願わくば ―――贅沢はいわない。 望みは、たったひとつだけ。 その日の気分とか天気によって、進路やら目的先の予定変更は日常茶飯事。 っていうか、そうならない方がおかしいくらいで。 まぁ……昨夜、 「どうしても釣りをするんだ!」 と言い張り、書庫の整理という予定を変えさせられた側からすれば、二度目の予定変更は腹立たしい事この上ないだろうけど。 「あんたが行くことに関しては、何も言わないよ」 問題なのは、それに僕を巻き込もうとする事だ―――と、つっけんどんに言われてムッとする。 小生意気なとこも冷たく向けられる視線も、何の感情も見せない時よりは余程子供らしくて、好ましいとは思ってはいる。 それでも、俺とさえ一線を隔そうとする態度にはむかついて当り前だろ? 例え、久しぶり、それも突然訪ねた上、こいつの予定をぶち壊したとしたって、だ。 「ったり前だろ、探索なんてひとりでして何が楽しいよ?」 「………本来の目的が純粋な探索なら、別に楽しくなくっても問題ないじゃないか」 「馬鹿か、お前は」 こいつが救い様ないと思ってしまうのは、こういう時だ。 「何するにしても、楽しい方がいいに決まってるだろ」 食事するとか、勉強するとか、些細な日常生活のひとつにしても。そうある方が、断然いいに決まってる。 「って訳で、とっとと行くぞ」 未だ憮然とした顔付きのままのルックの腕を引いて、向かい合わせにさせる。小さなてのひらと自分のそれを合わせて。 目を閉じて、距離・方位と明確なビジョンをそこから流し込むように伝える。 怪訝そうに目一杯眉間に皺を寄せたルックが呼び寄せた風が、一瞬後にはその地点に身を運んだ。相変わらず、見事な転移だ。 以前に何度か訪れた場所を目前に、 「そうそう、此処」 と周囲を仰ぐ。 一面の空と、腰あたりに纏わりつく風に揺れる草と、目の前には、川。 川原は湿地帯に近い。清んだ水がさらさらと心地良い音を奏でて流れてゆく。 「で、こんな場所に、こんな時間、何を探索しにきたって?」 ぐるりを周囲に視線を投げて、ルックは心底訝し気に訊ねてくる。 「ま、ちょい待ってなって」 「……帰ったら、食事の支度手伝ってもらうからね」 精一杯の報復だろう台詞に、苦笑が浮かぶ。その場に、よっと腰を下ろして、三歩程後ろで仏頂面したルックを手招いた。 「手伝いでもおさんどんでもやってやるから、こっち来いって」 一瞬躊躇して見せ、渋々といった態を隠しもせずに、かさりと草を踏み分けて来る。 「一体、何な訳?」 「こんな場所に、こんな時間でないと見られないものを見に来たんだよ」 「…………つまんないもんだったら、置いてくからね」 「大丈夫だって」 ……多分。 つーか、こんな人気のない場所に置いていかれたら……正直困る。武器以外の普段の旅具は、魔術師の塔に置いてきたままだ。 「ま、座れ」 言いながら袖を引くと、むくれた顔が横に下りてきた。 「あんたって、本当解んないよね」 そうしている間にも日は傾き、辺りが翳ってくる。あまり暗くなると、魔物らが徘徊しだす可能性も高くなるけど。目的のモノも、そうだから仕方ない。 「そうか? 結構単純だと思うけど」 したい事をして、行きたいとこに行って、言いたい事言って。それなりに、自由気ままに過ごしてきたと思う。 それでなくても、身に巣食うコレは人には大き過ぎる制約なんだ。これ以上難儀な事背負い込む気になんてなれっこない。 「次に探索する時に、淋しくならない?」 ぽそりと零された呟きこそが、本心だろう。 「……そん時ゃ、そん時。それに、そんな時は、今度来る時はお前連れて来ようとか思うからv」 知識面でお前に一矢報いるのは、結構楽しいかも知れないし? と、意地悪く言うと。ふんと嘲笑うかのような視線を向けられた。 「300歳にもなろうっていうのに、未だ知らない事がある方が不思議だね」 おいおいおい? 「…………沢山あるだろうよ」 世界は画一的ではない。実に波乱に満ちている。 何百何千年生きたとしても、その全てを知る事なんて叶わないに違いない。 「それに、全部知っちまったら生きてる意味なんて皆無だろ」 ただ生を繋ぐだけ―――なんて、虚しい事この上ない。 「どうせなら、楽しく生きたいじゃんか」 当然だろと言うと、ルックは僅か苦笑を漏らす。 「あんたらしい持論だけど。だったら、あんたは、今……楽しいの?」 それはどういう意味だろうか、とルックの方を振り返ってマジマジと顔を覗き込んだ。いつもの覇気が揺らぐ翡翠に、あぁそうか…と思い至る。 知識や魔力にはそれなりの自信を持つこいつは。だけれど、ルックという個体を誇ろうとはしない。それどころか、周囲が肯定すればするほどに自身がそれを否定する。 どうして、そこまでしなければならないのか。こちらが怯むほどに。 それが、どんなに哀しい事なのか…本人が知らない事は慰めと思うべきなのか。 自己を否定しなければならない根底には、何があるのか。 「ま、退屈はしねーな」 表立って肯定すれば否定するに違いなく。だから、こういう返し方しか出来ない。 「新鮮だし、見てて飽きないぞ?」 「………どういう意味さ」 「言葉、そのままの意味だけど」 真面目に返すと、ピクリと眦を上げてふんと鼻を鳴らした。子供らしい仕草に、つい笑みが浮かぶ。こんな風に、その都度知らない顔を見せて。違う対応を返してくる。 飽きる訳なんて、ないだろ。 長い時の間に色んな人と知り合って、色んな話を見聞きして。 それでも、ある程度の距離は保っていた。他人との時間は、ほんの刹那にしか過ぎない。近付き過ぎて傷付くのも、傷付かせるのも嫌だった。 なのに、何故。 こいつとの距離を詰め過ぎたのか―――と、訊ねられれば。 やはり、真の紋章が間にあるのは否めなくとも、この存在自体に興味を覚えたからだって言える。 日が沈み、空が塗り潰されるのと時を同じくして。 視界に入り込んできた仄かな光に、ニッと笑みが浮かんだ。 「見てみな」 ゆらりと、視界に儚げな光が飛び交う。 指で指し示すと、素直に顔を向けて。はっと息を飲む音と、大きく見開かれた翡翠とに、頬が緩む。 ゆらゆらと。 光っては、消える。 ―――柔らかな灯火が、ちらちらと視界に舞う。 「蛍。綺麗だろ?」 魅入られたかのように一心に光を追う様を横目に見ながら、訊ねる。 「……これが、蛍?」 「そv」 生息地を探し出すのは、結構大変だった。この生き物は見かけ通り繊細で、汚れた水では生を繋げないから。 その光りは、故の美しさを仄めかす。 だけど。 例え汚水に塗れても、踏み躙られても、ルックの翡翠の瞳は変わらずにいるんだろう。それは、こいつの強さに他ならない。 儚さばかりの光よりも、煌く翡翠の瞳が素直に好きだと思う。 ルックの宿す瞳の煌きは、そのまま生命の煌きにも等しく……これ以上もない吸引力をもって惹き寄せられる。 出来れば、ずっと見てたいんだけど。そんな訳にも行かない、し。 ゆらめく仄かな灯りを、じっと見つめたままに。 「暫く来れなくなる」 ぼそりと告げる。と、ちらりと視線が向けられるのを感じた。 その視線に己のそれをゆるりと合わせ、微笑んでやる。 「帝都、入るから」 そう告げると、翡翠の瞳がすっと眇められた。 物好きなとしっかと物言う瞳に、頬笑みが苦笑に変わる。 「戦場跡で、戦災孤児気取ってたら拾われてさぁ」 どこへ行っても、大小問わずに争いは起こっている。そんな中で生きて行くのに、子供でしかない外見は選択肢を狭めるものでしかない。 そんな好転し得ない状況に、正直参っていた。周期的に訪れる後ろ向き状態時に、百戦錬磨と噂の高い赤月帝国の将軍に出会った。 差し出された厳つい手に、一時の安寧を許された気がして。 くしゃりと笑って、その手を取った。 「あの地があんたに取ってどういう場所なのか、解ってて?」 聞かれて、咄嗟に答えられなかった。 会わない間、こいつはこいつで紋章のあれこれを調べていたんだし、傍にレックナートが居たんだから、俺の過去を知る機会ならそれこそたくさんあっただろう。 「あの土地を治める王を、ただの男に戻した魔女が居を置く場って意味でなら?」 「………その魔女が、あんたを気に入り過ぎてるって事も?」 「灯台下暗しって言うじゃん?」 どこに居たって、バレる時はバレる。相手だって、一応真持ちだし、年季でいえば俺より遥かに上だ。 見つかる確立なら、どこに居たって変わりゃしない。 「………捕まったら、鼻で笑ってやるから」 そう告げてくる。言葉は鼻持ちならないけど、僅か揺らぐ瞳が違え様のない心の内を語る。この不器用さが―――こいつらしくて、愛しくてならない。 「俺がんーなドジ踏むかよ」 「あんただから、そうなるかもって思ってるんだけど」 「………」 それは、伝わり難い心配で。 してくれてるのは、至極嬉しい。 だけど、そんな表情をして欲しい訳じゃない。 いつでも、誰相手にでも、常に強くあって欲しい。 お前がそうある事で、俺も強くあれる気がするから。 「こましゃくれ」 「ふん、悔しかったら捕まらない事だね」 あんまりらしい言い方に、苦笑が漏れる。 心配してる様なんて絶対に見せないし、絶対に悟られないようにしているんだろうけど。相手を見てから、やりなさいと言ってやるべきか。ルックの優しさなんて、些細な態度や言葉からでさえ見逃す気は皆無なんだから。 「……何、笑ってんのさ」 声音の低さは、損ねてしまった機嫌の度合いを示し。 「いや、優しいな〜って感動してたv」 「どこをどう解釈すれば、そういう言葉が出てくるのか、一回あんたの頭の中切り裂いて見せてもらってもいい?」 「う〜ん? ルックのお願いならきいてやりたいけどな。そうしたら、泣く子供がいるから?」 「………誰の事さ」 「お前以外に誰が居る?」 「相変わらず、オメデタイ思考回路だね」 相変わらずって、なぁ。 確かに、涙を流して泣かないとは思う。泣かせたくないとも、本心から思う。 それでも、心を殺して表情をなくされるよりは泣いてくれる方がよっぽどマシだとも、思う。 「なぁ、変わんなよ」 世の中の全てが変わったとしても。 「あんたこそ、平和ボケして尻尾出さないようにね」 こいつだけには、今のままで居て欲しいと。 傍に居られない時間を思い、ただ漠然とそう祈った。 願わくば―――この煌く翡翠が、変わらずにいられればいい、と。 ただ、それだけを願う。 ...... END
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