経験ないというわりには手馴れた様子で人の服を半分ほど剥いだ男に言うには、本当今更な台詞かも知れない。
 だけど、だ。
「この際だから言っとくけど、俺、童貞のヤツとは寝ない主義だから」
 ベルトにまで伸びていた手をやんわり払いながら、見事に硬直した男に意地悪く笑みを浮かべて見せた。






不完全恋愛距離感





「で、飛び出して行っちゃった、と」
「………」
 それはそれは凄まじい勢いで飛び出して行った男の様子を見ていたらしい紅一点・ゼシカ嬢は、その後を追うでもなく何故か真っ直ぐに俺と件の男が本日寝泊りする部屋へとやって来た。
 脱がされた服もそのままに、寝台から起き上がれずにいた俺の格好に驚いた風もなく、 『洗いざらい白状なさい』 両拳を腰に当て、ついでに胸まで張って開口一番そう言った。
 彼女のこの迫力に、抗えるヤツが一体全体どこに居る…とばかりに、事の発端を白状させられた訳だ。
 返されたのは、実に冷たい瞳。
「っていうか、よ。実際そこまでいっといて、そんな台詞吐く?」
 本当に呆れたという風に肩を竦めるゼシカには、反論できない。
「今更でしょ?」
 何をそんなに怖がってるのか、と問われて視線を逸らす。言い当てられて、外野のゼシカに解るこんなことが何故あいつには伝わらないんだろうと歯痒く思う。
「フェアーじゃない、だろ」
「フェアー?」
「あいつは男も女も知らないから……そんな状況で男抱いて、」
「戻れなくなるかも?」
「ッ、」
 そう、その通りだ。
 それでなくても同性ってことで先行きがあるかないかさえ、あやふやなのに。
 選択肢なんて、それこそ山ほどある。だけど、初っ端から間違ってる可能性の高い選択をしなくても…と、素直に思う。
「そういうこと、本気で思ってるとこがあんたよね」
「………」
 言い返す言葉なんて、俺には持ち得ない。
 一見我が侭なようでいて案外、ゼシカは面倒見も気もいい。キツイ言い方も苦言も、彼女なりの優しさからくるものだ。
 トロデ王にしてもヤンガスにしても、馬姫さんにしても……今自分を取り巻く周囲は温か過ぎて、真綿で包まれてる心持ちになる。
「あんたは、彼の何を見てきたの?」
 知ってる。
 だからこそ、あいつの想いの深さが怖くなるときもある。
「彼は、あんたが思ってるほど子供じゃないわ」
 扉を開けての捨て台詞に。
 子供じゃないから、面倒なんじゃないか、と。
 再び寝台に倒れこんで、自嘲の笑みを刻んだ。




 足許から、僅か乱れた敷布の上へと。朧げな月影に、窓枠の位置が移ろう。
 移ろった距離は、あいつが飛び出して行ってからの時間の経過そのもので。だけれど、俺は全く動けずにいる。
 生っ白い腕を持ち上げると、腕に影が纏わりつく。
 数ある選択肢の中から選び出した結果に後悔するのと、全く選択肢を持ち得ない状況ではどちらが幸福なのだろう。
「……っ、意味ねぇ」
 そのまま、ギュッと拳を握り締める。
 もし仮に、数多の選択があったとしても、きっと自分は今と同じ選択をした筈、だ。何も変わりはしない。
 力を抜いた腕が重力に従って敷布の上に落ちるのを他人事のように、瞼を落とした。
「…ク、クールっ、」
 刹那、悲鳴に似た響きが耳を打つ。緩慢に視線を向けると、飛び出して行ったっきりだった男がいつの間にやら戻っていたらしい。
「……?」
 震える声音と強張った身体に垣間見えるのは、怯えか戸惑いか。
「なんだ?」
「連れて…行かれるかと思って」
 連れて行かれる? 何処へ? 誰に? あぁ、そういえば、月の光りに扉を開く異世界の住人とか居たよな。
 こちらに伸ばしかけた手を引っ込めて、ぎゅっと握り込むさまを目にし、小さく鼻を鳴らした。
「俺はどこへも行かねーよ」
 そもそも行く場所など…行きたい場所など、ない。
 ましてや、連れて行かれるなんて他意に、易々と順ずるなんて俺の主義じゃない。
 心細そうにこちらを見やってくる黒檀の瞳を、じっと見返す。そらすことなどしない。今そらしたら、二度と向き合えなくなる。
 と、常に俺を捕らえてきた視線がゆらりと揺れ、そして落ちた。
「ごめん、やっぱり……イヤだ」
 ひゅっと、喉が渇いた音を立てる。
 それでも、 「………なに、が」 問う。
「ククール以外の人になんて、触れたくない」
 それに、他の人と関係を持たなきゃならない意味が解らないと真摯な瞳で見上げてくる。
「ククールとしたい」
 澄んだ黒檀の瞳が、ただ俺だけを映す。
 こいつはきっと、どんな選択肢を選んでも後悔なんてしないんだろう。
 どれを選んでも胸を張って笑える、そんなヤツだ。
 ―――だけど、俺は違う。
 俺はこいつほどに、強くはない。
「僕、待つから」
「ーーーッ、」
「待てるから」
「……んーで、そーなるッ」
 違うだろ?
「何で、お前が待つんだ」
 それじゃ、逆だろ。
「うん。だけど、今のままの僕でもいいって思ってくれるまで、待つから」
「………ッ、」
 何なんだよ、お前は。
 どうして、そんな風に盲目になれるんだ。
「ククール?」
 冗談じゃねぇ。
 今まで思い通りになったことなんて、実際皆無だけど。そん中でもこいつに関しての諸々はその筆頭だ、けど。
「馬鹿じゃねーのか」
 大概、それを嬉しくさえ思う俺自身の心だって、思い通りになってるとは言い難い。
 だから。
「俺は、待てねーよ」
 台詞の意を解しきれず、瞳を丸くしてきょとんとこちらを見つめる様に。
 保身とか計算とか。そういう大人の都合が通用するしない以前に、こいつの前には全部消えてくのを痛感した。
「ククール?」
 名を呼ぶことで訊ねてくる。
 訝しむ声音に、もう逃げ道なんてとっくの昔に閉ざされているのを再認識する。
「仕方ねーから、もう今ンままでいい」
 そもそも変わることなんて、求めちゃいなかった。
 その瞬間を前にして、今更の如く受け入れる覚悟を決める時間が欲しかっただけだ。だけど、何かこいつ見てたら、そんなの全部要らない努力に思えてきた。
「……して、いいの?」
 恐々訊ねてくるのに、眉間に皺を寄せたまま。
 ただし―――と。
「悦くなかったら、次はないと思えよ」 最高の脅し文句を口にする。
 訳の解らない悔しさ故の、八つ当たりだ。
 案の定、うっと唸って固まったが、 「で、どうすんだ」 容赦なく挑むように笑んでやる。
 と、子供のようにムッとむくれ。
「ヤ、るよ!」
 予想に違わず挑発に乗ってくれる。
 内心ほくそ笑みながら、腕を伸ばしてやった。
「じゃあ、来いよ」
 さっきの勢いはどこへやら、おずおずと手を取って。そうして、わずか上目遣いに見上げてくるから、首を傾げることで促す、と。
「ハンデ………つけてくれる、よね?」
 真剣な顔して尋ねてくるのに、思わず噴き出した。
 真っ赤な顔して睨みつけてくる様が、いっそ笑いを煽る。
 ったくガキだな。
 俺は悦くなかったらって言った筈だ。下手だったら何て言ってやしない。初心者に技量なんて求める方が愚かだろーが。言葉の裏を読めよ。
 だけど俺は、こいつのこういうところが嫌いじゃないのかもしれない。
 笑い過ぎて腹が痛むのを宥めつつ、
「ま、考えとくわ」 横柄に返した。
 こんだけ翻弄されてんのに、これ以上図に乗らせて堪るかと、子供染みた依怙地さを発揮しつつ告げることはしない。
 つーか。
「取り敢えず。次より今だろ」
 今のお前にそんな余裕あんのかと意地悪く問えば、むくれながら手を伸ばしてきた。
 ぎこちなさを残し、それでも違えることなくこちらを捕らえた。


 指先が辿るそこここから、熱が灯る。
 じわりと深まり、そして…ゆるりと広がる。
 触れてくるてのひらと、生じる熱は全てを溶かす。
「…ッ、」
 思わず抑え切れない声が漏れて、羞恥が上塗りされる。
「お前…っ、しつこい!」
 いい加減、あちこち刺激されてこっちは息も絶え絶え状態だってーのに。
「だって、最後かもしれないから」
 物言いは殊勝だが、絶対にそのままの意味でない事は明らかだ。
「んーな、時まで謀ってん…ッ、な」
 畜生っ、まともに声も出せやしねー。
 それでも、何とか振り絞った台詞に返されたのは赤く上気した顔と、
「そんな余裕あると思う?」 不本意だとでもいうような物言い。
 確かに、初めてであることはぎこちない触れ方やら、時折逡巡する様から解ってはいるんだが。何か無性に割り切れない心持で、見下ろす男を睨み付ける。
 と、朱色を刷いた肌が更に色味を深めた。
 ククール……と、上擦った声が名を呼ぶ。
「煽るの、反則」
「は?」
 誰が、何を、煽ってるって?
「忍耐力の限界にチャレンジしてるんだから、追い詰めないで」
「??? 何だ、それは」
 思い切り解んねーんだけど。
「経験豊富って割りに、自覚ないのがククールたる所以だよね」
「馬鹿にしてんのか」
「まさか! 可愛いって言ってるんだよ」
「全くもって嬉しくねぇ」
 そもそもそういう言葉は、色事中のエロ親父等にしか言われたことねーし。
 ……うっあ〜 何か…萎えてきた。
「も、ヤんねーのか」
 有り得ないとは思いつつもそう訊ねれば。
「まさか、ヤるよ」
 案の定、憮然とした声音と噛み付くような口付けが降ってきた。




 薄っすらと重い瞼を開くと、一番に視界を埋めたのは緩みに緩んだ黒檀の瞳。
 いつもの抱き枕やら布団やらとは違うのが不思議で、何だ? と身を捩った刹那、襲われた倦怠感と腰の痛みに 「ーッ、」 情けなくも呻く破目になる。
「大丈夫?」
 黒檀色の瞳が慌てて、心配そうに訊ねてくる。
 そうだった。こいつが全ての元凶じゃん、と思い至り眉間に皺が寄る。
「……ぅ」
 声帯を通して零れてくるのは、既に声などといった代物とはいえないほどに、掠れている。その声で囁かれると腰が砕けると絶賛される俺の美声を返してくれとばかりに、幸せそうに顔を蕩かせている男を睨んだ。
 全くもって、応えた風はないが。
 ………つーか、だ。
 ムカつくほど散々喘がされて、啼かされて、イかされて。
 何度追い上げられたか、なんて覚えてやしない。
 胸を占めるのは、明らかに敗北感だ。
「てめー……本当に、初めてだろうな」
 そう訊ねてしまうくらいには、上手かったように、思う。
「何度も何度もシュミレーションしたんだ」
 しなやかな後姿を見ては。
 風呂やら泉やらでの肢体を観察しつつ、果てはあどけなささえ見せる寝顔まで。
「………変態くさい」
 それよりなにより、四六時中、こいつは人のことンーな目で見てやがったのか!
 それでなくても体力削られて寝台に沈み込んでるとこに、その事実が余計にムカつきに拍車を掛ける。
「だけど、そう言うってことは悦かったってことだよね!」
「………」
 本当のことを告げてやるのは、凄っげー癪だ。
 と、ムクムク胸に湧き上がるのは生来の負けん気。
 だけど。
「ねぇ、ねぇ、どうなのさ」
 無邪気を上回るしつこさで問い質してくるのに返答しなければ、きっとずっと続くのは目に見えて。
「…………不本意、だけどな」
「不本意って何さ」
「うっせーな、言わせんな」
「ちゃんとククールの口から言ってもらわないと解んないよ」
 だからそこで唇を尖らせて、むくれてんなよ。
 解ってないなんて有り得ないだろ。んーなに俺の口から言わせたいのか!
「あー、畜生ッ」
「ーわッ」
 おざなりに羽織ったシャツの胸元を、手荒く掴む。そして、勢いをつけて引き寄せた。
 それでなくとも視点が定まらないほどに近い距離を、一気に縮め。
「……こういうこと、だ」
 離れた唇で、答えを告げる。
 呆気にとられたままの間抜けた面が、ちょっとだけ溜飲を下げる役割を果たした。






END



2005.11.10
 入谷市(主クク文庫)さま発行の『主クク小説アンソロジー 8対9』へ寄稿させていただいた怪文書です。
 当時主クク歴3ヶ月の月ノ郷。大好きな入谷さまのサイトへ日参しつつ、主クク萌を満喫させていただいてました。と、とある日アンソロジー本発行のバナーを見つけ、あまりの嬉しさに、こそりと日誌にリンク貼り付けたのが事の起こりといえば起こりだったのでしょうか(笑)。
 その後、主クク取り扱い率超低い我がサイトにいらして下さっていたらしい入谷さまから、リンクのお礼とアンソロジー本へのお誘いをいただきました。もう、びっくりするやら勿体無いやらで……メールいただいたハイテンション状態のまま「お願いします」と?
 読み返せばいろいろと思うところはありますが(誤字二箇所もあったし!)、凄くいい経験をさせたいただきました!