イアスピス



 風寄せの城に通うようになって、そろそろ一年が経とうとしている。季節も一巡りし、再び春が近付いていた。桜の蕾はまだまだ固く、風も冷たいが人も動物も植物も春に向けて溜め込んでいたものを発散させる準備を早くも始めている。

 「やぁ、ルック。」
 「・・・やぁ、」
 それだけ。たった一言、交わす言葉。
 あんた、また来たの――と言うお馴染みのセリフはいつからか発せられなくなっているのは、彼が諦めてしまうほどに時が経ってしまったのか、それとも―――
 「桜の蕾がね、たくさん付いてたよ。」
 冬が終わるね、告げれば彼の瞳が翳った、様に感じた。
 自惚れだろうか。


 「――――――・・・春が来るよ。」




 寒さから身を隠すようにして家に籠もる冬。移動も春や夏ほどにはままならなくて、不便この上ない。この季節を手放しで喜ぶことが出来るのは子供達だけだろう。
 人々が待ち望む春。
 それだけで、なんとなくうきうきして楽しくなるような季節。
 ―――今は。
 一生来なければ良いと、そう思う。

 到来は、きっと別れに等しいから。


 「――――桜、綺麗に咲くかな?」
 「知らない」
 「きっと綺麗だよね、」
 「・・・知らない、」
 僕は予言者じゃないよ、と呟くように言うとまた黙り込んでしまった。
 話すこともなく、ただ側にいるだけという状況は以前からもあったけれど、最近は明らかに違ったものになっている。溝というほど深くはなく、気のせいと言うにははっきりしている。ちょうど、一本の細い線。見落としてしまいそうで、そこに確実に存在する。
 自分も彼も、言葉にはしなかった。言ってしまうと、明日にでもそれが実現してしまうような気さえしていた。
 まだ、春が来て、雪解の水が満ちるまでは。まだ、このまま―――

 「・・・・・・用はないの?」
 ちらりとこちらを見て、訊ねる。
 「ルックに会いに来ただけだから。」
 微笑み、答えると苦い顔をして仕事があるから、と転移してしまった。
 仕事なら、こんな所にいなくても良いのにね―――
 他人事のように思う。彼が留まっていた理由が何処にあるかなんて、百も承知だというのに。
 普段なら嬉しくてやまないその事実も、今は心に届かなかった。ただ一つのことに侵され、麻痺してしまったようだ。

 彼の仕事というのは、きっと春からの進軍について。

 ・・・・・遠い。


 主ないままに佇む石版が目に付いた。そこに上る名前は違うけれど、三年前と変わらぬ形。
 「・・・・・・・」
 腕を伸ばし、彼の名前を指で辿った。ゆっくりと、何度も。
 他の名前が幾度となく変わったとしても、ここだけは変わらないのだろうか―――彼の永劫は、この板とともにあるとでも―――?

 「―――・・・石版、」
 こんなものがあるから?
 だから彼は縛られ続ける?
 こんなものが――


 彼を捕らえてる?







 「―――――っっ」

 がつっ、と鈍い音が広間に響き渡った。
 多くはなかった人達が、いっせいにこちらに目を向けたのが分かった。けれど、そんなものはどうでも良い。
 打ち付けた右手からは血が溢れ出すけれど、感覚はなくて。わけも分からず腹立たしくて、もう一度躊躇いなく打ち付ける。また、鈍い音が響く。
 手を覆う包帯にまで侵食してきた血と出会い紋章がなき始めた。久しぶりに触れる血。嬉しくてたまらないのだろう――
 それが、さらに怒りを煽る―――――

 「おいっ、なにやってんだよ!」
 振り上げた腕を掴まれ、はっと我に返る。
 「あ・・・・・・」
 石版は血に塗れ、己の手はそれ以上に汚れていた。じわじわと感覚が戻ってきて、
 酷い痛みが走り顔を歪ませる。砕けたかもしれない。石版は汚れてはいるものの、ひび一つ入っていない。
 「・・・どうしたんだよ、お前・・・」
 「・・・・・・・シーナ、」
 呆然と、腕を掴んだままの相手を見る。
 「・・・・・・・・」
 どうしたんだろうね――と苦笑すれば、シーナは自分以上に顔を歪ませた。

 どうしたんだろう。
 こんなことしても・・・無駄なのに。



 「・・・・・・とりあえず、手当て、」
 医務室へ連れて行こうとするのをやんわりと辞退する。
 「ルックにやってもらうよ。」
 後始末だけよろしく、と頼んで返事も待たず彼の部屋へ向かった。






 「あんた、なんてことしてくれたのさ。」
 ドアを開けて開口一番、そういわれた。やはり筒抜けだったらしい。
 「・・・・・・・・怒ってる?」
 「・・・・・・・・・」
 返事はなく、黙々と書類に向かい続ける。

 そんなこと止めてくれと、叫びたかった。
 だってそれは、別れのための準備。遠からず訪れる。
 ――そんなこと、止めて―――


 「・・・・・・手、      貸しなよ。」
 「え?」
 ルックが本当に手を止めたので想いが通じたのかと驚いていると、そうではないらしい。ろくな止血もせずにいた自分の手を気にしたのか、体をこちらに向けて左手に宿した流水の紋章を発動させた。清浄な光があたりに満ちて、痛みが引いていく。
 「ありがとう、」
 お礼を言えば、部屋を汚されたら困るんだよ、と相変らずの言葉。そっけなく再び背を向け書類に向かい始めた。
 邪魔は出来ない。
 本棚から手頃な本を一冊取り出すと寝台の上で読み始めるが、内容はちっとも頭に入ってこなかった。ただ字を辿るのみで、全く意味のない行為をそれでも必死に続けた。



 「・・・馬鹿なことするよね、あんた・・・」
 無駄な事なのに――
 そんなことをいくらしても、どうにもならないのに――
 「うん、でも、  やらずにはいられなかったから。」
 半分意識なかったんだけどね。



 「―――・・・悔しいな、」
 「何が、」
 「僕がこんなに必死で何をやってもルックを引き止められないのに、あれは、その存在だけで君を縛れるなんて・・・不公平だよ、」
 「・・・・・・・・あれの元にいるのは、僕の意思だよ。」
 「・・・うん。」

 それでも、あれさえ存在しなければ君が留まってくれるかもしれないと思うのは―――傲慢だろうか。
 ねぇ、あんなものがなければ、君が自由なら、君はここにいてくれる―――?










 「・・・・・・・桜が咲いたら、」
 一緒に花見に行こう―――――













 彼はこちらに背を向けたまま、何も言わなかった。












 ・・・・えーと?私の記憶では『やきもちやく坊』というリクだった筈・・・なんだけどなぁ(苦)。やきもち?
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ごめんなさい。折角書き直したのにね!!意味なかったね!!(痛)




あんこさまより

 『kazamidoki』(閉鎖)のあんこさんから444を踏んで戴きましたvv
 リクエスト内容は”やきもちやく坊”でございます!
 何をおっしゃいますやら〜♪ 有難過ぎて涙がっっ! 石板に嫉妬…っていうか、ルックを縛り付ける全てのモノに嫉妬してるんですよね!! ルックも言葉少なで…もうもう、どうしようかと!!!←何が?
 書き直しされる前の分も、凄く素敵だったです〜(笑)vv キープ、お願いしますね!!


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