虜囚






 その翡翠の瞳は、深い深い海の底を思わせる。


 何時だっただろうか。
 その瞳に囚われた己を知ったのは。
 捕らえたエモノを、そうと悟っても逃げることすら許さない程の、強い力を秘めたその翡翠。
 何故、こんなにまで惹きつけられるのか。
 だけど、そんなのはどうでもいい。
 逃げる気なんて全くないのだから……。
 重要なのはたったひとつ 。

 その翡翠を持つのが、―――君だという事。






◇◆◇          ◇◆◇          ◇◆◇







 その華奢な体躯のハンデなど、微塵も感じさせないその魔力。
 キッと、己が敵を見据え、淡々と敵を屠っていくその姿。
 桜色の唇から発せられる呪は、様々な術を敵に浴びせ掛ける。
 いっそ、見事なまでに魔法というそれを操るその少年に………魅入られたように視線が外せない。
「……っ、」
 断末魔の咆哮を揚げながらも、最後の一矢を報いようとした魔物の鉤爪が。
 その華奢な体躯の胸許に振り下ろされる。
 それさえも、間一髪で交わしたかに思われた。
 その間合いは充分にあったし、俊敏さでいえば彼の方が数段上だった。
 だけれど―――。
「―――っく!」
 視界の端に朱色が散る。
 手負いの獣は予測のつかない動きで、最後の一矢を彼に報い……そのままばたりと倒れると、動かなくなった。
「ルックーーーッ!」
 襲ってきた魔物の群れが、ほぼ壊滅状態にあるのを認めて、ルックに駆け寄る。
「大丈夫っ、ルック―――」
 一瞬、鉤爪に切り裂かれた法衣の袖から覗く腕の傷と、その傷の深さ、それに出血の多さに言葉が詰まる。
「ちょっと、見せて―――」
「…っ、何さ、」
 傷口を見ようと腕を取ると、冷たいともいえる態度で振り払われる。
 傷口から腕を伝わり落ちてきていた血が、その勢いで草の上に落ちた。
 それを庇う事さえしないその様に、彼は自分の怪我さえ知らず、痛みを感じないのかとさえ感じられて。
「……ルック、」
 幾分声を強めて、彼の名を呼ぶ。
「ルック……もっと自分を大事にしよう?」
 そう言うと、ルックは訝しげに小首を傾げる。
「……何が?」
「……何がって、その傷――」
 指した腕の傷に、ようやっと気付いたかのように視線をやり、 「これが何?」 と再び問うてくる。
「何、って」
「こんなの全然平気。痛くない」
 痛くないって……かなり深い傷だ。
 出血の量だって生半可じゃないし、
「紋章を使おう」
「平気だって言ってる。その内勝手に治るし……。それに、もう砦に帰るんだろ、必要ない」
「―――ルック!」
 いくら自分のモノとはいえ、そのあまりな扱いに声音を強めると、小さく不貞腐れたように見上げてきた。
「僕の身体を僕がどうしようと勝手だと思うけど…」
「君は、レックナートから一時的に預かったんだから。保護者としてはそういう訳にはいかないよ」
「レックナートさまはそんな細かい事、気になさらないよ」
 それに―――と、ルックは小さく呟くように言を繋ぐ。
 それに、紋章で治すと…傷痕まで無くなってしまうじゃない……。
 僕はこの顔もこの身体も、好きじゃないからいいんだよ。
 いっそ、傷だらけになって……。元のこの姿など、綺麗になくなってしまえばいい。
「―――だから、余計な事しないで」
 冷たい拒絶の言葉。
 だけど……きっとそれに従うのは無理。
 だってね?
「……君が痛くなくても、僕が痛いから」
「何であんたが痛みを感じるのさ」
「―――ルックが好きだから。だから、君が傷付いて、泣きもしないのを見ると……痛い」
 ここが―――と、胸を押さえる。
「………解かんないよ」
 本当に訳が解からないというように、訝しげに眉間に皺を寄せる。
「解からない?」
「どうして、僕が泣かないと君が痛いの? 好きだから…って何なのさ?」
 そんな事有り得ないと、ルックは淡々とした口調で言う。
「……うーん、そうだね」
 そんなルックに、サクラは苦笑混じりの笑みを向けた。
「じゃあーね、ルック…僕を好きになって?」
「…………はぁ?」
「僕を好きになって、そうして僕を見てて」
 そう告げると、ルックは何ともいえないような表情を浮かべた。その表情からは、そのサクラの台詞をどう捉えたのか解からない。
 だけれど、小さく吐息を漏らして見上げてきた面からは、嫌悪やそういった態の悪感情は伺えず、サクラは正直ほっとした。
「……あんたの言ってる事、良く解からないんだけど―――?」
 そう言いながら、僕を伺ってくるその顔には、不思議そうな表情が浮かんでいたから、その様が年相応に可愛くて小さく笑みを零した。
「好きになったら、あんたが何で僕の痛みを感じるのか、解るっていうの?」
「本当に好きになってくれたらね?」
「……………どうして?」
 彼の、自分の知らない事に関しての知識欲は、正直凄いと思う。
 でも、その答えは僕にだってそう簡単には解らない。感情なんて、そもそもひとつの答えじゃ括れないんだから。
「僕にもよく解らないよ?」
「―――だったら、」
「でもね、僕はルックが好き。だから、君が傷付いて平気な顔してるのを見ると痛い。どうして泣かないのかな、って思う。それは本当だよ?」
「………そんなの、思い過ごしかも知れないじゃないか」
「だから、―――見てて?」
 じっと翡翠の瞳から視線を外さずに、じっとただ覗き込む。
 惹き込まれそうに深くて…なのに、透明度の高い綺麗な瞳に囚われてしまう。
 だけど、それは決して不快ではなくて。
 ずっと、そのまま捕らえられていたいとさえ思われて………。
「ついで、だから……見てて、やってもいいけど……………好き、になるかどうか分かんないよ」
 途切れ途切れにもらった言葉が、ただ単純に嬉しくて、知らず知らずのうちに笑みが浮かんだ。
「うん、それでいいよ?」

 ずっと見てて―――。
 そうしたら、きっと僕は進んでいける。

「だからね、取り敢えず傷治しちゃおう?」
 にっこり笑んでルックの傷を指差しながらそう言うと、むっとしたようにむくれて 「……あんたが痛いから?」 そう尋ねてくるから。
「うん、いいよね?」
「……………仕方ないからね」
 渋々ながらもといった感じで…だけど、小さく返事をくれた。






◇◆◇          ◇◆◇          ◇◆◇







 ふと、気付くと。

 時折感じる君の視線が、胸をくすぐって、そして僕の内を温かくしてくれる。
 まだ、訝しげに考え込むその姿が、まだ君が僕に囚われていないという事を、如実に伝えてくる。

 だけど…………。

 僕が君に囚われてしまったように……。
 君も僕に囚われて欲しい。
 僕だけの君で居て欲しい。

 ―――他には、何も望まないから。



 いつか、きっと。
 囚われて………?








...... END
2002.06.27

 実は『5000ヒットの特別企画&新装開店』で、お持ち帰りフリーにしようかと思ったんですが…。こんなん誰も欲しがらないよな〜って事で、ヤメました(苦笑)。
 時間軸では幻水1v 痛がらないルックを書いてみたかった。

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