大好き 大好きだよ。 そう告げると、いつもの気丈さはどこかへ消え去って。 酷く困惑したような、それでいて泣き出しそうな表情を浮かべるから…。 ―――それ以上、何も言えなくなる。 始まりは……雨。 ただ、我が身に纏わりつくような強い雨音と、噎せ返るような湿気に中てられて、自室へと続く長い石造りの廊下の壁に背を預けて目を閉じていた。 一人で居る事を強要されているようなただっ広い自室には、死の匂いが充満しているような気さえして。 勿論それは、錯覚にしか過ぎないんだろうけど。 それでも、あの部屋には居たくなかった。 だからと言って、今は人の集まる場所へはもっと近付きたくない。 自分の負の感情に煽られたこの右手に巣食う紋章が、誰彼とも無く…それこそ見境無く襲ってしまいそうな気がするから。 ……勿論、それこそ錯覚なのだろうけど。 だけど―――僕には、これを抑えきれる自信がないから。 極力、無用の時には一人で居る事を、自分自身に強いている。 「…………テッドも…そうだったのかな」 テッドの事は、今でも親友だと思っている。 だからこそ、時折沈み込むような姿や暗く翳りがちな瞳を見つける度に、テッドが何を考えているのか知りたいと思っていた。知って、出来る事なら助けになりたいと思っていた。 それが……彼を苦しめていた物が、これ程までに重い物だとは、想像すらしていなかった。 「……ッド」 「何、やってんのさ」 唐突にそう声が掛かり、自分でも驚くほどに身体が強張った。 「あの時から、僕はルックから目が離せなくなったんだけどね」 そう告げると、ルックは目を眇めて 「……冗談じゃないよ」 と毒づいてきた。 「あんまりあんたが鬱陶しい顔してたから、声掛けたに過ぎないんだけど」 そう―――あの時。 "それでなくても雨で鬱陶しい時に、鬱陶しい顔してそんなとこに座り込んでるのやめてくれない?" ルックはそう言って思い切り眉根を寄せていた。 「うん、だけど……そうなんだよ」 普通なら、一目見て落ち込んでるって解る人物に(それも仮にも軍主に)、そんな悪辣な台詞吐くなんて…しない。 それまでは、綺麗なだけの小生意気な子供っていう認識しかなかったのに。何でわざわざこちらの気に障るような物言いしかしないんだろう―――と、逆に気になった。 それからだ。 日に幾度となく、ルックに視線が行くようになったのは。 彼は大抵、日がな一日石版前でその守をしている。それに、常に受動態らしく、彼から何かをやったり他者に声を掛けたりする事は滅多にない。 その類稀な容姿に惹かれて近付いてくる輩には、毒舌五割増という。 ルックの言葉は、悪意も善意もなくただの客観論として語られる分、容赦がない。 言葉に労わるとか情けを含まないから、それが正論であればあるほど彼の言葉に晒される者にとっては酷く耳障りなものにしか成り得ない。 だけど…………だからこそ。 僕にとっては、そんな彼の傍は酷く居心地が良いものだった。 ―――引き摺られるな。 ソレを制する事は、あんたにしか出来ないんだから。 あくまでも、主はあんただって事を―――絶対に、忘れるな。 ルックと他数人を伴った遠征先で、紋章の制御を誤った。 抑える事も律する事も出来ず、ただ呆然と立ち尽くしていた僕の態に小さく舌打ちしながら、それでも魂静めの呪を直に紋章に注ぎ込むという荒業を遂げ、崩れ落ちそうになりながらも彼はそう言った。 己の恐れさえも射抜いてくるような、強く深い―――翡翠の瞳。 息を荒げ、白い面を一層白くしながらも、諌めるように告げてきた。 「紋章は、あくまでも君に寄生してるんだって事を……覚えてて」 身体を、心を、明渡すなと。 「…………出来る、だろうか」 深い溜息と共に吐き出した弱音に、ルックはふっと小さく笑った。 「大丈夫。あんたなら………出来る」 だから、あいつはあんたにソレを託したんだろ―――そう言われ、泣きたくなった。 「……見てて、くれる?」 「………………いいけど、ね」 戦争が終わるまでなら、とのルックの台詞にほっとしながらも、ちくりとどこか小さく痛むのを感じた。 どうやら、僕はルックが好きらしい…そう自覚したのは、何時だっただろう。 年の割には小さな身体。 だけど、彼の矜持は誰よりも高く、誰にも汚される事なく。 彼なりの優しさを、そうと悟らせる事も良しとせず。 不器用ながらも、前に進む事をやめる事など思いもしない。 そんな彼に、惹かれるな―――という方が、無理だ。 実際、ルックに対する想いだけが、僕を支えてる。 「僕は、ルックを好きだよ」 今日も石版前を訪ねて、そして唐突にそう告げた。 それまでは、好意的とはいえないにしても酷く和やかな雰囲気だったのだけれど。僕のその台詞にルックの表情が一変した。 「ルック?」 「………要らないよ」 そうして、返って来たのはたったひと言。 「…ルック?」 何が要らないのか解らなくて、名を呼ぶ事で問い返せば、微かに震える長い睫の下から翡翠の瞳が逸らされる事無くこちらを見上げてくる。 「想いは……要らない」 いつか変わってしまうかも知れないものなど。 不変でもなく、不確かなものなど。 「…………要らない」 それは、冷たい筈の拒絶の言葉。 だけど―――。 ルックの酷く傷付いているかのような眼差しに……もう、何も言えなくなった。 櫓で凪いだ湖面をかくと、水面が揺れる。 たったひとつ、帰ってきたグレミオと砦を後にする。 恐らく、明日の朝には己が居ないのに気付いた解放軍内は大騒ぎになるだろう。 だけど、その騒ぎは僕には届かない。 滞った時を持った皇帝は倒れ、帝国は崩壊し、解放軍軍主として天魁星としての僕の役目は終わった。 「……いいよね?」 何をどうするとも、どうしたいとも告げないのに。それでもルックは 「それもいいんじゃない」 とだけ言ってくれた。 「有難う、ルック」 ずっと傍に居てくれて。 最後まで見守っててくれて。 だから、最後まで立っていられた。 「本当、君のお守は面倒だったね」 言いながら、彼の面にふっと浮かんだ笑みが、ただ嬉しかった。 想いを告げたあの時から、彼との間に一線引かれていたのを確かに感じていたから。 いつか変わってしまうかも知れないものなど。 不変でもなく、不確かなものなど。 「…………要らない」 ―――と、あの時ルックは言ったけど。 この想いだけは、絶対変わらないと思う。 僕は君が好きで、大事で、そして…守っていきたい。ずっと側に居たい。 だけど、それじゃあ駄目なんだと気付いた。 真実告げたそのたった一言でさえ信じてもらえない己じゃ、彼を守れないし側にも居られない。 それは彼を苦しめる事に他ならないから。 だから――――――。 きっと、再び出逢える……そう信じて。 今は、ただ……別れを。 船の舳先へと踵を返す。 君の居た、君と居た……あの砦はもう振り返らない。 × × × 君が現れるのは、いつも本当に唐突で。 相変わらずの、強い意志をそのまま秘めた翡翠の瞳は僕を射る。 「変わりないようだね…」 そう告げてくる君に、僕が返す言葉なんて決まってる。 逢えなかった3年間。 片時も忘れた事なんてなかった。 君に対する想いが変わるなんて事、全くなかったよ? 「ルック…」 だから―――。 あの時と同じ言葉を今なら告げても、いいよね。 大好きだよ、ルック。 ...... END
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