あやまち どうしたの―――? そう問うと、いつものようにきっと睨み付けられた。 そう、いつもの通りなのに。 彼の赤くなった目許や、潤んだ瞳がいつも通りではなくて。 「―――ルック?」 微妙にいつもと違う表情の彼に触れたくて、腕を伸ばしかけて、動かないそれに気付く。 頭だけを起こして見ると、添木にぐるぐる巻きにされた腕が見て取れた。 「…………骨折だから、治癒魔法じゃ治せないよ」 ぽそりと呟きが耳許に届く。 癒しの魔法は傷は治せるが、折れた骨までは完治できない。 それ以外の場所も、申し訳程度の応急処置しか施されていないこの身に…。 やっと自分の置かれた状態を把握した。 ◇ ◇ ◇ 同行していた皆の体力と魔力が、双方ともに限界だった。 『一度、城に戻りましょう』 と、ツバキが瞬きの手鏡を取り出そうとした瞬間、新手の敵が現れた。 「怪我しないでね! 紋章使えないし、薬系もないからね!!」 無理な注文を付けて、ツバキが目の前の敵にトンファーを叩きつける。その姿を確認しながら、真横にいたルックに 「大丈夫?」 と声を掛けた。 「余所見してる場合じゃないだろ」 あっさりと言われ、こんな時なのに苦笑が漏れる。 「笑ってないで、ちゃっちゃと片付けろ!」 やや前方でシーナがキリンジを構えた姿勢で、怒鳴ってくる。…余裕あるじゃん。 棍を一振りしてから、斜め前方でこちらを窺っていた魔物に正面から向き合う。 位置的には、これ以上この場を離れたくはなかったから。 相手が攻撃してくるのを待っていた。魔力の殆ど残っていない彼を、ひとりその場に残して行きたくない―――。 半ば庇う格好になったその彼が、背後で小さく舌打ちをする。 「庇ってなんて要らないよ」 「そんな訳じゃないけど、ね」 無防備に近い君を、放って置くなんて冗談じゃない。 それこそ、気になってまともに闘えない。 幸い今日のパーティは、ツバキが気に入って連れ歩いてる人達ばかりで、かなりの手練れ揃いといっていい。 飛行系の魔獣が滑降して襲い掛かってくるのを、立ち位置をずらしながら棍のリーチを利用して側頭部に叩き落す。 腕から肩に伝わる確かな手応えに、魔獣の絶命を確信しながら、視界の端を掠め己が背後にまわり込もうとしていた別の魔獣には、突きを見舞った。 考えるより先に、勝手に身体の方が反応する。尤も、こんな状況で考えてたりしたら、命なんていくつあっても足りないだろうけど……。 ルックは、突き飛ばされた状態ですぐ側に倒れ付した魔獣を、炎系の札で焼き尽くしながら、その様を表情もなく見下ろしていた。 翡翠の瞳に映る紅い焔―――。こんな時なのに、一瞬瞳を奪われる。 そのあからさまな視線に気付いたらしいルックが、ふとこちらに瞳を向けた。 そして、冷ややかに眼を眇める。 「―――何、」 「うん? 綺麗だなって」 「―――――! 馬鹿言ってっ!!」 怒鳴りかけて、弾かれるように真横に視線を移すその様に―――。彼に襲いかかろうとしていた魔獣を視線の端に捕らえた瞬間、手の内の棍をその魔獣に投げ付けていた。 「ギェー」 魔獣の咆哮が上がる…が、急所は外れた。 悶え苦しむその隙に、魔獣との距離を一気に縮める。手負いの獣が厄介なのは知り尽くしている。 「――サクラっ!」 滅多に呼んでもらえる事のない己の名。間合いを詰めたはいいが、武器を手にしていないこの身で闘うには目の前の魔獣は強過ぎる。ルックもそれを分かってるから、咄嗟に…無意識に名を口にした。 だけど、こうでもしないと……。位置的に一番危険な場所に居るのがルックだから。 魔力の尽きたその身では、敵を滅しきれないだろう。 案の定、傷付いた痛みに見境を無くした魔獣が、手近にいた己が身目掛けて襲い掛かってくる。身を翻しながら、棍の位置を探る。丁度魔獣の背後に転がっているそれに、ちっと舌を打つ。 手が届きそうにない。 飛行系の魔獣に素手では不利―――。 となると…………。右手の甲が、ジンと微かに熱くなる。 今の自分に、確実にこいつを倒せる術といえばコレしかない―――が。 側にはルックが居る。暴走させる気は毛頭ないが…………もし。 それは、一瞬の躊躇。 駆け抜けた恐れがこの身を呪縛した、その刹那―――。 勢いに任せて振り回していただけの魔獣の鋭い爪先が、鼻先を掠め。肩口から胸許に掛けてざくりと肉が抉られる感触と共に、 「サクラッ!!」 悲鳴のようなルックの声。 あぁ、そんな声を上げると、魔獣の注意を引くのに。 この身を裂くような痛みより何より……彼の方が気になる。霞む視界で彼の人に視線を向けた。 思った通り、次の矛先を彼へと定めたらしい魔獣が、大きな羽根を羽ばたかせ旋回の様相を見せる先で。 その華奢な体躯の背をすっと伸ばし、きっと魔獣を見据えたままに。 胸の前で札を掲げて、呪力を発動させようとするルックの姿に。 こんな時なのにほっとした。 ―――大丈夫、彼は傷付いていない。 そう安心したら、ふっと気が抜けた。我知らず、膝が落ちる。 「サクラさん―――!!!」 ツバキの己を呼ぶ声と、ルックが発動させたであろう炎の呪力が獲物を捕らえた歓喜の咆哮が、ほぼ同時に耳に届いた。 肉を焼く音と臭いが、周囲に漂う。 「サクラ!」 頭の上から降ってきた彼の声に顔を上げると、表情を強張らせたルックがこちらを見下ろしながら立ち尽くしていた。 「……ック、大丈夫――みたいだね」 「大丈夫じゃないのはどっちだよ!」 言いながら、癒し系の魔法を行使しようとしたのか……けれど、翳した掌からそれは発動されず、ルックは胸の前でぎゅっと掌を握り込んだ。 そして、きっと小さく睨んでくる。 「何考えてんのさっ」 庇うなんて要らない―――って言ったじゃないか。 そう言う声が、微かに震えていて。 「―――サクラさん!!」 「サクラ!」 駆け寄って来たツバキ等に、 「ミスった……」 苦笑混じりに呟く。 「黙ってろっ!」 ビクトールが、傷口に布っ切れをぐるぐると手際よく巻き付けていく。 「―――つっ…!」 身体中を貫く痛みに、意識が遠去かりかける。 「今、手鏡出しますからっ!?」 慌てて腰に下げた皮の袋に手を突っ込んで、何やらがさごそと探しているらしいツバキの表情が、徐々にその色合いを無くす。 「何やってんだよ、ツバキ!」 さっさとしろよっ!と言うシーナの怒声が響く。 「あっ、でも………………ない、みたい?」 「はぁーーー?」 「だから! 手鏡が、ないんだよっ!!」 悲痛なツバキの叫びに、その場に居た皆が瞬時に凍り付いた。 …………どうやら、ツバキが手鏡を落としたらしい……。 ◇ ◇ ◇ 記憶にあるのはそこまでで。 恐らく、ここはビクトールが言っていた 「この辺に寂れた村があった筈なんだがな〜」 の村なんだろう。 治癒系の魔法も使えず、薬もなくて……ただ取り敢えずという形の止血と添木のみの応急処置しかできなかったのか。 「他の皆は――?」 「……手鏡探してる。あの辺りに落としたのは間違いないから」 魔法が使えない状態の僕じゃ、足手纏いにしかならないから……。 そう言って、ルックは俯く。 ―――足手纏い。 庇われたその身を、足手纏い―――と称したのか。 「……ルック?」 囁くように声を掛けると、華奢なその肩がぴくりと小さく震えた。 彼の弱音なんて聞いた事がなくて……。 いつも、そうあることが当然なんだと彼が彼自身に強いている感が否めなくて。 こんな事を言うと、怒るかもしれないけれど。 そんな彼が、痛々しくて…見ていられなかった。 守ってあげたかった。 「何、やってんのさ……」 余計なことしないでよ…そう言うルックの握り締められた拳が、小刻みに震えてて。 「……ごめんね」 ―――心配かけて。 「…っ、あんたなんて、―――嫌いだよ」 「うん、嫌いでいいから……。泣かないで?」 「誰が、泣いてなんかっ!」 「うん。怒っててもいいから―――」 ―――泣かないで? 「誰の所為だと……っ」 「うん。ごめんね」 泣かせるつもりなんてこれっぽっちもなかった。 ただ、護りたかっただけ。 この身でそれが出来るのなら、こんな体くらい何度だって投げ出すし、傷付けたって構わない。 でも……。 「泣かないで―――」 人前でなんて絶対泣かない君が、泣いてるから。寝台の脇に立ったまま、声も出さずに泣いてるから。 抱き締めたいのに、こんな状態の僕じゃそれさえ出来ない。 その状況が、ただ辛い。 「―――ルック…、こっち来て」 「……………」 「来て―――――?」 でなきゃ、触れられない。 泣いてるのに……抱き締められない。 それでも、ルックはその場に縫い止められたかのように、動く気配さえなくて。 「ルック…」 「……………護られたくなんてないよ」 小さく零れたその台詞に、胸が痛くなる。 「うん、でも僕はそうしたかったんだよ」 何かを自らに課している君は、その心の内の誠までは見せてくれないから。踏み込むことも拒絶するから。せめて、その身だけでも、護らせて欲しい。 「君の為だなんて傲慢なこと言わない。君を護りたかったのは、僕の為だよ?」 君が居なきゃ…生きてなんて、この命に生の意味なんて見出せない。 「こっち来て、ルック」 ふたりの間を隔てるこの距離が、ただもどかしい。動くことのままならないこの身体が、ただ口惜しい。 「あんたなんて嫌いだよ……」 護られる自分なんて嫌い。 自分の所為で、誰かが……傷付くのなんてもっと嫌。 「あんたはそれで――、護って傷付いて満足かもしれないけど…………。じゃあ、僕はどうすればいいのさ」 癒すことも、掻き抱くことさえつまらない自尊心に邪魔されて出来ないのに? 「―――ごめんね、ルック」 「……謝んなくていいよっ、嫌いなんだから―――あんたなんて」 そう言って、ルックは小さく一歩を踏み出す。 「…嫌いだよ」 「―――うん、分かってる。分かってるから……」 やっと触れられる位置まで近付いてくれて、彼はそのまま寝台脇に膝を落とした。 傷のない腕を伸ばせば、やっと届くその位置。 やっと……触れられる。 「嫌いだから……護ってなんてしないでよ」 腕を動かすと、肩口からもう片方の腕にかけて、鋭い痛みが駆け抜ける。 でも……それよりも、君の涙が痛い。 頬を伝う涙にそっと触れ、ゆっくりと拭う。そうされながらも、身動ぎさえしないから…。 「泣かないで……ルック」 痛みを殺して笑顔を向けると、微かに眉間を顰めて―――それでも何も言わずに、ひとつ瞼を落とした。 泣かないで―――? そうさせたのは、自分なのに……。 「ごめんね?」 「―――謝んなくていいって、何度も言ってる」 つっけんどんに言葉を返されて、何となくほっとする。 「………もう少し、寝なよ。ツバキたちまだ当分かかりそうだし」 「うん、ルックも寝よう?」 「な…んで、僕がっ!」 「だって、眼赤いから、皆にばれちゃうよ」 ―――泣いてたのが。 そう囁くように言うと、ぐっと言葉に詰まる。他人に自分の弱み見せるの、極端に嫌がるからね、ルックの場合。 正攻法でいくより、こっちの方がかなり有効だ。 3年前は色んな事に振り回される感があって、彼のそんな面さえ見逃してしまっていたけど―――今なら、分かる。 気付けて……嬉しいんだよ? 「それに、ルックが休んでくれたら魔力回復するよね」 そしたら怪我、治してもらえるし。 「…………あんたにはいい薬だよ」 うん、舌好調だねvv ルック。 泣いてくれるのも怒ってくれるのも、僕の為だって…心配させた所為だって知ってるけど……。 理由が何であれ、やっぱり、泣いて欲しくなんてないから。 「うん、だから寝よう?」 「…………本当に怪我人?」 半ば本気で呆れた様に問い掛けてくるルックに、ひとつ笑みを向けた。 「うん、でもルックがいるから大丈夫」 きっとね、君が傷付いて臥せってるのを側で見ていた方が、こんな傷より数倍も痛いと思うから。 「―――自分勝手でごめんね」 「…………………知ってるから……。もう、いいよ」 悪いと思ってるんだったら、早く傷治しなよ…………。 言いながら、ことりと頭を寝台に落とす。 「―――ルック?」 寝るんなら……言い掛けて顔を覗き込むと、驚いた事に既に寝息を立てていた。 「…………………器用な寝方だね」 子供みたいだ…なんて言ったら、怒るだろう。今の僕じゃ、となりの寝台に運んであげる事も出来ないんだけど……。 せめて、転げ落ちないようにと思って肩に腕を回し掛け、違和感に気付いた。 「……あれ?」 袖口をしっかりと握り締めた彼の手。 寝入った様子なのに、その固く閉じられた手が緩む気配もなく。 ―――いつにないその有態に、随分と心配を掛けたんだ……と今更の如く思った。 「ごめんね…………」 自分が弱いのは分かっている。傷付いた君を見ているのが辛いから、だからこの身で守ろうと思ったのに。僕が傷付いて、君がその所為で泣くのがこんなにも痛みを引き起こすだなんて考えもしなかった。 きっと、この身に受けた傷の痛みより……。 君がその心に受けた傷の方が数倍痛いんだろう。 でも―――ごめんね。 きっと、僕は繰り返す。 何度でも、何度でも―――。 そうして、君をも傷付ける。 多分、きっと……何度でも。 ◇ ◇ ◇ 「―――ルック、サクラさんの具合……」 いつも騒々しいツバキにしては珍しく、静かに扉を開きながら声を掛けてきた。 が、部屋の中の様子を見て口を噤む。 そして、音を立てないように後ろ手でゆっくりと扉を閉めてから、寝台脇に歩み寄って来た。 「…………ルック?」 寝台に頭だけ伏せるルックの顔を覗き込もうとして、首を傾げる。 「寝てるから静かに―――ね?」 「わっ、―――起きてたんですか、サクラさん」 「……静かにって、言ったよね」 言葉の端々に宿る不機嫌のオーラに、ツバキは引きつった笑顔を浮かべ、 「だったら、驚かさないでください」 声を潜めて返してきた。 「―――それより、具合どうですか?」 「痛いけどね…」 心配かけて悪かったね―――。 「いいんですけどね、どうします? 瞬きの手鏡見つかったんですが」 このまま帰ります?―――そう言って、手鏡をこちらに向けて見せる。 「ルックが起きたら…かな。ある程度魔力も戻るだろうし、ちょっと治してもらった方が転移する時楽だと思うし」 そう告げると、ツバキはふーっと大きく溜め息を吐いた。 「ルック……大丈夫でした?」 「―――? 何が?」 んーと、ツバキは胸の前で腕を組み、眉間に皺を寄せる。ツバキの考え込む顔なんて知り合って初めて見た気がするんだけど。 「何か、変だったんですよね。ぼーっとしてて…。サクラさんの容態も気になるから、ここで待機しててくれって言ったら、何だか表情強張らせちゃったし」 ―――で、あの 『足手纏い』 発言なのか…。 そんなに気にしてたんだ。 「―――大丈夫だよ」 ツバキはいつもは落ち着き無くてばたばたしてるっぽいのに、結構目敏い。でもね、ルックのことは放っておいて欲しいかな。彼のことは、僕だけが知ってればいいから。 「…………牽制しないで下さい。僕だって、そこまで命知らずじゃありません」 そもそも、このぐらいの心配、仲間内なら当然でしょ? 「ルックのことに関してはね、心狭いって言われてもいいよ」 「……………退散します。ルックが目を覚ましたら呼んで下さい」 疲れきったようにツバキが言い置いて行くのを、苦笑混じりに見送る。 「悪いね―――」 「もう、慣れました」 静かに閉じる扉。 閉ざされた部屋の中で、耳に届くのは君の微かな寝息。 「……足手纏いだなんて、誰も思ってやしないよ」 そう思わせたのは自分なのに。 ごめんね―――? こんなに傷付けて。 それでも、傷付ける事を止められないだろう自分を、知ってるから。 ごめんね……。 いつも傷付けてばかりで。 僕の望む君と、君が望む君は多分同じで。 それを崩すのは、恐らくいつも僕という存在で。 でも、それでも―――。 きっと僕はそれを止められないから。 ―――だから、ごめんね。 ...... END
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