当は……戦場なんて……、キライなんだから」 彼の戦争に対する思いなんて、本人が口にのせることなんてないが。以前の解放戦争に関わった者ならば、皆知っている。 全てを奪うもの―――。 全てを失ったもの―――。 だから……。 ツバキが意気揚揚とサクラをこの城に招いた時、皆一様に眉を顰めた。 そして、皆が皆彼の来城を喜びながらも、訝しがった。 自分だってそうだった……から。 「……ルック?」 後からどこか困ったように付いて来るシーナ。 「本当、馬鹿……」 逢いたかったからだ―――と、彼は言ったのだ。 『ルックに逢いたかったから、ツバキに協力する事にしたんだよ? そうしたら、いつでもルックの側に居られるからね』 目的は違うけど、一応軍主の客人になるんだから―――ルックが駄目だって言っても、追い返す事なんて出来ないよね? そう、どこか楽しそうに…悪戯を思いついたような表情で言ってのけた。 逢いたくなかった訳じゃない…。 自分でも愚かだと感じてしまうくらい、ただ逢いたかった。 だけど……。 彼を再び戦場に立たせたかった訳ではないのに…。 傷付いて…それでも、泣けない彼の姿なんて―――二度と見たくなんてないから。彼がバナーに居る事は、その紋章の気配で気付いてても…。逢いに行く気なんてなかった。 どこか能天気な笑みを浮かべているサクラの態に、激昂した勢いでそう告げたら……。 『だから、僕はルックが好きなんだよ?』 至極嬉しそうに目を細めて、サクラはそう言った。 『戦場は嫌いだけど、ルックの側に居たいから…。ルックが離れられないんだったら、僕が来るしかないよ』 彼の……想いが、ただ痛かった。 『僕にメリットがないと思う?』 『…………』 『ルックが重みに感じることなんてないんだよ』 本当はね―――。 サクラは耳許でひそっと囁いた。 『重みに耐え切れなくなったルックが、陥落してくれるのを待ってるのかも知れないよ?』 そうして……抱き締められた。 暖かくて…嬉しくて、同じくらい痛くて―――。 確かに馬鹿だけど…。他人の痛みを和らげるのは得意だよね、サクラは。 自分の痛みは器用に隠して…。 ―――だから、言えないよ。 本当は嬉しいなんて…。 側に居て欲しいなんて……。 「――お前たちって、結局はふたりして馬鹿だよな」 きっぱり存在を忘れかけていたシーナに背後から呆れたように言われて、驚いて振り向く。 「シーナ…居たの?」 「…………あのな〜」 誰が誘ったと思ってんだよ、と眉根を寄せながら、シーナは相変わらずの大仰な身振りで肩を竦めた。 「ルックもサクラも、お互いに気ぃ遣い過ぎ。大事にしたいって思うのも分かるけど、好きだったら側に居たいとかって普通に思うことだろ? 何でそんなに難しく考えるんだ?」 「…………サクラだから」 答えが返るなんて思ってなかったんだろうシーナが、微かに目を見張る。 サクラだから―――。 他の誰でもない、彼だから。 これ以上、傷付いて欲しくないんだよ? 「……シーナだってそうだろ」 視線を向けないままに尋ねる。返ってくる答えなんて…言わずもがなだから。 「そう…だけど……」 同じだよ、きっと皆。彼を知る人は、もうこれ以上傷付いて欲しくないって思ってる。なのに―――。 「……やっぱり、食事は後でいい」 「―――って、おい! ルック!」 レストランの入り口で、さっさと踵を返すと、シーナが慌てて腕を掴んできた。 「っ! 触らないで」 力いっぱい振り払うと、シーナは驚いたように払われた腕を引っ込めた。 「……今は、何にも欲しくない」 言うだけ言って、風を纏う。その場から、一刻も早く立ち去りたくて…。 多分、シーナは知ってる。 サクラが参戦する訳。 その所為で僕が抱える逡巡さえも。 軽く見せてはいても、ちゃんと周りを見ているシーナだから。 転移した先は己の部屋。 ブーツを脱ぐのもそこそこに寝台の上に乗って、膝を抱えて座り込む。 彼を傷付けたくないのに……。 それでも、側には居て欲しい―――と。 そんな自分の身勝手さに、反吐が出そうになる。 寒いからだ…。隣にあるぬくもりが…感じられないから。だから……。 こんな弱い自分なんて、認めたくないのに―――。 彼を知る前の自分は、もっと強かった。ひとりで立って居られる、と信じていた。それは……錯覚に過ぎなかった? 僕は―――どうすればいい? どうすれば……叶う? ただ、抱き締めていて欲しい。 ―――側に居て欲しい。 ただ……。 望みは、ただそれだけなのに―――。 僕が、何もかも諦めれば……。 己で課した星の定めから抜け出せば、叶う? でも―――。 それは無理だから……。 だから、言わない。 ―――言えないよ。 ねぇ、ずっと側に居て? ...... END
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