いわば紙一重的な ここ連日続く染み入るような寒さが呼んだのは、雪雲。 うっそりと重みを含んだ色合いのそれから、やがてちらほらと雪が舞い落ち始めると、子供は歓声を上げ、大人は憂鬱そうに溜息を吐いた。 常ならば人の行き来が激しいホールなれど、流石に凍てつくほどの寒さとなればその数も減少する。一切の暖が取れない場所柄故に、人々は足早に去るのみである。 その閑散さが、余計寒々しさに拍車を掛けている。 そんな寒々しい場所ながら、相も変わらず石板の守り人はただひとり、いつもの凛とした姿勢を崩すことなく前を見据えていた。 薄く開かれた唇から零れる息が白い。 が、冷たい風が通り抜ける度、吐き出した息は冷えた空気に浚われる。 「ーから、違うだろ」 ワイワイと近付いてくる喧騒と人の気配に、守り人たるルックは僅か眉間を寄せた。 「そこは、こうだって」 「それ有りかッ!」 「有りだろ」 どっと笑いが上がる。と、同時にホール内に響き渡った。その音量に比例するかのように、眉間の皺が深まる。 「おっ、働き者発見」 いっそ楽しそうな声音が耳に入り込んでくる。 声と共に押し寄せる一行は総勢5,6人なれど、熊やら青いのやら無口なのやら…同盟軍でも一際暑苦しい連中だ。 そして、その一行の後ろから姿を見せるのは、 「よぉ」 さして面白くもなさそうな顔付きのアカザ・マクドールである。色んな意味で、ルックの中の厄介な人物の筆頭に座する男だ。 「………」 無視することでかわそうと試みるも、そんなことでめげるような輩共でない。 「仕事熱心だな」 「寒くねーか」 「………別に」 次々に寄せられる問いに、ルックは不機嫌さも露に返す。 構うな、さっさと行けとの態度が有り有りと窺えるのに、誰ひとりとして従う様子もなく。ルックは心底うんざりとした。これだから、解放戦争時からの顔見知りは面倒だと、溜息を零すことさえ遠慮しない。 「……いい加減に、」 「何考えてんだ、お前は」 そろそろ付き合うのも頃合いとばかりに言い放ちかけた言葉が、アカザのぶっきらぼうな物言いに掻き消される。 周囲の者たちが怪訝な視線を向ける中、美貌の石板守りはぴくりと眉尻を上げ。 「……何が」 向けられた言葉の意が本気で解らないのか、訝しげな表情を見せる。 アカザはすっと目を細め、武器を担いでいるのとは逆の手を、目の前の白い額に無遠慮に伸ばした。逃げる間も与えぬ早業に、額にてのひらを当てられた本人は、だけれどむっと眉根を寄せただけ。 「ほら見ろ、」 そして、鼻を鳴らす男の態度に、僅か翡翠を細めた。 「熱がある」 アカザの台詞に、同行していた者たちが成る程と納得する。 受け答えは確かにいつもと変わらないが、平素とは様子が違っていた。 その内面の強さを垣間見せる翡翠の瞳が幾分潤み、いつもは雪にさえ溶け入りそうなほどに白い白皙の肌がほんのりと赤味を乗せ。ある意味、無防備極まりない。 と、 「俺、この先パスな」 そんなルックの腕を掴んで、アカザは同行者一同を振り返る。 「お、おう」 「行くぞ」 返答などどうでもいいのか、そのまま細い腕を引いた。 引かれる方は最後の足掻きとばかりに。 「どっか行くんじゃなかったの」 「あぁ、鍛錬後恒例の風呂から酒場ツアーだ」 気にすんなと言われ、ルックは何それと呆れながらも 「気になんてしないよ」 と言い放つ。 「お前のそれは、まず十中八九風邪。風邪ン時は、布団に包まって寝とくもんだ」 「……付き添いなんて必要ないんだけど」 「ひとりにしとくとお前休まねぇだろうが」 風邪じゃなくても、体調不良ン時は休むもんだとのアカザの言に、ルックは渋々ながら従う。そんなある意味素直なルックの態度に。未だその場に居、聞き耳を立てていたツアー一行は、どうやらルックは余程具合が悪いらしい…と、皆が皆同じ事を思った。 レストランの出入り口で、測ったかのようなタイミングで現旧天魁星はばったりと出くわした。 「意外だ」 開口一番、現天魁星のオギの口からぽそりと呟かれた台詞に、アカザは 「んだ?」 と頭を傾げる。 「それって、ルックのだろ」 風呂場で顔を合わせた鍛錬ツアー一行の連中が、ルックが風邪で寝込んだであろうこと、そしてその付き添いにあのアカザが名乗りを上げたことを、面白そうに報告してくれた。 アカザもルックもその目立たずにはおれぬ存在故に、この手の噂話はあっという間に広まる。ふたりがふたり共、己の噂話についての口止めを一切しようとしない所為でもある。 そして、目の前にはトレーを抱えた噂の片割れアカザ、その人。 それが誰のものなのか、などという質問は愚だと思ったが、それでも用意された一人用の鍋を指差して、一応確認の為にオギは訊ねる。 「あぁ、そうだけど」 それが何だ、と逆に問われ、唸る羽目になる。 オギの認識するアカザ・マクドールという男が、他人の世話を甲斐甲斐しく焼くなんて、天地がひっくり返る確立と同じくらいにはない。 それは、育ち如何という理由はなく、他という個への興味や執着が薄い所為で、だ。勿論、アカザのルックへの感情が、生半可なものではないということくらいは解っている。それでも、どうしても拭えない違和感というものはある訳で。 「俺の中のアカザ認識じゃ、まず有り得ない図式だ」 「………勝手に誤った認識してんな」 「いや、十人中十人が同じ認識だと思うぞ、俺は」 「ほう〜」 細められる紅玉に、オギはにやりと笑って返す。 「日頃の行いの所為だろ」 強かな現天魁星は、数多の人が平伏し崇め奉り恐れ戦くという解放戦争時の英雄に対してさえ何の遠慮もない。 「おいおい、お前等傍迷惑」 そんなふたりの合間に割って入れる者は、数少なく。 「シーナ」 「ここ、レストランの入り口。解ってるか?」 その内のひとりが、やれやれと肩を竦めながら呆れた視線を向けていた。シーナの言が正しい事を裏付けるかのように、どうしたもんかと立ち往生しているらしい人だかり。 確かに、人の出入りが激しい場所。それも入り口近くで、一般人なら一度向けられれば凍り付きそうな冷たい視線を交し合っていれば、邪魔にもなろうというものだ。 オギは内心、溜息を吐く。面倒だとは思いつつ、 「悪かったな、みんな」 対アカザ用とは異なる柔らかな笑みを周囲に向ける。ほっとしたように場の雰囲気が砕けた。ざわざわと人々が日常に戻る様を確認し、所詮他人事然とでも思ってさっさと脇に避けていたアカザ等の元へと向かう。 この役職は、割りに合わないことが多過ぎる気がしてならない。 「それでどっか変だったのか、あいつ」 と、シーナの納得したような呟きに、話題はルックのことらしいと目星をつける。 「シーナ、昼前に会ったんだろ?」 「なんか違うのは解ったんだけどな。まさか、風邪とは思わなかった」 そもそも、あいつが風邪で寝込んだの見たことなかったし? オギの問いに返しながら唸るのを見、アカザはすっと紅玉の瞳を眇めた。 「お前の記憶でも、そうだよな」 「あ、あぁ。他のことでなら何度かあるけどな」 肯定され、アカザはオギに向き直る。そして、口端だけの笑みを見せた。 「ここ最近、風邪引いてた奴って誰だ」 「あ?」 突然の繋がりがあるのかないのかさえ解りかねるアカザの問いに、当然ながらオギは怪訝な表情を見せた。 「んーだ、それは?」 「あいつはこの間、風邪引くなよって注意した俺に自分は空気感染しないと言い切った。現に 解放軍時には、風邪どころか殆どの奴等が患った流感にさえかからなかった。だったら、今回の風邪がうつされた経緯なんて限られてるだろ」 剣呑ささえ見せる冷たい笑みに、オギは深く溜息を零す。 「お前なぁ」 言いたいことは解った。解ったが……今更というか、心狭過ぎだろうとオギは呆れ果てる。 「ここ最近、ルックにその手の浮名が上がることないぞ」 お前以外の相手とは、と告げるとふんと鼻を鳴らした。 「当然だろうが」 あぁ、こいつはどこまでいってもアカザなんだなぁと、微妙な見解にうんざりとするオギを慮ってか、 「……それよか、さっさと鍋運んでやれば」 流石に猫舌のルックでも躊躇しない程度には冷めてるだろ、とシーナが声を掛けた。 ちらりと鍋に目をやったアカザは、次いでオギに視線を流す。 「この件についてはあいつが良くなってから、追求させてもらうわ」 ひと言言い置いて、とっとと踵を返すアカザという男の後姿に。 「………あれを嫉妬といわずに、何を嫉妬っていうと思うよ?」 オギは、全くもって自分のことには疎い上に、どこまでいっても傍迷惑な奴だ…と、呆れたように吐息を零した。 それはらしいのか、らしくないのか。 あの男の看病で、果たしてルックが安らかに休めるのか否か。 多大な疑問を胸に抱えたまま、オギとシーナは暫しその場に佇んでいた。 ...... END
|