花霞 見渡す限りの桜の木々。 今を盛りと咲き誇るそれら。 視界いっぱいに開かれた満開の様相。 そこここに漂う花の香。 ちらちらと降り注ぐ花弁。 薄紅のそれは、まるで雪を思わせて……。 意識さえ攫われそうになる。 我知らずぎゅっと瞼を閉じて、片方の袖口をもう一方の手で握り込んだ。 どんなに咲き誇っても……。 どれほどにその様が人目を惹き付けても。 それは、刹那的なものでしかないのに? それでも、爛漫と咲き誇る―――桜。 それは、まるで己が如く。 「―――ルック?」 呼ばれたそれが、咄嗟には己の名であるという事が判断出来なくて。 それでも、惰性で視線を向けると、そこには彼が居た。 「ルック?」 どうかした? 瞳でそう問われ、瞼を落として頭を振った。 「…………何でも、ない」 「何でも?」 そう返されて、再び頷く事が出来なくなった。 何でもない訳じゃない。 何故か、彼には最後まで嘘を吐き通せた例がない。 ―――――悔しい。 「ルック―――?」 「花は……嫌いだよ」 刹那的だから。 土とか水とか陽の光とか……それらの力を借りなければ、成り立たないその美しさだとか……。 まるで、自分ひとりでは何も成せないんだという事実を、見せつけられているようで。 「大丈夫だよ?」 そう言って、後ろからそっと抱き締められた。 「何が……」 何が大丈夫なのか。 どうして、そう言い切れるのか。 「―――花はね、毎年咲くよ?」 季節が巡るごとに。 その命が果てるまで。 何度も、何度でも―――。 そ して、命の花弁を散らす。 「土も水も、陽の光だって―――なければ花は咲けないかもしれないけど。それでも、彼らにはそうあることが当然だし。そうあることを、望んでるよ?」 だから、在るがままでいいのだと―――? 「そんなっ、勝手な解釈……」 「うん、でもね、それでいいんだよ?」 諭すように囁かれて、何かを言い返そうとした刹那、顎を捕らえられ振り向かされて……。 ―――唇をそっと塞がれた。 攫われる言葉。 奪われる吐息。 そうして……与えられる安心感。 ゆっくりと離れてゆく唇は、自分にもたらしたものの大きさを知っているのか。 「ルックはね、そのままで居て」 変わらないで……と。 そう囁かれて―――視界の端でちらほらと舞い落ちる花弁を捕らえながら、それでも……。 「そうだね……」 小さく頷いた。 ―――己は花ではないのだから。 ひとりでも生きていける筈なのに。 あんたが居るから……。 強く在れる自分を知っている。 あんたを知ってから……。 弱くなった自分を感じている。 強く抱き寄せられて、目を閉じた。 ―――花は霞。 命の花弁をそれと知りながらも、散らす。 季節の巡りを信じているのか。 それとも、在るがままに―――? ちらほらと舞い落ちる花弁の音が。 有り得ない筈のその音が。 耳許から…………離れない。 ...... END
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