それは、運命か < 4 > −サクラ、事を成す− 案の定、レックナートがルックに告げたのは 『不老不死』 という名の呪であった。 告げた途端、ルックは酷く困惑した顔付きで、縋るように師の白い面を見上げ。やがて、 「……失礼します」 小さく言い置いて部屋を出て行った。 「少々貴方を見くびっていたようです」 後を追おうとしたサクラを引きとめたのは、レックナートの一切の感情を窺いさせない冷たい声音だった。それは明らかに、ルックの診断結果を待っていたサクラに向けられていた。 「意趣返しとか、そういう意味で取られても困るのですが」 そもそも、感謝しこそすれ憎む理由などないではないですか、と当然のように言ってのける。 「でしたら、どういった意味合いです?」 「………刻を極めた術者、そのものの希少性、です」 サクラの台詞に、レックナートの瞳がすっと眇められた。 「現在、いるかどうかも解らないと…聞きました」 ナナミの師匠は、故にナナミを手離せなかったのだろう。ナナミに聞くに、その師でさえ未だに全てを極めてはいないと言っていたらしい。故に、幼少期にたった1度、偶発的・突発的に刻の魔術を発動させたナナミをなかなか手離せずにいたのだ。 「いつ出会えるとも、ましてや現存するかどうかさえ危ぶまれるその存在を、ひとりで待つ事は出来ないと思ったのです」 「では、何故あの子なのですか」 「……彼なら、呪いを受けるのでは…と思ったのも確かです。が、それ以上に彼と一緒にいたいと思った―――と言って信じてもらえますか」 レックナートはその言葉に、軽く瞠目し、そしてゆるりと左右に頭を振った。 「信じる事、だけなら簡単です。ですが、貴方は…」 「僕に含むところは一切有りません。ルックの傍にいたい、傍にいて欲しい、それが彼に呪いを掛ける事に寄って叶うなら……そう思った、それが真実です」 きっぱりとそう言い切ったサクラの黒曜の瞳は、己の言葉に嘘はないのだというかのように逸らされもせず。逆に、視線を落としたのは、レックナートの方だった。 「ルックを捜しに行きます」 用は済んだとばかりに踵を返すその背に、レックナートはルックの行き先を告げる。 「…………ルックなら、書庫でしょう。あの場所は酷く落ち着けるらしいですから」 背後から届く言葉に、サクラは小さく頭を下げた。 書庫の重い扉を開き、薄暗いそこへサクラは足を踏み入れる。 暇つぶしにと何度も訪れたが、両脇からずっと部屋の奥まで立ち並ぶ本棚には溢れ返りそうな程の本が収められ、視界をいっぱいに埋める。相変わらずの壮観さに、サクラは威圧感さえ覚えながら、歩を進めた。 「……ルック?」 静まり返った書庫に、ルックを呼ぶ声だけが渡る。 ルックはいつもは脚立の上を定位置に、そしてたまに本の隙間に埋もれるようにして一心不乱に読み耽る。念の為にと、脚立までの距離に所々に小積みにされた本の山の隙を覗き込みながら、サクラはルックの定位置へと歩みを進めた。 「ルッ……」 やはり、その書庫の一番奥に、捜していた少年はいた。いつものように、脚立の上に座り込み数冊の分厚い本を膝に乗せ、一番上の開かれた一冊に乗せた拳を微かに震わせて、いた。 視線は開かれた頁にではない、どこかを彷徨い。 「ルック」 脚立の、ルックの前に歩み寄って、己の目線より高い位置にあるルックの蒼白に近い面を覗き込む。 だが、しかし。ルックの瞳には、今現在何も映っていない。一切の感情を、感じさせない。 「ルック、」 「…………『不老不死』、だって」 強めのサクラの呼び掛けに答えるでもなく、ルックは握り締めていた掌をそっと開いた。そして、ゆるゆると視点を合わせじっと見つめる。 「……こんな、小さな手のままでいろって?」 「ルック、聞いて」 「信じられない、冗談じゃないよ! 僕はこれからもっと大きくなるつもりだった!」 一気に感情を吐露するルックの翡翠の瞳は、微かに潤んでいた。 どう贔屓目に見ても、同年代の少年達等と比べると華奢であるという事をルックは知っていた。時折、師の使いで街まで出ると、買出し先の店主等から頭を撫でられたり偉いねとおやつまで手渡される。一体幾つに見えるのかと問うと、実際の年齢から2、3は引かれて告げられて、おまけに女の子扱いまでされる。相手に悪気がある訳でなく、店主らの人の良さそうな笑顔を見るに付け、怒るに怒れない状況なのだ。 「これ以上成長しないなんて…冗談じゃない!」 ルックは目の前の少年を睨みつけ、思い切り怒鳴りつけた。その拍子に膝に抱えていた本が滑り落ちる。が、怒りでそれにさえ気付かないらしい。 「うん、だからね? 一緒に呪いを解きに行こう」 「どうやって!」 「僕も呪われてるって言ったよね? で、この呪いを解く為に旅に出ようと思ってる」 「…………」 「実際に呪いをかけた魔術師よりも高位の魔術師なら解けるって、君のお師匠様言ってた。だから、一緒に解除できる魔術師を探そう」 そう言って、サクラはルックの瞳を覗き込む。 「………あんた、計ったね」 低くくぐもったルックの声音に、サクラの笑顔が一瞬ぴくりと強張った。その僅かなサクラの挙動に我が意を得たりと、ビシッとサクラの胸元に指を押し当てた。 「ひとりで探すのが面倒だからって! 計っただろう!!」 これでも僕だって魔術師の端くれだし、一緒に居たら便利だろうし! ―――と剣呑な瞳で睨みつけられ、サクラはう〜んと頭を掻いた。 「それも無きにしも非ずだけど……」 「やっぱりっ!」 「でも、ひと言断っとくとね、ルックだから、だよ?」 「何さ、それ!!」 全然解らないと怒鳴るルックが先ほど落とした本を、サクラは拾い上げる。『刻魔法』の単語が辛うじて読み取れる革表紙を一撫でして、本棚の隙間に戻した。そして、怒りに燃えるルックの翡翠をじっと見つめる。 「僕はルックと旅をしたかった。ルックと一緒なら、絶対楽しいと思ったんだ」 「そんなの……」 勝手だ、とどこか途方に暮れたような表情で、それでも睨み付ける事を止めないルックにサクラは 「うん、勝手だと思うけど」 と微笑った。 「それでも僕は、ルックと居たかったんだ」 「……あっ、あんた卑怯だっ!!」 至極穏やかな表情で囁かれ、ルックは誠に珍しい事にどもりながらキッと睨み付けた。 「うん、でもこれから旅するのにある程度の狡猾さはあった方がいいよね」 ルックみたいに物事に真っ正直に向かい合うより、きっと楽だよ? あまりに自分勝手なサクラの物言いに、ルックは思い切り肩を落とした。 「…………も、いいよ」 どちらにしても、不老不死の呪を解きたいのならこの男と旅は免れないようだ…と、半ば諦めを含みながら。 3年間のみ、呪いの執行を遅らせる事が出来ます。 そうレックナートがルックに告げたのは、少年が待つ事ではなく進む事を彼女に告げた翌日。 「呪いの……執行を?」 綺麗な翡翠を瞠って、ルックは師を仰いだ。 「その3年間の間は、時と共に滞りなく成長する事が出来るでしょう。その代わり、非力さに拍車が掛かる事になります。何かを得ようとするなら、それ相応の代償を覚悟しなくてはなりません」 「呪いが解けたとして……も、ですか?」 「…………それが、代償です」 「…………………」 言葉もなく黙りこくったルックに、レックナートは淡々と事実だけを語る。 選ぶ権利を持つのは、まだ幼い少年でしかない。 「刻の術者は、その存在自体が希少です。素質を持つ者が少ないという事も有りますが……特異性が強い上に、刻を極めるには多大な時間と精神力が必要だからです。それに、『不老不死』を求める者は多くいます。禁じられた術法である『不老不死』をおいそれとは使う事の出来ない術者は、恐らくそれを隠し生活しているでしょう。普通に生きていて出会える確立は、万に一つあるかないかと言えるかも知れません」 ルックは、強く唇を噛み締める。握り締めた小さな拳が微かに震えているのを見、レックナートは微かに視線を落とした。 小さい頃から身体が弱く、父から厭われ続けた儚さばかり際立つこの少年が欲していたのは、ひとりで生きていける…その為の強さだ。 幸いにも彼は、風に愛されていた。風の魔術を極め、それを使役するのが当然だとでも言うように、深く優しく慈しまれていた。 「……早く、大人になりたいってそればかり思ってました」 強さと魔術を極めれば、ひとりで生きていける。そしたら、淋しさなんて感じなくなると……そう、思い込もうとしていた。 そして、ルックはゆるりと面を上げる。 「…………彼を、信じていいと、レックナート様は思われますか?」 「それは、貴方が決める事です」 産まれてこの方、人との接触が極端に少ないルックには、酷く難解だろうと思った。 ……だけれど。 レックナートはそれ故に、曇りも計算もない純粋な瞳で捕らえたサクラという人間をルックがどう見ているかに賭けてもいいのではないかと…そう思う。 「―――ですが、貴方は信じたいと思っているのでしょ?」 師の言葉に、ルックは微かに瞠目した。そして、ゆるゆると瞼を落とす。 「呪いの執行猶予を、お願いします」 暫しの静寂を挟み、再び現れた翡翠に、もう迷いは窺えなかった。 「では、レックナートさま……行って参ります」 僅かばかりの手荷物と、師から渡されたロッドを手に、ルックはレックナートに深々と頭を下げた。 「ええ、くれぐれも無理はしないで……行っていらっしゃい。ここが、あなたの還る場所です。いつでもあなたを迎えるでしょう」 忘れないで……と、言い聞かせるかのように言葉を紡ぐレックナートに、ルックは白い面を僅かに紅潮させ 「はい」 と頷いた。 「ルック、そろそろ行こう」 尽きない別れの挨拶を遮るように割り込むサクラを、冷ややかな目で見つめながらレックナートはぽそりと零した。 「サクラ、狭量な男は嫌われますよ」 「………自覚は有ります」 揶揄するレックナートの言葉に、どこか居心地悪そうに視線を逸らしたサクラを、ルックは不思議そうな翡翠で見ていた。 「ルック、荷物持ってあげる」 にっこり笑って手を出すサクラに、ルックは眉根を寄せて小さく睨み付けた。 「言っとくけどね、あんたの事は全然許してなんてやらないし! あんたと一緒に居るのは、 呪いを解く為だって事、忘れないでよ」 「解ってるよ、大丈夫。一生面倒見るから」 「……………一生っ、て何さ」 どこか呆れたようにルックは言を繋ぐ。 「呪いが解ければあんたとの旅は終わるんだから。一生なんて、縁起でもない事言わないでよ」 刺々しい物言いにも笑顔を崩さないサクラに、ルックは手荷物を押し付けた。 「もし仮に、見つからなかった場合の話だよ」 「だから! 出立したばかりなのに、そういう出足を挫くような事言うなって言ってるんだよ!!」 「決意表明なんだけど……」 「バッカじゃないの」 じゃれ合っているかのような彼らの言い合いに苦笑を零し、レックナートは高い塔の窓辺からだんだんと遠ざかって行くふたりの背を見送った。 その容易ではない行く先を思い、ぶち当たる苦難を思い、彼らの声もやがて届かなくなり。 「―――貴方は、これでよかったのですか」 唐突に、誰にともなく呟いた。 「いいと思ったから、黙って見送ってやったんだけど?」 どこか楽しそうに返された言葉に、レックナートは小さく嘆息した。 「ですが、貴方は彼の傍を好ましく思ってたのでしょう、テッド」 振り返りながら、相手の名を呼んだ。 彼女の視線の先には、サクラの友人である筈のテッドの姿。相変わらず飄々とした態を崩しもせずに、部屋の扉に寄り掛かったままレックナートに笑って見せた。 「んー、居心地は良かったからなぁ。でも、あいつってさー、馬鹿だから? あのまま帝国軍に入ってったら、そうと知らないまんま壊れてっただろうし」 あー、馬鹿って生真面目とかそういう意味で? 「ふてぶてしいように見えて、その辺すっげー不器用だし」 「それにしても……何もあの子を連れて行かなくても」 「いいじゃんか、あんただっていい加減過保護過ぎ」 くつりと笑いながら告げられたそれに、レックナートは再び嘆息する。 「過保護にもなります」 無垢な魂は、そのままにして置きたいと誰でも思うではないですか、とどこか非難めいた視線でテッドを見やった。 「尤も、貴方の友人は、そうは思わないようですが」 で、とレックナートはテッドに問い掛ける。 「貴方は、これからどうするのですか」 「うーん、どうすっかな〜。刻の魔術師って気まぐれだからな〜」 本気で腕を組んで悩んでいるらしいテッドに、彼女は大仰に溜息を吐いて見せた。 「そうですね、貴方を見てるとつくづくそう思います」 「まぁな、」 レックナートの言葉に笑みを残し、そして大きな伸びをしてからテッドは踵を返した。 「暫くは、サクラ出奔の顛末を見てたいから帝都に居るけど。気が向いたら、又遊びに来てやるって」 「………そうですね」 扉を開いて出て行こうとするテッドの耳に届いたのは、小さく零れるレックナートの笑み。 「その時は、ふたりであの子達の様子でも覗き見ましょうか」 彼女の属性魔法は、門。 空間の向こう側を水晶球に照らすなど、お手のもの。 テッドは、小さく口許に笑みを刷くと、 「覗き見ばっかしてるなよ」 と言い置いて扉から手を離した。 パタンと音を立てて、閉じた扉の向こう側で。 「だって、退屈ですもの」 と魔女が、それはそれは楽しそうに微笑んでいた。 the end …… ルックを掻っ攫い、旅に出る坊さま。 …………ええ、サクラ坊さまって所詮こんなヤツなのですよ(苦笑)。 まぁ、取り敢えずは、気持ちだけ(笑) Merry Christmas!! イブの方がよっぽど盛り上がってますが、本日クリスマスにて完です。 意味なく長くなりましたが、最後までお付き合い有難うございました(深々)。 月ノ郷 杜/拝 −2003.12.25− |