泣きたくなるほどに − 1 同盟軍内で術を使わせれば一、二を争う程の魔術師である石板守と、未だ人々の記憶に新しい三年前の解放戦争の立役者である当時の天魁星が、いわゆる恋仲へと進展してからおおよそ一月。 二度目の満月を明日に控えた石板前。 「―――ヤらせろよ」 いきなりな上に直接的な台詞をさも当然のように囁かれ、石板の守主であるルックはキッと目の前の男を睨み付けた。 「な…に、考えてるのさ」 人目の絶えない場所で、思い切り深い意味合いの台詞を吐いた男は、 「勿論、ヤる事v」 等と本気なのかふざけているのか解らない返事を飄々と返す。 そんなところも思い切り”らしい”とは思うものの、この男のそんな”らしさ”を許容するのは並大抵の精神力ではまず無理だ。 そんな男の名は、アカザ・マクドールという。 あの日――シーナに言わせれば、恋仲へと成就した日…らしい――から、相変わらずふたりが言い争うのは変わらないが、その内容が180度変わった。 大抵、アカザの下ネタから言い争いに発展する。 「…………情けない」 昼間から、こんな人気の多い場所でこんな不毛な言い争いをするなんて…。情けなさ過ぎて頭を抱えてしまう日々をルックは送っていた。 遠目で見ている分には、真面目な表情をして言い争っているので、そのような会話が交わされてるなんて知る輩は少ないだろうが。 「………嫌だよ…あんたとするとキツイから」 あの後、何日寝込んだと思ってるんだ、とルックは翡翠の瞳に僅かに怒気を含ませながらアカザを睨み付けた。 勿論、ルックにしても行為自体は初めてではなかった。どころか、経験でいうなら同じ年頃の者とは一線を隔すほどにこなしてきていたのだが……他の者を相手にしてる時は、主導権は常に彼自身が要していたし後々まで後を引くような、そんな抱き方は許さなかった。 「仕方ないだろ、男相手は初めてだったんだから」 そんな事、いい訳にはならないだろうとルックは眉根を寄せた。 「それに、初めて好きな奴とするのに、抑えなんて効くかよ」 アカザから”好き”などという好意を示す言葉を言われると、ルックは咄嗟に反応できない。それまで誰とでも関係を持っていたらしいアカザの口から発せられるには、それはあまりに違和感を伴う台詞だからだ。 それ以上に……。己の身で欲を潤そうとする輩は、そういう言葉をまるで日常会話の挨拶の如く振り撒く。故に、その言葉はルックにとっては”寝たい”というそれと同義語に近かった。 恋仲になったとはいえ、想いに肉欲が付随するという感覚がルックには解らない。それは彼自身が、想いがなくても肉欲だけで人は人を抱けるのだという事を、嫌という程に知り過ぎていたからに他ならない。 「…………………今日は、」 「聞こえねぇ、お前は俺に禁欲生活強い過ぎ。一月だぞ、一月。今までだってこんなに間を開けたことねぇってーのに」 「……威張って言うような事?」 それに、ルック自身の口からは他の者と寝るなとは一切言ってないのだから、他所をあたればいいのではないかと正直思う。それ程自分に拘る必要はない筈だ。そんな殊勝な男でない事は、ルックは元より知っているのだから。 「俺はお前としてーの! 兎に角、今夜! 俺ん部屋来なかったら押し掛けるからな」 きっぱりと宣言して踵を返す男の背に。ルックは、遠慮も何もなく大きな溜息を吐いて見送った。 殺気を全く窺えない気配を黙殺するのは、同盟軍の本拠地において当り前になさなければならない事だった。でなければ、雑多な種族が渾然と寄せ集まった場所故に、呼吸さえままならなくなる。 だから、アカザはこの時もそうしていた。 それ以前に、多大に浮かれていた所為もあって、全く周囲に注意が向いてなかったという事も認めなければならない。 そうとでも理由付けしなければ、武芸全般に秀で棍捌きにおいては達人とも噂されるアカザ・マクドールともあろう者が、今まさにその身に及ばんとする危機に気付くのが遅れるなどという失態を犯す筈はないのだから。 「―――マクドールさんっ!?」 悲鳴といっても過言ではない叫び声に、ふっと視線を上げた瞬間には既にそれは彼の目前まで迫っていた。 後に―――。 『凄い音がしたんです。そう……表現するんだったら、カッポーーーンって感じの』 と目撃者が証言するように、トランの英雄、アカザ・マクドールは、見事としか言い様のないタイミングで顔面にそれを喰らった上、受身を取る間もなく倒れ伏したのだった。 真に情けない事ながらも。 ...... to be continue
|