未必の故意 それは、何もかもが計算し尽くされた筈の。 彼らが彼らで在るが故の、確信。 × × × 触れられた箇所から、悪寒が全身に行き渡るえもいわれぬ感覚に、ルックは刹那身体を強張らせた。咄嗟に振り払いそうになる衝動を、唇を噛み締めてやり過ごす。 こんな事はなんでもない。 何をされても、僕は僕なのだから。 そう思いながらも……。 己を暴き、喰らい尽くそうとする男の存在に、背筋を戦慄が走る。 これは、アカザの存在に寄る弊害だと、ルックは自由にならないその手の血の気が失せるほど敷布を握り締めながら、そう思った。 魔法使いビッキーの転移と、瞬きの手鏡。 勢力地内であれば、瞬く間に転移が可能。無駄な時間短縮ができるそれらは、同盟軍にとって有り難いものだった。 だけれどそれは、ある場所で弊害を生んでいた。 「竜口の村から?」 「はい、灯竜山にて新手の山賊が幅を利かせて困ってるとの事で」 竜口の村から届けられた報告書に目を通しながら、軍主は微かに眉根を寄せた。 そう言えば、あちら方面に赴く事は少ない。吸血鬼騒動がひとつの結末を見せ、わざわざ山越えせずとも転移と鏡で簡単にそれぞれの町へと行き来が出来る様になったからだ。 「討伐隊を出して欲しいとの要請です」 「ギジムやらコウエンこっちに来たきりだからな」 彼らはあの一帯を仕切る山賊だったが、仁義だとかいう訳の解らないものに則って活動していたようで、そのやり方自体に討伐隊が出される程のものではなかったらしい。 「だからって、あいつら抜けさせるわけいかねーし、な」 石板守がいうには、彼ら三人も宿星とやらに選ばれているのだ。 『数集めりゃいいってもんでもないと思うけどね、取り敢えず集めたら?』 石板の意味を尋ねた時、うんざりとした態度を隠しもせずにルックはそう言った。 勿論、この騒動があの三人にバレれば灯竜山へと一目散に戻るだろう。 現在の戦力で言えば、抜けられてもそう困る事はないのだが。宿星とやらに選ばれているという事は、彼らに何らかの役割があるという事だろうとオギながらに考えた。 「………内密に、片さなきゃなんねーか」 遠回りを嫌う軍主への簡易に要約された報告書と、被害を被っているらしい虎口と竜口の村連名の訴状とを交互に捲りながら、オギは面倒臭そうに溜息を零した。 軍内の中枢核を担う数人に召集が掛けられたのは、その半時後だった。 ざっと事の次第を説明し終え、軍主であるオギが発したのはたったひと言。 「ルックが適任だと思う」 「同感です」 そう頷きながらも、軍師は僅かに困惑気味かつ訝しげな視線をオギに向ける。 「なんだ?」 「いえ、ルックを可愛がっておられるオギ殿が、彼を推すとは思いませんでしたので」 見目形でいっても、相手に油断を作らせるには最適な人選だろう。 難を言えば、力のなさが見てくれそのままだという事だ。 「はん、それとこれとは別もんだろ。それに、最少人数で早期・隠密裏に片そうと思えば、的確かつ冷静な状況判断でそれを成せる人物。そして、向こう側に少々の危険を冒してでも喰らい付かせたいと思える人物。―――となると、そうは居ないっていうより、ルック以外に浮かばない」 オギの答えは軍師を満足させるには充分過ぎるものだったようで、彼は笑みを浮かべた。 その軍師の笑みをどう取ったのか。 「問題は、アイツだな」 ぽつりと呟いたビクトールの台詞を、 「軍内の決定事項にまで口出すほどに、愚かじゃねーだろ」 と軍主はいつにない冷たいまでの物言いで一蹴した。 護衛役は、シーナとサスケ。 今回の秘密裏の任務を言い渡された時には、その翡翠を眇めて見せただけの魔法兵団長だったが、それと告げた途端、 「要らないよ」 如何にも鬱陶しそうに返した。 一緒に呼ばれていたサスケがいきり立つ前に、その横でシーナが宥める。 「んーなに言うなって」 本気で嫌そうなルックに、オギは小さく苦笑しながらも 「まさか、同盟軍の魔法兵団長殿に護衛も付けずに視察行かせられないだろ」 等とのたまう。 「視察、ね」 肩を竦めてシーナが呟く脇で、サスケが渋々といった態で目の前の幹部連を睨んでいる。 「足手まといになる」 「だから、ならないようにこのふたり。ルックを護るには力量が足らないけど、自分ひとりくらいなら護れる、よな?」 最後の問い掛けだけは、シーナとサスケに向けられていた。 「相手の力量と人数にも寄るけど、な」 おちゃらけた風に答えるシーナに、サスケは不本意そうに頷いた。常々、己の力量を知れと里の皆から諭されている。おまけに、この軍に加勢するようになり、自分と同じ年の子供が同じ様に戦場で戦っている姿を見て、この年頃の少年になら当然あるだろう奢る気も綺麗さっぱりと消え失せていた。 「本当に、こんな稚拙極まりない作戦上手くいくと思ってるの」 オギから渡された紙っ切れをひらひらさせながら、胡散臭そうにルックは問う。 「実際現場見てないから解らないけど、山賊の数は9人。頭領以外はそれ程の力量はないらしい…って事だけどな。売り飛ばされる為に囚われてるのが、密偵が知らせてきた時点では5人程度」 今は減ってるか増えてるか解らないと、オギは告げる。 「現場の指揮は全面的にルックに任せる。シーナとサスケはルックの指示に従え」 「つまりは、業と敵の手に落ち、内部から捕らえられている者達を保護、もしくは助け出せっていう事だろ」 面白みも何もない作戦だね―――そう言うルックの表情からは、面倒臭いという様がありありと窺える。 「そうすりゃ、突入する時に生じる捕虜の命の危機って危惧はかなーり、少なくなるだろうが」 それにさ…と、オギはにこりと笑う。その笑みに、嫌な予感を禁じ得ないながらも、 ルックは視線だけで先を促した。 「内部探らせたらな、面白い事解って?」 「…………」 「そちらの頭領さん、女よか男がいいんだってさ。おまけに、一獲千金とか目論んでるらしい」 頭領格の男を誑し込めなくても、同盟軍きっての魔術士、それもその地位が魔法兵団長なら、さぞかしハイランド辺りに高く売れるだろうな―――そう言って、にやりと笑うオギに、話の張本人以外の周囲の者は一様に顔を引き攣らせた。 「さてね、あんたなら幾らで買う」 「んーな危なっかしいの、金出してまで買うかよ。それに欲しけりゃ、奪うから?」 幸い、今の立場ならスカウトって銘打てば入手出来ないもんってあんまないし?と、平然と言ってのける。 「……あんた、誰かに似てきたって言われない?」 深々と零された溜息と共に言われ、オギは 「俺は元から結構こんな感じだったろ?」 とうそぶいた。 極たまにではあるが、指定した先とは異なる場所に運ばれるという、魔法少女による転移。 至極緊張を強いられるそれは、けれど今回の指定先を違える事無かったようで、一瞬の眩い光の渦の後、竜口の村入口に魔法軍兵団長の視察隊一行の姿があった。 自分たちが居る場所を確認し、シーナとサスケはほっと緊張を解く。 それに気付いてない訳ではないだろうが、ルックはふたりを一軒の家の倉庫に促した。 「先触れはそれとなく流してあるって言ってたから、襲って来るとしたら此処ら辺りだろうね」 灯竜山の山道が細かく記されているテンプルトン作の地図を指差しながら、ルックは二人の面をちらりと見やる。異存を唱えないのを見て取って、で……と作戦の最終打ち合せに掛かる。 「僕とサスケが捕虜になる」 「俺は?」 「あんたは勝手に逃げて」 手を上げ、身を乗り出すシーナへルックは淡々と指示した。 「…………はい?」 「向こう側は、おめおめと逃げたあんたが単独で突っ込んでくるとは思いやしない。その思い込みの隙を突く。あんたがちゃんと逃げてくれないと作戦に支障が出るんだよ」 「………誠心誠意頑張らせて頂きます」 「あちらの頭領は僕が引き付けられる、と思う。サスケは他に囚われてる人達と一緒くたにされると思うから、シーナが突っ込んできたらそっちから内部撹乱」 確認の為にサスケを窺うルックに、少年は真剣な眼差しで頷いた。 「解った」 頷いたサスケを見、ルックは地図を折り畳む。 「じゃ、行くよ」 地図をシーナに手渡しながらふたりを促す…と、突然腕を捕られた。 シーナだった。 「なに?」 わざわざ訊ねずとも、いつにない真剣みを帯びた琥珀の瞳に、彼が言いたい事は知れたが。それでも、ルックはそう問う。 「助けに飛び込むのは、本当に真夜中でいいのか」 それは、一晩とはいえ敵の真っ只中で過ごすということだ。はっきりとその手の趣味の男がいると解ってて、ルックを火中につっこまなければならない。 だけれど、そのシーナの台詞に含まれる意を知りながら、ルックは表情もなくしっかりと頷いた。 「だから、最初っからそれが狙いだって言ってる」 「何で嫌だって言わないんだよ」 「適役だろ」 「だからってな、嫌だくらい言ってもいーんだよ。結局最後にはお前になるんだろーけど、だけど嫌だって一遍くらい言ったって構わねーんだから」 「……今更、だ」 「…………お前、卑下したりしてやしねーよな」 どこか諌めるように口調を改めるシーナに、ルックはちらりと視線を向けた。どこか探るような琥珀の瞳には、軽く肩を竦める事で答える。 「そんな事…しないよ。僕がさげずむのは、こんな貧相な躰に群がってくる男達だ」 きっぱりとそう言い切って。 言葉をなくしたシーナから視線を外すと、灯竜山へと続く山道に足を踏み出した。 前を歩く華奢な背を窺い、周囲の気配を探りながら、隠れ里の忍びである事を誇りにする少年は囁きに近い声音でぼやいた。 「んーとに、こんなわざとらしい作戦に引っ掛かるのか?」 そのぼやきに、シーナは恐らくなと返す。その返答にいかにも胡散臭そうな表情を浮かべるサスケに 「オギが少数の者達連れて、あちこち徘徊して回ってるからさ」 と何でもない事のように言ってのける。 突然の視察なら疑いを抱くだろうが、同盟軍では少数精鋭での行動が少なくないのだと他ならぬ軍主がその行動でもってそれもアリなのだという事実を暗に明言している。 「その思い込みを利用するんだよ」 「……思い込み、な」 さっき、ルックもそう言ってたけど…との呟きには、納得しかねるといった感がありありと窺える。 「人間の思い込みは、それ即ち隙に直結している。そこを突くのは定石だろ」 「―――来たよ」 ぽそりと。聞こえるか聞こえないかの微かな呟きに、シーナとサスケは素早く己の得物を確認しそれとは知れない程度に身構える。 いつでも、何があっても対応できる程度のそれは、程好い緊張感を漲らせる。 「ちょいと、待ちな」 如何にもといった感のある呼び止める声と共に岩陰から現れたのは、6人の屈強な男たち。行く手を阻むように立ち尽くす男の中に、一際異彩を放つ輩を認め、ルックはすっと目を眇めた。男たちを背後に従え、一歩前で己と対峙する男こそが首領だと、一目で知れた。 捕獲する獲物を前にする様からは、一部の隙も窺えない。 「……何か、用?」 ルックを視界に収め、男の切れ長の目が細められた。そして、口角を微かに上げる。 「へぇ、噂以上だな」 男の不躾な視線に、ロッドを構えたルックは冷たい視線を返した。 「僕が同盟軍魔法兵団長と知っての、強襲だろうね」 そう言って浮かべた笑みは、哀しいまでに綺麗だった。 いつもは、綺麗な容姿で人々の心と目を楽しませる魔術師が居するその場所に、この世の鬱を溜め込んだかのような鬱陶しい人物が鎮座していた。 尤も、見目麗しさにかけては、件の魔術師同様一見に値するのだが。 ただの軍主個人への加勢とはいえ、城内で知らぬ者など皆無に等しいその人物の人となりはそれなりに認識されていたからか、そんな状態であっても誰も声さえ掛けられずにいる。 それが出来るのは、かの麗しい魔法軍兵団長と、軍主のみであったろう。そして、今、その内の片方が不在ときては、 「こんなとこで腐ってんなよ」 思いやるとか遠慮するとかの心配りが一切なく、そうぞんざいに言えるのは軍主しかなかった。 目障りにも程があると言ってのける軍主は、彼がそう言う人物がトランの英雄とまで謳われる事実を知らないのではないかと、周囲の者達に思わせる。 「どこで腐ってようと勝手だろーが」 「石板前なんて、一際目立つとこでなきゃ言わねーよ。そもそも、んーなでかい図体して拗ねてたって、誰も慰める気なんてなれねーって」 「………誰が拗ねてるよ」 理解なら、実際したくはなくても出来るのだ。 だけれど、それを認める事が出来るかどうかと訊かれたら、答えは否だ。それと認める事が酷く困難なくらいには、己が彼の石板守に傾ける感情が並大抵ではない事くらい、アカザは知り尽くしている。 「どうしてお前なんだ」 だから、任務と知りつつもそう訊ねてしまったのは仕方ないと、アカザは思うのだ。 それ故に。 「適役―――だからだろ」 その冷たい返答に、機嫌が一気に下降した。 「だからっ、」 アカザのそんな態度も容易に想像がついていたらしいルックは、それ自体には何のリアクションも返さなかった。 それどころか、逆に。 「今のこの現状で、僕以上の適役がいるとでも?」 挑戦的な翡翠に問われ、アカザは言葉を失った。確かに、ルック以上の適役など居ないだろうと言い切れる。そして、恐らく自分が同じ立場でもオギと同じ作戦を立てただろう事も。 「それに―――馬鹿な男たちのあしらい方は、誰よりも心得ているよ」 そう彼に言わさしめるのは、恐らく触れたくない過去に起因するだろうに。そして、彼自身それを良しとしてはいないだろうに。それでも、きっぱりと言い切るその様が、更なるむかつきを煽る。 「これは、軍内の決定事項だよ。だから、あんたの出る幕はない」 彼のその言葉は、これ以上の介入は許さないと告げていた。 誰よりも高い矜持を懸命に守り通そうとする、そんな様を知りつつ。 それを、どうして…どうやれば止める事が出来るというのか。 「……止められる訳、ねー」 それって、矜持手離せって言ってんのと同じだろ…ぽそりとアカザはぼやく。 「確かにルックは、そう言ったんだろうけど?」 人に借りを作る事を心底嫌うルックが、相手が誰であろうと救いなんて求める筈もない。そのくらいにとんでもなく依怙地だという事くらい、付き合いの浅いオギでさえ知っている。 「止められちゃ困る。でも俺は、あんたに行くなとは言ってねーから」 そう言って、オギはにかりと笑う。 「軍としちゃあ、奴等に捕まってる捕虜助け出せて山賊をぶっ潰せりゃいい。いつハイランドが仕掛けてくるか解からねーから、最低人数でそれが出来るやつらを選出しただけの事だ。要するに、作戦に失敗したって、数的には被害が少ない」 まぁ、ルックを捕られるのは一個部隊無くすどころの痛手じゃねーけど…と、平然とのたまう軍主の顔をしたオギに、アカザはすっと目を眇めた。 「お前、軍師なんて要らねーんじゃねーか」 「さーてね」 その口許に笑みを浮かべたまま、オギは大仰に肩を竦めて見せた。 「それでも相手の趣向に合わせると、今回の囮役はルック以外にはまず無理だったからな。……仕様がなく、だ」 悪気もなく言い切って、その笑みを含んだ瞳を挑戦的にアカザに向ける。 「ま、要するに、軍内的には上手く事が運べば方法はどんなだって構わないって事」 挑発しているのだと、アカザは思った。そして、その挑発に乗せられるのを厭う気は彼には当然全くなかった。 山賊の根城は、さほど大きくもない寂れた砦。 しかし、切り立った崖を背後と右手にし、左側は団体で登ってくるのは苦労しそうな緩やかな傾斜の崖。出入り口は、正面だけらしかった。 扉を開いていきなり目の前に乱雑に並ぶ数個の椅子とテーブル、そしてその上に転がる酒の瓶や残飯に、この場が盗賊たちの常時待機する場所だと知れた。奥へと続く廊下の先に、捕らわれている者達が居るのだろう。 そうと知れないように目測しながら、ルックは小さく眉根を寄せた。 ここまでは、作戦通りにコトが運んだ。自分への魔法対策として、案の定水の紋章による魔法無効化の呪を唱えられ、数にものをいわせた山賊達の手に落ちた。シーナは、軽い傷を負った様だったが、それでも指示通りに逃げ出せたようで、今はこの場に居ない。 流水の紋章を宿すように言っておいたから、傷は自分で治すだろうが……。 それより、問題はこの砦の間取りだった。いくら隙を狙うといっても、突っ込んだ途端に数人の敵と鉢合わせするとなると、シーナひとりでは荷が克ち過ぎる。 ルックの隣りで後ろ手に縛られているサスケに視線を向けると、同じ様に状況判断していたらしい少年は微かに頷いた。冷静にこの状況を判断出来ているらしいその様に、目配せだけで答える。 騒ぎを起こすのは、内側からだ。 「朝一であっちの部屋の奴等、引き取りに来るからな。その後、すぐここを発つぞ。 荷を纏めとけ」 一瞬、しんと静まったその場に、 「ここは撤去って事ですかい」 山賊のひとりの声が響く。 「折角の上玉、取り返されるわけいかねだろうが」 揶揄る台詞に、ルックはじっと頭領格の男を睨んだ。そうするルックの態を面白そうに見やり、サスケの縄を握る大男に 「そいつはあっちの部屋押し込んでろ」 と顎で指示する。 そのまま、一番奥の部屋に連行されてゆくサスケを見送っていたルックに掛けられた縄が、唐突に引かれた。 「―――ッ、」 「てめーは、こっちだ」 縄を引いた男は、あの頭領格の男だ。 「明日早ぇんだから、飲み過ぎんな」 「頭こそ、ヤり過ぎて立てねーとか言わねーで下さいや」 煽り囃子立てる男たちの台詞を背に、奥の部屋とは別のもうひとつの扉が開かれる。 ……大丈夫、計画通りだ。 この作戦における成功の鍵は、全て己が握っているのだ、と。知らず竦みそうになる躰を奮い立たせ、自分から部屋に足を踏み入れた。 部屋の四方面に魔術無効の札が貼ってあるのを見、ルックは感心するより呆れた。この程度の結界ともいえぬそれに、過小評価するなと目の前の男を切り裂きたい衝動に駆られる。 寝台脇の机に得物を置き、入口で立ち尽くしたままのルックに再び近寄ると、男は縄をうたれたままの細い腕を無遠慮に掴んだ。 「噂に違わねー別嬪さんだな」 「………」 覗き込んでくる男の瞳を、ただじっと睨み付ける。 それなりに魔力も高ければ、手にしていた武器の扱いも上手く。こんな形で逢ったのでなければ、あの強かな軍主が同盟軍で雇っていた事だろう。 「あちらさんに交渉する前に、」 あからさまに向けられる、欲を隠しもしない視線にルックが身構える間も与えず。 「頂いちまうのが道理だよな」 「なっ、」 その身を引き寄せ、そのままの勢いで寝台上に突き飛ばした男は、自由にならないまでも身を起こし掛けるルックを抑え付けた。 そして、押し退けようと張られた細い腕を、笑みさえ浮かべて捻り上げる。 「―――ッ!」 腕の痛みと圧し掛かってくる男の重みに、ルックは躰を強張らせた。 「心配すんな。俺は上手ぇから」 不遜な物言いに、刹那。 ルックの怒りで紅く燃える瞼裏に、彼の英雄の人を小馬鹿にしたような笑みが浮かんで、消えた。 予想通り……もしくは、予定通りだと、シーナは山賊の砦が窺い知れる場所で、紋章による傷の手当てをしながら溜息を吐いた。 同盟軍の誇る魔法兵団長を相手にしながらの余裕然とした態度から予想出来た通り、案の定山賊が唱えたのは 「静かなる湖」 。水系の紋章を得意としていたらしい頭領格の男が発動したそれは、ルックを封じるのには、正しく打って付けだった。 「おまけに、思ったより強ぇし」 力量で言えば、その他大勢だけならサスケとシーナふたりだけでも倒せただろうと、考える。 問題は、頭領格の男。動きが早い上に、実戦慣れしていた。 実際、あちら側の頭数の所為もあって、情けなくも作戦通り逃げ出す事だけでいっぱいだった。 初っ端から魔法を封じられた時の、ルックの忌々しさを隠しもしない表情が思い起こされ、シーナは口端だけを上げた。 「切り裂きの一発でもかましてやりたかったんだろうけど」 後でひとりで突っ込まなければならない事を考えれば、出来れば少しでも手傷を負わせておいて欲しかったというのが、シーナの正直な所だ。 「あいつも俺も……貧乏くじ、引いてるよなぁ」 「―――あいつは、自分から引いてんだよ」 「ッッ! わ…」 「大声出すなよ、」 不機嫌そのままの低い声と、振り返った体勢でいきなり喉元に突き付けられた棍先に、叫ぼうとした悲鳴を無理やり飲み込む。 「自分から居場所バラしてどうすんだ」 呆れた視線と声音とに、目の前で微かな殺気さえ漂わせて棍を突き付ける男が幻ではない事を知った。 「………アカザ?」 「ボケんなよ、他に誰に見えるってんだ」 「な、んで?」 「アレは俺ンだからな。あんな奴等に貸し出したつもり毛頭ねーし、返還を求めるのは当然の権利だろーが」 あまりにらしい台詞に、棍先が離れたのもあって思い切り肩を落とす。 「………で、どうするって」 突込みどころは沢山あった。が、アカザ相手にそれが無駄なのは解り切っていたので、シーナはそれについてはきっぱりと無視する。下手に突っ込んで疲れるのは、今の現状でなくてもごめんこうむりたい。 「お前の姫様奪還作戦の全貌を教えてくれ」 「正面から突っ込む」 「……お前なぁ」 アカザの作戦とはいえないような作戦に、シーナは大仰に溜息を零した。 「俺たち襲ってきたのは6人だったけど、見張りとかどう少なく見積もっても9人はいる。オギもそのくらいだって言ってたしな。頭以外はんーなに強くはなかったけど、何しろ向こうには人質がいるだろーが」 「だから、そん中から撹乱させる為にサスケ捕まったんだろ」 「………人質5人だぞ。実戦慣れしてないサスケに何とかなると思ってんのか」 「何の為の人選だと思ってんだ。子供でも、忍だ」 人の目を忍び欺いてこその技を、彼らは幼少の頃から実戦さながらの修行に日々明け暮れ、その身をもって覚えるんだと言うアカザの台詞にシーナは軽く瞠目する。 「んーだよ」 「いや、…詳しいんだな」 「3年前に、カスミから聞いた」 「…………手ェ、出したのかよ」 呆れたようなシーナの声音に、アカザは目を眇めて見せた。 「本気のヤツなんて、相手出来るかよ。面倒臭ぇ」 その台詞はアカザらしく、シーナには今更過ぎて溜息も出ない。 「ってーか…何、焦ってんだよ」 ルックの策では、シーナが突入するのは月が中天に掛かる夜中。そう指示されていた。 『男っていう生き物は、寝台上でヤってる時が一番無防備なんだよね』 見慣れたシーナでさえ見惚れるほどに綺麗な笑みを浮かべて、そう言っていた。 「冗談だろ、んーなに待ってられっかよ」 ヤられちまうだろうが―――続けられたその台詞に、シーナはがくりと肩を落とした。 「で、急ぐ訳?」 「当然」 言い切るアカザに、ついこの間までルックの男性遍歴をネタに揶揄っていたのは誰だ、と突っ込みたくなったがそれはしなかった。 抱かれる事でしか己を護る術を持たない彼の石版守を、それまでずっと見守ってきたのはシーナ自身だったのだから。そうしてまで必死に護り通してきた矜持を、そうとまでして護る事もなくなった今になって傷付けさせるのは、それが作戦上尤も有効な手なのだとしても、不本意な事に変わりない。 「流石に今日中にはオギんとこまで連絡いかねーって踏んでる筈だ。ルックが、そんじょそこらじゃお目にかかれねー上玉の上、ハイランドに売り付ければ大金が舞い込むだろう同盟軍きっての魔術士・魔法兵団長殿だって事で浮かれてる。突っ込むなら、今だろ」 で、お前はどうするんだ―――と、おどけるように尋ねられ。 シーナに否と言える筈もない。 隠す必要も感じず渋面を晒しながら立ち上がると、 「まずは、外の見張り。対面で右側お前で、左俺な。音、立てんなよ」 アカザは貧相な砦を睨み付けたままに。 「行くぞ」 闇に紛れ込もうとしつつある、渇いた大地を蹴った。 その刹那。 ルックには、何が起こったのか誠に不本意ながらも理解できないでいた。 圧し掛かり、抑え付け、我が身を蹂躙するに躍起だった男が、枕元の得物を手に文字通り飛び上がり、扉を凝視する―――まで。男の身体から見て取れるのは、切迫した緊張感だ。 訳の解らないままに男の呪縛から逃れたルックは、上身を起こしそちらに視線を向けた。 そして―――。 そこにある筈のない、紅い胴着よりも尚紅い瞳を視界に収め、愕然とする。 「………な、んで」 こいつが……アカザが、今、こんな場所に居るのか。 縛めの縄によって未だ自由にならない微かに震える指先が、引き裂かれた法衣を無意識の内に手繰り寄せ、握り締めた。 しかし、その疑問以上に。 嫌になるほどに知り尽くした筈の、アカザの気配の接近さえ察知出来なかったという事実に愕然とする。 「貴様、何者だ」 すらりと鞘から抜き取った剣を構え、男がそう問うのに。アカザは、見惚れるほどの笑みで応える。 「当然の権利を主張しようと思って」 台詞からも口調からも窺い知れない、燻り立ち昇る怒りの焔が、 「そいつは俺ンだ。返して貰う」 棍の一閃と共に視界を焼いた。 数度剣を交わらせ、到底敵わないという事実の元に、男は相手の実力を知った。 棍捌きには一寸の躊躇いもなく、戦場に立ち命を賭けた場数の違いを見せつける。 男の動揺は焦りを生んだ。振り下ろされた棍を避け、間合いを取った。男は忘れていた。 敵は、対峙する目の前の侵入者だけではないのだという事を。 火花を散らして交わり弾き飛ばす剣と棍の軌道。ルックはそれをじっと目で追いながら、何とか腕の縄を解き、己の動揺が沈静化するのを待っていた。 この男では、アカザに勝てない。実力が違い過ぎる。山賊の仲間が誰一人として来ないのは、シーナとサスケが上手くコトを運べたからだろうと見当を付けはするものの。戦いの場としては狭過ぎるこの部屋から去する隙間も見当たらず、打ち合う得物の甲高い音を耳にしながら、ルックは小さく吐息を零した。 一体、自分は何の為にここに居るのか―――と、自問し掛けたその刹那。 切迫感の漲る男の背が、目前に、無防備に晒された。 「………敵として人数にも数えられてないって?」 それは己が非力で綺麗なだけの魔術師…としか見られていなかった事を、今更の如くに知らさしめ。それが、違えようもない事実故、唇を噛み締めたい衝動を堪えた。 「……それでも、ムカツクんだよね」 不本意ながらも、星の任にて軍に籍を置く自分を楯にも取らないとはどういう事だ、と。訳の解らない怒りまで感じて。 だから、ルックは動いた。 己に背を見せる男を、怒りの赴くままに背後から思い切り蹴り飛ばしたのだった。 恐らく誰一人としても予想もしていなかっただろう事は、男が受身も取れず顔面から倒れ伏したのと、さも驚いたようなアカザの表情で容易く知れた。 やられた方も、目の前で対峙していたアカザも、全く予期せぬ展開に。だけれど、いち早く状況判断し素早く動いたのは、アカザだった。 相手がトランの英雄、しかも背後から蹴り飛ばされた体勢で向かい合えば、どんな使い手であっても現状をひっくり返せるものではなかったろう。案の定、引き際を弁えた男は喉元に棍先を寸止めされ、両の手を上げて降伏した。 「お見事」 揶揄するようなアカザの台詞に、未だにふつふつと湧き上がる怒りそのままにキッと睨み付ける。それが効かないのが解っていてさえ尚、そうしてしまう程に身を焼く怒りは深かった。 だけれど、ルックの場合。高すぎる矜持故に、怒りは根本である己に還る。 「何回ヤられた」 そして、それを知るのがアカザという男だ。 「ッ、………な…んで」 「お前で天国イけた数だけ、地獄見せてやろうかと思って?」 男の喉元に鈍く光る棍先を宛がい、アカザは不敵に笑う。 「……………バッカじゃないの」 最後までされてないのは、自分の姿を見れば解るだろうと、ルックは呆れる。確かに腰帯を取られた法衣は乱れに乱れているが、下衣に手が掛かった様子などないではないか、と。 あまりにこの場にそぐわない会話の応酬から、それまで感じていた怒りが静かにゆるりと、凪ぐ。怒りを還すタイミングを殺がれたルックは、意図的にそうされたのに気付きつつもそれに抗うのはやめた。 この男・アカザの前では、無駄なのだ。 「…ったく」 それらの全てが不本意だというように、ルックは癖のない髪をくしゃくしゃと掻き乱す。 「怪我、ねーか」 唐突に訊かれふっと顔を上げると、視線が合う。深く紅い光を湛えた瞳に自分を映し、そうと意識しない間に緊張感が解けてゆく。そんな他愛のない事でそうなる己がいっそ腹立たしく、ルックはきつい眼差しをアカザに向けた。 「………何で来たのさ」 返したのが問いの返事ではない事で、怪我がないという事は解った筈だ。 「お前を餌にすれば、動くのは山賊だけじゃないって事だ」 「…………っ」 確かに頭を突っ込むなと言った。邪魔になるとまで、言った。 そうとまで言われ、常の状況なら絶対にしゃしゃり出て来るような男ではないことは、ルックが一番よく知っている。 「……オギか、」 普段は切れ者の軍師に使われているように見せながら、現天魁星がそれさえ利用するくらいに強かだという事は解っている。子供の様に無邪気な笑みを浮かべながら、今現在のこの状況を確信しアカザに弁を振るった事など、解り過ぎるくらいだ。 「だとしても、結局最終的に判断して動くのは俺だし?」 「知ってる、よ」 それと知りつつ、アカザは乗せられたのだろうという事も、ルックには解っていた。 「それよか、」 そう、ひと言。未だに棍を突き付けたままだった男の鳩尾に、遠慮もなく一蹴り入れる。 「…グ、ッ」 そのまま失神したらしい男には、最早一瞥もくれず。 「どうでもいいけど、んーな格好してっと襲うぞ」 やけ楽しそうにニヤついた。 「あんたね……一回、その爛れた脳毎切り裂いてあげようか?」 ルックは慌てて乱された法衣を整えながら、床に落ちていた腰帯を取る為に身を屈める。 刹那、頤を捕られ、くいっと引かれて、アカザの紅玉の瞳とかち合う。そして、そのまま啄ばむだけの口付けが、落ちた。 「あー、でもこいつは幸せかもしんねーよなぁ。最後の相手がお前だったから?」 「……だから、何にもされてない……」 シーナとサスケに作戦を指示したのは他ならぬ自分だ。それが、限られた人数でこなせ怪我人を出さずに済む最善の方法だと思えた。 作戦上必要だったからには、男と寝るのを抗う気なんて、微塵もなかった。 だけれど。 圧し掛かってくる重みが。 耳を擽る声音と吐息が。 触れてくる、その指先が―――。 当然、違うのを知っていたのにも関わらず。 ……無意識の内に躰が逃げを打った。 その刹那、躰のどこかが、すっと冷めてゆく気がした。それは、衝撃だったのかも知れない。 3年前から培ってきたものを……目の前のこいつが壊したのだと。 その時、はっきりと解ったのだ。 だから。 「あんたの、所為なんだから」 「あぁー?」 「あんたが、悪いんだから」 「んーだよ、そりゃ」 「いいから! 責任取れよな」 「…………訳解んねーけど。お前が責任取れってんなら、遠慮なく取らせて貰うわ」 あまりに簡単にそう言ってのける男に、ルックは小さく唇を噛む。 「余裕然としてんじゃないよ」 意味も解ってはいない癖に、と睨み付けるとアカザはにかりと笑んだ。 「てめーの事は全部、俺様が責任取って面倒見させて頂きますって言やーいいのか」 「……っ、馬鹿じゃないの」 「てめーが言ったんだろーが」 シーナは開いたままの扉の合い間から、相変わらずの会話の応酬を耳にし。その内容に、作戦に参加した事より余程強い疲労感を覚えた。 そのまま、以後の指示待ちをするサスケに、 「これ、どうすんだって?」 足許で倒れ伏す山賊の山を指差され、変に初心なふたりの痴話喧嘩をデバガメしてしまったシーナはどっぷりと疲れた様そのままに。 「取り敢えず……山賊のお兄さん方は縄で縛っとけ」 あちらは、取り込み中らしいから、とぼやくシーナにサスケは頭を傾げた。 × × × 自室は、高い城の天辺に位置する。 その高さを、オギは吹き付ける風の強さに嫌というほどに感じている。それ即ち、己自身が動ける範囲の狭さにも通じるからだ。 「動けない身としちゃ、一番確立の高いコマ動かすしかないんだよな」 今回の作戦が破綻するかも知れないなどとは、オギは一切心配していなかった。 魔術さえ封じれば、ルックは綺麗で非力な子供に過ぎない。 彼の風貌は目立つが故にエモノになり易いだろうし、それを力で抑え付けるのは簡単だろう。 だけれど、彼には彼にしかない、外的な助力がある。それも、とびきりの、だ。いうなれば、ルックは囮という名の起爆剤投下装置の役を担っていた。 勿論、それはアカザのルックに対する執着と嫉妬、それに想いがなければ成せないものだったけれど。オギはその点には絶対の自信を持っていた。 彼らの存在とその関係であるが故の、作戦。 「戻ってきたら、暫くうるせぇかもな」 その時を思い、あくまでも口調はうんざりと。 だけれど、軍主の口許に浮かぶのは微かな笑みだった。 ...... END
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