moment 新しい年を迎えるという、その前日。 1週間ほど前から新年を迎える準備に慌しかった城内の雰囲気が、夕刻になって漸く落ち着きを見せてくる。 そんな中、相も変わらず石版守の任を果たしていたルックの視界に入り込んできたのは。 「この辺は寒いね」 と、厚手の外套を外しながら、真っ直ぐルックに歩み寄ってくる前天魁星。 まるで狙い済ましたかのように今日という日を選んでやってくるサクラに、 「……相変わらず、暇だよね」 そう呆れたように言ってやった。 「だって、特別な日だよ?」 「よく言う」 そんなこと実際、思ってやしないくせに。僕等には意味のない、特別な日に過ぎないじゃないか。 「うん、だけど。やっぱり新しい年はルックと迎えたかったし」 そう言って、柔らかな笑みを浮かべて見せる。 「そろそろ冷え込んでくるよ。もう石版の守も今日は終わりだよね、一緒に夕食にしよう?」 サクラの提案に逆らう無駄を誰よりもよく知っているルックは、それでも荷を置いてからもう一度お出でよと素っ気無く言い放つ。 ひとつ頷き、待っててねと言い置いて階段を駆け上がってゆくサクラを見送ると、僅かにかじかんだ掌にそっと白い息を吐き掛けた。 レストランで夕食を取っていると、何人かの人々に声を掛けられ、サクラは静かな笑みでそれに応える。 「ホールで、年越しカウントダウンするんで良かったら来て下さい」 と、準備の最中に食事を取りに来たという現天魁星の誘いには、気が向いたらねと答え。 「………じゃあ、サクラさんとルックは出ないんですね…」 何やら残念そうな現天魁星・ツバキの呟きに苦笑するサクラとは逆に、ルックはぴくりと眉尻を跳ね上げた。 「どうして、こいつと一緒くたにするのさ」 「えっ、じゃあ、出てくれるの?」 「……………出ないけど」 尤もそれは、こいつがどうこうとかじゃなくて!と、語気を荒くして言い募ろうとするルックに、ツバキは 「解ってるから、いいよ」 とのたまい余計にルックの怒りを煽ったのだった。 「あんたの所為だ……」 食事を終え、風呂から戻っても、ルックの機嫌は治ってなかった。 何故に、軍内でサクラとルックはいつも一緒vという図式が成り立っているのか。 何故、ルックの傍にサクラが居るのを、皆当然といった態で受け入れているのか。 少なくとも、己の所為ではない筈だと、ルックは眉根を寄せた。 「あんたが、人の事いつもいつも引っ張り回すから」 全て、傍若無人なサクラの所為なのだと、そう思う事にした。 「僕ひとりの所為じゃないと思うけど」 苦笑混じりのサクラの言葉なんて聞くだけムカツクだけだ…と、小さく睨み付けてから視線を落とした。 その視線の先に。 唐突にぬっと大き目の拳が入り込んできて、ルックは僅かに身を引いた。 「…な、」 言葉を発しようとした刹那、その拳がそっと開かれる。 視界に映るのは、掌の上にころりと転がる双玉のピアス。その色合いは、今現在ルックが着けているのと変わらぬ、深い翡翠色で。 「これ、着けてくれる?」 満面の笑顔で言われ、ルックは戸惑う。己の耳朶に手を当てると、指先に硬質な翡翠が触れた。 「今、着けてるけど」 「だから、ルックの今着けてるそれ頂戴?」 「……それ、着けてればいいじゃないか」 似た様なものなんだから…そう呆れたように言うと、 「これじゃあ、意味がないもの」 と一層笑みを深くする。 「何、それ」 「ルックが身に着けてたのが、欲しいんだ」 だから、これと交換して? まるで悪戯が成功して喜んでいる子供のような笑顔で言われ、ルックは白磁の面に朱を散らせた。 「……………変態臭い」 「酷いな」 大して堪えた風もなく苦笑を漏らすサクラに、目を眇めてみせる。 「そんな変態臭い事いわれる方が酷いと思うけど」 サクラはくすくすと楽しそうに笑う。 「ねぇ、くれる?」 何故だか、否と言えない。 それは、たったひと言でしかないのに。 そもそも、この手の言い合いでこいつに勝てた事があるだろうか、と思考を巡らせ、その答えが否だった事にルックは酷く消沈した。 甘いのだろうという事は、自分でも解っている。 他の奴等には絶対に許さない数々の事を、仕方ないからと自らに言い訳しながらも許してしまっている時点で。無意識の内に、特別の位置に置いているのだろう。 そう思い至り、深々と溜息を吐いたルックの傍で、サクラが酷く穏やかな笑みを浮かべる。 「ねぇ、付け替えていい?」 「…………」 着けてやるなんて言ってやしないのに…とは、今更なのでもう言わない。尤も、言わないだけで不本意極まりない事には違いないのだとの意を込めて小さく睨めば、 「じっとしててね」 と、目の前にいたサクラはルックの背後に回った。そっと耳朶に触れる感触に、自然と肩が震える。 「…っ、」 くすりと、微かな笑みと共に、もう片方の耳朶にそれは移動した。扱う武器の所為だろう、節くれ立った指が、繊細な動きで耳朶を擽るように触れて………離れる。 「綺麗だね」 再び前に回って目を細めてそう言われ、顔が自然と赤らむのを止められる筈もない。 「何でわざわざ……」 羞恥を紛らわす為にめいっぱい溜息を零して見せると、単純なんだけど…とサクラは目を細めた。 「ルックの付けてたヤツを身に付けてたら、ルックが聞いてる音が聞こえそうな気がするんだよ」 「……………」 どうして、こう…躊躇いもなくそんな恥ずかしい台詞を吐けるのか。 「……そのトコトンおめでたい思考回路、羨ましいよ」 そもそも―――! と。 「あんたは、結局こんな事の為に来た訳?」 「それもあるけど、」 一旦言葉を切って、そうしてサクラは相変わらずの柔らかな笑みをルックに向けた。 「一年の最初の日を一緒に過ごせると、その年ずっと一緒に居られそうな気がするよね」 「…………そんなの」 ……思い込みでしかない。 雪深いハイランド地方の冬の季節が終われば、恐らく最終決戦の局面に入るだろう。それを知っていて尚微笑うサクラに、ルックはそうとは言えなかった。 どこからか、微かな…だけれど突如と湧き上がった確かなざわめきが風に届けられる。それはホールからのものに違いない。 新しい年を迎えた喜びと、この年に賭ける気概と。様々な人の様々な思いを乗せて、城全体が刹那の喧騒に包まれる―――瞬間。 「あぁ、明けたんだね」 時の流れなど無意味な彼の、その言葉に僅か瞼を伏せた。 そう、最早僕等には時なんて意味のないものでしかないのに……。 それでもそう呟くのは、未練だろうか。 「今年もよろしくね」 言葉とともに差し出された手に、そっと目をやり。小さく吐息を零す。 「そうだね」 僕等に、時間は関係ないけれど。 それ以前に、ふたりで過ごす年越しなんて……恐らくは、もうないのだから。 出された手を取ろうと伸ばすと、そのまま腕を引かれて、それと認識する間もない程の素早さで抱き締められていた。 「で、…………何なのさ、この状況は」 「だって、今日まだルックに触れてないよ」 くすくすと耳許に触れる唇と温かな吐息とが、再び顔に朱を刷かせる。 あぁ、本当に、癪に障る。 ぎゅっと抱き締めてくる腕に逆らって無駄な体力を使うのも面倒で、そのままぽとりとその胸に頬を押し当てた。 「ルック?」 「……温かいから、上掛けくらいにはしてやっていいよ」 傍に居させてやる、という意を違えることなく汲み取ったんだろうサクラは 「うん、有難う」 至極柔らかな声音を響かせて。 それだけで、一緒に新しい年を迎えられて、よかったと思う。 そんな事、言わないけど……。 絶対に、告げないけど。 あんたとの未来なんて、望んでも仕方ないのだから。 今のこの一瞬があればいい。 それだけが、あればいい。 この刹那の時が。 きっと、僕にとっての永遠。 ...... END
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