ここから始まる物語 春というには、まだ寒さの残る頃。 16歳にして解放軍を率いる少年は、同じ年頃の魔法兵団長と共に、帝都から300里ほどの離島を訪れていた。 「いい天気だね」 のんびりと森の小道を歩きながら、軍主である少年は空を見上げた。 余人が見れば、少しのん気過ぎると感じるだろう。 何しろ2人は、どちらも年若く、供も連れていない。 島は鳥の声が響き、のどかな雰囲気ではあるが、魔物が徘徊する危険な場所でもある。 解放軍という組織で重要な地位に就く者にしては、無用心過ぎる道行きだ。 何故彼らが、こんな場所に2人きりでいるのか。 それは、この先にいる筈の人物に会うためであった。 いる筈、というのは、不在であることも多いからだ。 彼女の名はレックナート。 門の紋章の継承者であり、バランスの執行者、そして今軍主と共にいる少年魔法兵団長ルックの師でもある。 現状を一言で言い表すならば、師匠に会おうとしたルックに、軍主の少年がくっ付いて来たというだけだ。 春を感じさせる柔らかな風を感じながら、軍主は小さく呟いた。 「もう…一年経つんだね…」 それも、同行を申し出た理由の一つだった。 帝都を出て、解放軍を組織して一年。 すなわち、ルックと出会ってからも一年が経ったということだ。 軍主の言葉に、前を歩いていたルックが振り返った。 何を思っているのか、その表情からはうかがい知れない。 薄紅色の唇が動きかけた時、周囲に殺気が満ちた。 反射的に棍を構える。 声の主は、すぐに軍主達の前に姿を現した。 それは枝葉を一杯に広げた木の化け物だった。 本来この辺りにはいない筈の魔物だ。 またレックナートが呼び出したのかもしれない。 軍主は次々数を増やす妖樹を、棍の一撃で粉砕していった。 だが倒しても倒しても湧いてくる魔物達に、さすがにうんざりして来た頃。 一陣の風が、全てを薙ぎ払った。 魔物も、空気も、満ちていた殺気さえも。 元の静けさを取り戻した小道に、ふわりとルックが舞い降りて来た。 魔物の攻撃から逃れるため、上空を飛行していたらしい。 法衣の裾や、柔らかな金茶の髪が、軽やかに風に流れる。 翡翠の瞳が、これ以上ないほど森の緑によく映えていて、軍主は一瞬言葉を失った。 まるで天使みたいだと、幾度となく感じた印象が胸に湧いて来た。 こんな光景を目にするのは、初めてではない。 芽吹き始めた木々を背景に、美しい魔法使いは帝国近衛兵だった少年の前に現れた。 「君は誰?」 思わず軍主は呟いていた。 あの日と同じ場所、同じ台詞。 そして翡翠の瞳もまた、同じように沈黙を守って瞬いていた。 突然見ず知らずの人間になったような反応をして、驚いているのだろう。 すぐに訂正しようとして、ふと悪戯心が湧いた。 あの時、同様の反応をされ、自分はどうしたのだったか。 そう、確か自己紹介をしたのだ。 「私はアレクシアン・フェル・マクドール。赤月帝国第3近衛連隊所属の者です。星見の結果を頂きに参りました。レックナート様にお目通り願います」 優雅に一礼してみせる。 ルックは少しの間きょとんとしていたが、やがて口元に『小生意気』と称される笑みを浮かべた。 「無駄に長くて、大仰な名前」 本来なら怒り出すところなのかもしれないが、懐かしさを感じ、軍主はくすりと笑みを洩らした。 今思えば、一目惚れだったのだろう。 ルックへの想いは、あの日以来、際限なく膨らみ続けている。 言葉を続けようとして、出て来なかった。 あの時、2人の間に割って入ったのは、今は亡き親友だった。 もうどこにもいない、かつては誰より側にいてくれた大事な友人テッド。 彼がルックに食って掛かったから、怒ったルックが、高熱である己の身も顧みず、軍主達に戦闘を仕掛けて来たのだ。 「もし…あの時、あいつがいなかったら…」 遠い過去を見るような目で、ルックがぽつりと呟いた。 皆まで言わせず、軍主はその華奢な身体を抱き締めた。 ルックが不服そうに見上げて来る。 「こんなのシナリオになかったと思うけど?」 「関係ないよ。あの時テッドが何も言わなかったら、きっとこうしてた」 「初対面の人間を抱き締める気?あんた、とことん非常識な奴だね」 彼が操る風のように鋭い舌鋒も、この温もりの前では気にならない。 絹糸よりも触り心地の良い髪に顔を埋め、頬擦りする。 風の匂いがした。 「どんな出会い方をしようと、どこで会おうとも、俺は君を好きになる」 それだけは自信を持って言える。 どんな条件下であろうとも、自分はルックを求めずにはいられないだろうと。 けれど、あの時テッドがいなかったら、こうなるまでにもっと時間が掛かったかもしれない。 ルックが我を忘れて暴走してくれたお陰で、軍主は彼の本当の姿を知ることができた。 あんなことでもなければ、ルックは決して人に弱みを見せたりはしなかっただろう。 それに関しては、テッドに感謝している。 全てがここから始まった。 この先も、ずっと続いていくようにと願う。 「これからも、よろしく」 挨拶代わりにと、薄紅色の頬に口付ける。 ルックの返事は、いつものように素っ気なかった。 「まあ…愛想が尽きるまでは付き合ってやるよ、天魁星さん」 まったく素直じゃない。 そういうとこも可愛いけれど、宿星名で呼ばれるのはいただけない。 「ルック、名前呼んで」 物足りなさを感じて頼んでみたが、天の邪鬼な唇は、その名を口にしてはくれなかった。 お仕置きとばかりに、ちゅっと軽く口付けてやる。 ルックは赤くなって口ごもってしまった。 「呼んで、ルック」 再度頼み込むが、その唇から妖精のように澄んだ声が洩れることはなく。 ルックは更に赤くなって、困ったように視線を彷徨わせていた。 もう一度、素直じゃない唇にキス。 「ルック」 今度は名前を呼ぶに留める。 目だけでこいねがうと、またキスされると思ったのか、ようやくルックはその名を呼んでくれた。 彼だけが口にする、特別な名前を。 解放軍の軍主を務める少年は、それはそれは嬉しそうに微笑んで、想い人に三度目のキスを贈った。 ここから始まる物語/終
――――――――――――――――――――――――――――
〔 BACK 〕 |