彼等の夏事情 時は、夏。 蒸し風呂にでも入っているかのようなこの時期特有の茹る程の暑さは、体力から気力からありとあらゆるものを根こそぎ削いでゆく。 所は石板前。 同盟軍にとってなくてはならないマスコット(軍主談)の魔法兵団長が常駐するその場所。 「………あつ、い」 見掛けは涼やかな彼の麗人の姿は、相も変わらずその場に在る。 彼は常日頃から、氷のようなと一部の者から批評されている。そして、比喩される意味は違えど―――その揶揄する通り、氷のように暑さが苦手だった。 チリチリと、肌を刺すかのごとき刺激は神経を逆撫でする。 いっそ、このままデュナン湖に飛び込んでしまいそうな己を、彼の魔法兵団長・ルックは鉄の意志で諌めていた。 人の視線が多いこの砦で、誰かに見咎められずにそれが成せる等とは、彼は露ほども思っていない。人の目にふれたら最後、何をどう曲解されたのだか解らない噂話が飛び交う事請け合いだ。別に人の噂話など気にはしないが……それでも。なければない方が、精神衛生上極めていいのには違いない。 極めは、連日続く熱帯夜。 開け放した窓から吹き込む風さえなく、それを呼び込む気力さえなく。連日眠れない日々が続いていた。 そして、見事なまでに感じない食欲。湯気の立つ食事を前にしても口に運ぶのさえ億劫で、ともすれば吐き気さえ覚える始末。 そんな日々が続けば、当然だけれど。 儚げな見掛けそのままの体力を誇る魔法兵団長は、真夏の暑さに否が応もなく陥落した。 ゆるりと、重い瞼を開いた先には。 見慣れた天井と、馴染んだ室内。そして、目にも鮮やかな朱色の胴着を纏い、ホッとした表情を浮かべるサクラ・マクドールの姿。 ホッとした態ながらも微かに滲み出ているのが何なのかなんて解り過ぎて嫌になる…と、ルックはうんざりする。この男の過剰なまでの心配性ぶりはどうにかならないのか、とも。 「いつかこうなるんじゃないかとは思ってたけど」 と、いっそ深々と溜息を吐かれても、反論し様がない。 ふっと気付けば、いつもの法衣ではなく夜着に着せ替えられていて。これもこの男がしたのだろう事は容易に知れる。 「夜、眠れてないよね」 それは問い掛けではなく、確認。 ここ数日、暑さの所為で部屋には入らせていないのに……何故知っているのかと不思議に思う。 「食事も取れてないし」 「………暑い、から」 そう、全ての原因はこの暑さ、だ。 自然の摂理に文句を言うのは愚だとは思いつつ、自分が言い訳めいた事をしなければならない原因がそれなのだ。 「それで日がな一日中石板前に立ってて、倒れるって思わなかったとは言わないよね」 「…………」 思い切りにっこり笑んでのたまう男には、最早返す言葉も―――ない。 怒っているなら笑ってみせる必要なんてないんじゃないか、とは思わない。そうする事で、いっそ怒っているという事実を如実に表せる事だってあるのだし。 だけれど……だ。自分と同じ様に、瞬きの鏡の前に一日中のほほんと立っている少女だって、居る。体力がないのに加え、暑さへの弱さを差し引いたとしても。くだらないとは思いつつも、矜持というものを曲げるのは非常に困難なのだ。 己には持ち得なかったそれらを持つ目の前の男には、解らないだろうとルックは知らず唇を噛んだ。 そんな己を見て何を思ったのか、サクラは小さく吐息を零した。呆れというよりは、諦めを含ませて。 「取り敢えず、何か貰ってくるけど……食べてね」 有無を言わせずにそう言い切ったサクラが部屋の扉を閉じるのを見送って、深い溜息と共に寝台に身を沈めた。 うとうとしかけていた、らしい。 ひんやり冷気を含んだ何かに頬に触れられて、ゆるりと意識が浮上する。 未だに気だるさの残る瞼を開くと、再びサクラの姿が視界を埋めた。 「寝てた? ごめんね」 本当にすまなさそうに言われ、起き上がりながら平気だとの意を込めて首を振った。 「そのまま寝かせといて上げたかったんだけど……流石に溶けちゃうかと思って」 「……何が?」 問い掛けた途端、唐突にぬっと目の前に突き出されたそれを見る。 「カキ氷、ってツバキは言ってたけど」 涼しそうだったから貰ってきたと、再び押し付けられて咄嗟に受け取ってしまう。 ガラスの器にこんもりと盛られたのは、きらきらと光を弾く小さく小さく砕かれた氷。 「………色がついてるけど」 初めて見たカキ氷なるものには、氷ならあるはずもない色がついている。 「うん、シロップだって。僕のはメロン味で、ルックのはイチゴ味らしい」 くすくす笑いながらそう言って、スプーンですくったそれを口に運ぶ。そして、 「冷たいよ?」 と小さく肩を竦めて見せた。 「……………」 そんな様をまじまじと眺めて。どうやら、食しても害はないらしいのを見て取ってから、少しだけスプーンに乗せて淡い赤味をのせたそれを口に含む―――と。 「…ッ、冷たい」 口の中で、咀嚼せずとも溶けてゆく。そして、舌にほんのりとした甘味が残った。優しく喉元を流れるそれを、もう一口運ぶ。スプーンごと口に含むと、ひんやりとした涼やかさに自然頬が緩んだ。 それは当然溶けるのだけれど、久しぶりに固形物を口にしたようにルックは思う。心配させるのも当然か…と、そんな事を思ったところでふっとサクラと視線が合う。 「……何、」 「うん? 美味しいね」 「…………まぁね」 美味しいというよりは喉を抜ける冷たさが心地いいのだけれど。そんな些細な言い合いをするつもりもなく緩慢に頷くと、サクラは酷く優しく微笑んだ。 「……何」 そのままじっと見つめてくる瞳に、再び同じ問いを返す。 「うん、全然食べてないのが気になってたから」 だから、こんな身にならないようなモノでも口にしてくれると嬉しい…と、いっそ深く微笑まれれば小さく睨み付ける事しか出来ない。 実際、体力がないのは知り尽くしているから、常日頃から人一倍体調管理には気を使っている。だけれど、必要最低限摂取しなければならないものは、ちゃんと摂ろうとしているにも関わらず、あまりの暑さにそれさえも出来なくなっているのが現状だ。 普段でさえ湧かない食欲が、いっそ綺麗さっぱりと感じられない。 こればかりは己の所為ばかりではないのだから仕方ないだろう、とは思うものの。石板前に立つというのは体力のない身には、己が想像する以上に多大な労力だったようだ。 砦に滞在する間は当然のように食事を共にする男の苦言は兎も角、 「少しでも、食べて?」 そう懇願してくるかのような黒曜石には実際辟易していたのだ。 食べたくなくてそうしてる訳ではないから、余計だ。 それでも、心配させていたのは事実で。 「………なるべく、食べるようには…するけど」 ぽそりと呟いてサクラを見やれば、優しい笑みに迎えられた。あまりに優しい表情に見てられなくなり、それとなく視線を外して最後のひと掬いを口に運ぶ。 耳に届いた笑みを含んだ吐息など、聞こえない振りだ。 「ね、ルックの味見させて?」 「……もう、ないよ」 そのまま、器を傾けて中身を見せる。 欲しいなら、どうしてもっと早くにそう言わなかったのさ、と睨み上げれば、サクラは柔らかに微笑んだ。 「うん、大丈夫だよ?」 思わず後退しそうになったルックの腰を捕らえ、いっそ深く。 氷菓子でひんやりと冷えた口腔内に、生温かい舌が進入を果たし、ルックは咄嗟にぎゅっと目を瞑った。 そっと、誘うような舌先に誘われ。 躊躇いがちに、差し出せば。 いっそ強引なまでに絡んでくる。 奪われる吐息と、掻き乱される意識と……呼び起こされる、熱。 ア ツ イ …と、躰中が訴えかけてくる。 落とさないようにと、しっかりと握っていた筈の器が、自分を翻弄する相手によって取り去られている事にも気付かないまま。 その手が赤い胴着を握り締め、力を失くしてしまうまで、貪るように続き。 執拗なまでのそれは、赤く濡れた下唇を甘く噛まれる所作で漸く終わりを迎える。 整わない吐息で喘ぎながら、そのまま力が抜け傾いだ躰を相手に預けた。勿論、それは不本意なこと、極まりなく。 「……余計、暑くなったじゃないか」 精一杯の不機嫌さを込めて、言う。 火照った頬と身の内から湧き起こる熱に、先ほどの涼やかさなどどこかに吹き飛んでしまっていた。 「……どうしてくれるのさ」 睨み付けてやりたかったけれど、恐らく熱を孕み潤んでいるだろう瞳では、そうする事自体相手の意のままでありそうで。これ以上、こいつの思惑に嵌ってなるものか、と無駄な抵抗になりそうな気がしなくもなかったが、それでも視線は向けずにいた。 そうする自分に返されたのは、くつりと落ちる笑み。 「だって、ずっと触れさせてもらえなかったし、したかったから。それにルックの舌、綺麗な赤色してるし、ね」 言われて、ふっと見上げたサクラの舌の色は有り得ない筈の緑色をしている。 「……着色料、の色か」 納得したが、それでも―――癪に障るのには違いなく。 「ほんと、あんたって…最悪」 そのまま、変わらず力の入らない躰を再び預けた。 だけれどその口付けは。 カキ氷等より、よっぽど甘かった。 ...... END
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