坊 * レン・マクドール |
anniversary
グレッグミンスターの夜は長い。さらに栄えし美しき黄金の都。その名に恥じぬ煌きと喧騒を、夜の帳の中に提示しつづけている。 星なんて見えやしない。 街灯に照らし出されて淡く光る空を見ながら苦々しくそう思う。 大統領のお膝元とあって治安はいい。この時間ならば酔いの回った者もちらほら見受けられるが、それほどの問題を起こすことも無く雑踏に紛れていく。交易が盛んなだけに商人らしい人物をよくみかける。 人ごみは苦手なのだ。普段は制御しているが、ふとしたはずみに周囲の人間の思念を拾ってしまうことがあるから。 考えや感情が読めるわけではない。それでも、いきなり肩が触れ合うような嫌悪感は慣れようとしても慣れるものではない。自分の感情すら持て余すことがあるというのに、ましてや他人のものなど。 一般の人間に比べてそういった感覚に優れているからこそ、自然界の気を読み、操る能力も生まれる。師がその生活の場を人里はなれた場所に求めるのも、そうせざるを得ない状況にあったことも事実だが、人が隠れるには人の中ということもある、それよりも、自らの感覚を養うに適していたからに他ならない。 その下で長く暮らしてきた自分が、今は雑踏の中にいる。ルックはその変化に改めて戸惑っていた。 何を今更。 そう思い直して、自分の感慨を嘲笑う。 人ごみの中を歩くどころか、集団生活までしているではないか。それも2度目だ。およそ人の通わぬ孤島で師以外の人間と触れ合わずに生活をしていた頃に比べたら、それこそ天と地ほどの違いがある。 人の中で暮らすというのは存外難しい。そっけなく、関心の無いふりをしていれば煩わしい会話をしなくてもいいのかと思っていたら、それでもかまわず寄ってくる輩がいる。 毒舌を返しても、嫌味を言っても一向に気にすることもなく、馴れ馴れしく話し掛けてあ げくは行動を共にすることを求めてくる。一言の下に断ることができればよかったのだが、他の者なら間違いなくそうしてきたことも、唯一その意向に従うと決めた師が協力するようにと言いつけてきた相手とあってはそれもできなかった。昔も、現在も。 「でも、今は君に従う理由は無いんだけどな」 そう呟いたつもりの声は独り言にしては大きかったらしく、前を歩く人物を振り返らせた。 「え? 何か言った?」 「別に」 それはそれはルックらしい返事に、かつてはレン・マクドールと名乗っていた見かけばかりの少年は気を悪くするどころか、にこにこと笑った。 「なんだよ」 「ううん。でも、ついて来てくれたんだなあと思って」 「……聞こえていたんじゃないか」 睨み付けてもどれほどの効果があるのか、数年前から知っているだろうと言いたげな悠然とした態度にさらに腹が立つ。よほど帰ると口にしようかと思ったとき。 「もう少しで静かな場所にでるから」 腕を引っ張られた。そのことよりも。 知っていたんだ。 そう悟らされたことに目を見張った。人ごみが苦手なこと。そしてその理由。 一度も話したことなどなかったはずだ。他人と接触することを嫌っていることは大概の人間は気づくだろうが、その理由まではルック自身がこぼそうとはしなかった。だから、彼にも知られてはいないと思っていたのだが。 だが、それはルックの買い被りというより他人に対する関心の低さを示していたろう。 少し洞察力のある人間なら、ルックの感性が鋭いことに気づきそれがもたらす弊害にも予想がつく。ただ、そういった人間たちはその気遣いを悟らせないだけの技術も心得ていただけだ。レンもその一人だったに過ぎないのだ。それでもルックにとってはレンが知っていてくれるそのことが重要だった。 引き寄せられると同時にふわりと肩を抱かれた。何のつもりだと口を開きかけたそこへ、石畳を揺るがす音。道の傍へ押しやられて彼の肩越しに後方を見れば2頭立ての馬車が近づいてくる。人ごみに気を取られて、あんなに大きな音にも気づかなかった。 先に察知した彼がまず自分を庇ってくれたと知って、唇を噛み締めた。小さな子供のように彼に守られたという事実が悔しくて、そして引き寄せられた時に反発と同じだけ高鳴った鼓動に腹が立った。 貴人、要人の多い共和国首都であれば馬車も珍しいものではないのだろうが、どうやらその中でも有名な人物のものであったらしく同じく道を開けた群集がその馬車に注目してざわめいた。その隙に。抱き寄せるレンに身を預けてルックは呪文を唱え、その場から自分たちの姿を消した。 頭上に仰ぐは満天の星。耳に繰り返すのは波の音。嗅ぐは風に運ばれる潮の香り。 腕の中の温もりを確かめながらレンは辺りを見回した。 星のささやかな光に照らし出される白い砂浜と打ち寄せる波。黒々と広がる夜の海の向こうにおそらくは今までいたのであろう大陸の影が横たわっている。 「ここは……」 「……静かだろ」 不貞腐れたようにルックは言って、身体を離すと一人さっさと砂浜を歩き出した。 その後を足早に追いかけてすぐに追いつく。並んで波打ち際を歩きながら暫し無言のまま。波の音だけが夜に歌う。 「覚えていてくれたんだ」 「……何?」 唐突にレンが言った。それを理解できずに聞き返すと、レンは笑った。 「違うの? だからここに来たのかと思ったのに」 「だから、何?」 再度の問い掛けにもただ笑うだけ。特に残念がっているとか、怒った様子もない。 数日前に彼は客将として招かれている新同盟軍の居城を後にした。いつものように同盟軍軍主の求めに応じてやってきて、いつものように数日滞在して自らの仕事が終ったと判断すると帰る、そのくり返しをいつものように実行した。ただそれだけのことだったのだが、その時だけは違っていた。帰る間際、ルックの元にやってきてある日付を告げると、もしその日に何も予定がなければ、グレッグミンスターまで来て欲しいと要求した。 互いに"特別な関係"になってからそれなりの時間が経っていたが、彼からはっきりとした頼みごとをされたのは初めてだった。その理由を問えば、たまには約束して逢ってみたいからなどと甘えたことを言うので、馬鹿じゃないのと返すと、無理には言わないけれどと寂しげに笑われた。そういう顔をすればルックの気を引けると十分に計算している。そのことはわかっていたはずなのだが、口にした答えは約束はできないけど、覚えてはおくよというものだった。とんでもなく甘やかしている。その自覚もあったが、行かない理由になるだけの予定もなく、行きたくないと思う理由もなく、結局は彼に逢いに行くことを選んだ。 一日の仕事を終えてから出かけたので夜になった。ルックには移動のためにとる時間が必要ないからそれでも十分だったが、待ち合わせの場所としたグレッグミンスターの広場にある噴水の前についたのは彼よりも後だった。旅行用の外套を目深に被って旅人の様相をしているのは変装のつもりらしい。故郷の地では外に出ることを好まない彼であったから、何故自分の家ではないのかと訊ねると密会っていうのもいいだろう、と宣った。何をしたいのかまったくわからずに街の中を引きずりまわされたので、その意趣をこめて強引に自分が一番落ち着く場所に連れてきた。あの雑踏から逃げ出すのにここを選んだのはグレッグミンスターからもそう遠くはないことと、自分がよく知る土地であったからだ。だが、彼は別の意味を見出しているらしい。 ここはルックがある一定期間を師匠のレックナートと共に過ごした場所。魔術師の島と人は呼ぶ。 そしてこの島をでるきっかけになったのは……。 「あ……」 立ち止まり小さく呟いて星を仰ぐ。目印となる星を探し、星座の位置を確認し、今日の暦を確かめた。そして確認できるだけの情報を持っていたことに気づいて、自分自身が驚いた。 「……君が初めてここに来た日だ」 「僕がルックと初めて会った日だよ」 穏やかな笑みは崩さぬままレンは訂正した。 「よくそんなこと覚えているもんだね」 今日だから逢いたいというその感慨を嘲笑ってそう言った。もうひとつの感情は隠して。 「僕には特別な日だったからね」 彼がこの島に来たのは帝国近衛隊としてレックナートの行う星見の儀式の結果を受け取るという仕事のためだ。彼にとっては帝国に仕官しての初仕事だったという。だが、おそらくはそれよりももっと深い意味を持って彼はそう言ったはずだ。 己の運命を告げられた日。 現在、彼の仕えた帝国はなく、彼は生まれながらに持っていた姓を自ら名乗ろうとはしない。 「……恨んでいるの?」 否定の言葉を期待したのか、頷いたら自分はどうするのか。わからないままに問うていた。彼はどちらもしなかった。 「何故?」 ただ静かに笑ってそう問い返した。 ずるいやり方だ。何故と、そう訊ねたいのはルックの方なのに。 何故、そうやって笑うのか。 「ルックに会えたのに」 何故、そうやって君が求めるのは僕なのか。 彼が失ったものを埋める存在として求められるなんてまっぴらだ。 そう思うこともあるけれど。 その瞳で見つめられて、その声で名を呼ばれて、その腕で抱かれて。 ただそれだけのことで充たされる想いを彼によって知った。 砂を踏む音。 縮められる距離。 伸びてきた腕。 触れる温もり。 耳元で囁かれた彼の声。 目を閉じてそれを受け入れて、再び目を開く。縋りついた彼の肩の向こうに広がる星空。それを映す夜の海。 星は巡り、波は寄せて返すを繰り返し、けれど同じ日は2度と来ない。失った時間は戻らず、失った人は還らずに、生きていく限り悲しみの日々を繰り返すのならば。 その悲しみを癒してくれる相手に、この道の先に喜びを見出せる相手に巡り会えたことこそが生きる標になる。 幾億の光の中から見出したたったひとつの星に。 巡り来る日のただひとつに想いをこめて。 同じ言葉を囁いた。 ―――――君に会えて良かった ―終― |
SAKIKOさんのサイトで一周年記念お持ち帰り自由となってましたのを有難くも強奪致しました♪ だって、SAKIKOさまの坊とルック、大好き! なんですよーーー! いいですよね〜vvv ふたりとも可愛くて格好良くてv 「おまけ」の夫婦漫才(?)みたいなやりとりも、是非読んで堪能して下さいませ! |