花の名






 今日も今日とて、同盟軍本拠地石板前。
 いつものように不貞腐れた表情の石板守がひとり。いつもと違うのは、彼の周りできゃっきゃと騒ぐ小さな影があったこと。
「………………」 摩訶不思議なその情景に驚いて、この城を訪れる要因となった彼に声を掛けることも出来ず、暫しの間その場で立ち尽くしてしまう。
 ルックの周りで、5,6人の小さな子供が彼に纏わり付いて―――遊んでいる。
「……何、凍ってるのさ」
 立ち尽くしたまま、声も掛けずに居た僕に気付いたらしいルックが、一層不機嫌さを露にして言う。
「…だって、ルックそれ」
 それ扱いをされた子供達は、そうとは知らずに石板と彼の周りで飛び跳ねてる。
「……こっちが聞きたいよ」
 大きな溜め息混じりのルックの台詞。流石のルックでも、年端もいかない子供達にまでは毒舌を 振るえないらしい。
 何だか可笑しくなって小さく笑みを零すと、聡い彼がそれに気付かない訳はなく、ぎろりと睨み付けられた。
「機嫌悪いね、ルック」
 当然見たら分かるだろうことを言われて、ルックは剣呑さも一際に視線で威嚇してくる。かなりの兵(つわもの)でさえ退かせてしまうだろうその視線。
 ルックの強さをそのまま乗せたようなその瞳は、僕の好きなもののひとつなんだけど……。
「あっ! サクラさーーーーん!!」
 突然頭の上辺りから大声で名を呼ばれ、我知らず苦笑いが零れてしまう。
「いらっしゃってたんですかー?」
 同盟軍軍主ツバキが、今日も元気よく階段を駆け下りてくる様が、視界に入る。
「まぁね、ルックに会いに」
 笑顔のままでそう言うと、微かにツバキの表情が引き攣る。
「相変わらずですね、サクラさん」
「正直者なんだよ」
 この軍主は、背丈は僕よりちょっと低いくらいでルックと並ぶとあまり変わらないのに、何でか小さく感じる。童顔の所為か、はたまた落ち着きのないその性格故か。
「ところで、ルックの周り……のあれ、何?」
「サクラさん除けです♪」
 楽しそうに告げてくるツバキに、一瞬言葉を奪われる。
「………ツバキ?」
 本気? と言外で訊ねると、 「冗談です」
 あっけらかんと言葉を返してきた。
 言うようになったね、君も。
「そんな命知らずじゃないですよー」
 充分、命知らずだと思うんだけど……ね。
「ルックは 『お花のお兄さん』 ですから」
「………………はぁ?」
『お花の、お兄さん』 ? ……って何?
 ツバキの言うことはいつも大抵突拍子もなくて、偶に…というか、しょっちゅう呆気に取られたりもするんだけど、今回のこれは又強烈な台詞だ。それこそ、頭の中に疑問符が浮かび回る。
「子供達がね、ルックのことそう呼ぶんですよ♪」
 因みに、一週間前からあの状態です! 何が嬉しいのか、ツバキは得意満面でそうのたまう。胸まで張って…言うようなこと? そうしてると、ルックの周りで飛び跳ねてる子供達と変わらないよね。半分本気でそう思いながらも、ルックの方に視線を戻す。
 子供達の甲高い声で、僕達の話が聞こえないのか、鬱陶しそうに子供達を睨み付けていた。
 花とルック……ね、確かに双方綺麗かも知れないけど。
「『お花のお兄さん』 ……は言いえて妙だけど、でも何で?」
「さあ? 花が似合うからじゃないですか?」
「……………それ、ルックに言った?」
「はい、シーナが。今、ホウアン先生のところで包帯だらけになってますけど」
 シーナね……。あれも、ルックとの付き合い長いんだからいい加減迂闊な発言、慎めばいいのに。
 学習機能とかないのか?
「ルックのところに子供達連れてきたのは、フリックさんらしいですけど? そう言えば、フリックさんも昨日医務室から出てきたばかりなんですよね」
「それもルック?」
「この城で、所構わず紋章ぶっ放すのってルックしか居ませんよー?」
 そんな兵(つわもの)、他に居ないでしょ?と確認するように問われ、サクラは苦笑した。
 まぁ確かに、腕力じゃ敵わない分、日常でも魔法を使う機会は多いかもね。
 どういう訳だか、宿星ってガサツな人たち多いし。勿論、ちゃんと相手を見てから行使している訳だけど。
 でなければ、石板の周りで騒いでる子供達は、今頃風に弾き飛ばされてホールには近寄れないだろうから。
「フリックはどこかな?」
「さぁ、酒場じゃないですか? 昨日までは行けなかったから」
「じゃあ、ちょっと会って来るよ」
「えー! 手合わせ頼もうと思ってたんですよー」
 それでなくても、城に居る間はルックの側から離れようともしないんだから、こんな時くらい相手してくださいよー、とツバキに言われ苦笑してしまう。
 まぁ、確かにその通りなんだけど。
「うん、ルックの周りのアレが片付いたらね」
 と、子供達を指差しながら肩に担いでいた荷と棍を降ろした。
「ルックの側に置いとくと、子供たちが何するか分からないから部屋に運んでてくれる?」
 不服そうなツバキに手渡すと、彼は子供のような顔でひとつ頷いた。
「いいですけど……。サクラさん、ルックの周りの子供達が居なくなったら、あの子達の替わりにルックの側に貼り付くんでしょ?」
 解ってるじゃない。シーナよりは学習能力があるらしい。
「ルックも我慢の限界が近そうだからね?」
 笑みを深くして言うと、ツバキが 「言い訳しなくてもいいです。要は、ルックの側には誰も居て欲しくないんですよね?」 ほとほと困り果てたように呟くから。
「えっ………?」
「自覚ないですか? さっき、僕が声を掛ける前、凄い表情で子供達を睨んでましたよ?」
 ツバキの台詞に、自身愕然としてしまう。
 そんなつもり、全然なかったんだけど…。確かに、子供達の所為でルックとの距離を埋められないことに苛付きはした。
 彼と僕の間を阻むモノとして、認識はした。
「……………参ったな」
 我ながら心が狭い―――思い切り自覚してしまった。
 他の人とかモノならいいんだよ? 
 だけどね、ルックだけは……彼だけは、駄目。
 絶対、誰にも譲れない唯一の人だから。





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 昼間だっていうのに人で混雑する酒場に、捜していた男の姿を見つけて歩を進める。
 彼の定位置らしいその場所に、いつも通りに青いなりをしたフリックが陣取って酒を呷っていた。
「昼間っからお酒?」
 呆れたように声を掛けると、 「そんなに呑んじゃいない」 と、フリックが眉根を寄せて言葉を返してきた。
「病み上がりだって?」
 薄っすらと笑みを向けると、ちらりと横目でこちらを見る。
「知ってんなら聞くな」
「何で、ルックに切り裂かれたの?」
 いきなり核心を突いた問いを投げると、フリックはうっと咽込んだ。
「まさかとは思うけど、ルックに手を出した…とか、そんなんじゃないよね」
 勿論、切り裂かれた理由がそうだとは全く思わなかったが、こういう問い掛け方をした方が単純な人間ほど、ちゃんとした答えが返り易い。
 案の定、フリックは顔を真っ赤にして、口をぱくぱくしている。
「俺が、何で男なんかに手を出さなきゃなんないってんだ!」
「手は出さないけど、出されはするよね」
 フリックがうっと硬直する。いい年して嘘が吐けないよね、相変わらず。3年前からこの辺、全然変わってない。
「大丈夫、僕だから気が付いたんだよ」
 まぁ、フリックがこの調子だと、周囲が気が付くのも時間の問題かも知れないけど…ね。苦虫を潰したようなフリックの表情が笑えるけど、そんなこと今はどうでもいい。
「で、どうして?」
「……子供達がルックと話してみたいって言ったから、案内してやっただけだ! 切り裂かれなきゃならないようなことか! それが」
「それだけ?」
「そうだ!」
「………何か他にやらかしたんじゃないの?」
「ルック相手に、俺だってそこまで馬鹿じゃない」
 ルックだって、それだけで切り裂くようなことはしないと思うんだけど。
「理由もなくルックはそんなことしないよね?」
「――― 『お花のお兄さん』 ですよ」
 横から穏やかに声を掛けられ、ちょっと驚く。
 隣の席には、この城に連れられてきたときに紹介された、元マチルダ騎士団のふたりが陣取っていた。確か、カミューとマイクロトフって名前だったかな?
 声を掛けてきたのは、柔らかい印象の赤い方…だから、カミューの方だ。
「失礼。聞くつもりはなかったのですが、耳に入ってしまいまして。わたしの聞き及んだ限りでは、フリック殿がルック殿を 『お花の一番似合うお兄さん』 という基準で子供達に紹介した所為で、ルック殿がお怒りになられた……と、いうことらしいですが?」
 よどみない口調で告げられたそれに、フリックは 「あっ!」 と、思い出したように声を上げる。
 そして、頭をワシワシ掻くと、言い難そうに僕に視線を向けた。
「子供達が、ルックのことそう言ったんだよ。"お花が似合うとっても綺麗な魔法使いのお兄さん"…ってな。そこまで言われて他に誰が浮かぶよ」
「まあ、確かにね」 ルック以外の選択肢なんてない。
「ルックに、お花が似合う云々って言ったんだ?」
「何で連れてきたのか、って聞かれたからな」
「それで切り裂かれたの?」
「………厳密に言うと切り裂かれた訳はそれじゃなくて、小さな女の子がひとりルックに花の冠被せたんだ。あのクソ生意気なルックも、小さな子供には形無しなんだな…と思ったらつい」
「笑ってしまわれた…と」
 カミューの問いに、フリックはがくっと項垂れた。
「それで切り裂かれた訳?」
「笑うだろ、普通」
 あの! ルックが…だぞっ!と、語尾を大きくするフリックに、カミューは小さく微笑みを浮かべると、
「わたしでしたら、花冠を載せたルック殿の姿であれば、心ゆくまで堪能出来るのではと思いますが」
 なかなかに聞き捨てならない台詞を吐く。
「………カミューさんって仰いましたよね?」
「わたしのような一介の兵などの名まで覚えていただけているとは、光栄です。トランの英雄サクラ・マクドール殿」
 優雅な立ち振る舞いとは全くもって合わない、挑戦的な笑みを向けてくるカミューに、心持ち憤然としながらも満面の笑みを浮かべて見せた。





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 結局―――。
「何故、子供達がルックの周りに来るようになったのかは、分かったんだけど…ね」
 何故、あんなに懐くのか、何故あのルックが子供達を放っておくのかは、分からないままだ。
 夕刻、石板の前を通りかかったサクラの目の前で、子供達は彼らの言う 『お花のお兄さん』 ことルックに別れを告げているところで、そのうちの一人が言った台詞が 「又、明日ね」 というものであったのを除けば、やっとルックに触れられる状態というのは有り難いものだった。
 早速抱き締めようと腕を伸ばすと、
「こんな所で僕に触れたら、魔法見舞うからね」 と、思い切り険の篭った表情で言われ苦笑が零れた。
「ずーーーっと、我慢してたんだけど?」
「………死ぬまで我慢してなよ」
「触れてないと、ルックも寂しいでしょ?」
「……あんた、人の話聞いてるの?」
「聞いてるよ? 寂しいってちゃんと聞こえた」
 深い深い溜め息を吐くルックに笑みを向けると、やっぱり強い視線で睨み付けられてしまう。
「子供達、何でルックにあんなに懐いてるの?」
「………」 その問いにはちらりと視線だけを向けられて、答えは返らなかった。
「ルック?」
「子供の考えることなんて分解らないよ」
「ふーん」
「………何さ」
「明日、子供達うっちゃっていい?」
 ―――邪魔だし、と言うと、ルックは小さく溜め息を零す。
「……自分でやるからいいよ」
「出来るんだ?」
「多分ね」
「何で今まで放って置いたの?」
「面倒だったからだよ」
「子供が周りで跳び回ってる状態よりも?」
「………あんたの相手してるより、手間が掛からなかった」
 煩かったけどね―――うんざりしたような物言いに、それでもその状態を甘んじて享受していたらしいルックのそれに、ふっと何かが頭の中を掠める。
「………やっぱり、ルック。寂しかった?とか」
「はぁあ?」
 思い切り頭の中に疑問符浮かべてる状態っていうの、ちょっと失礼だよね。
「そんなこと、ある訳ないだろ」
「だって、周囲が煩かったら寂しくないよね」
「……だから、そんなんじゃないって」
「照れなくていいのに」
 又もや思い切り睨み付けられてしまう。そんなにあからさまに否定することないんじゃないかな。嘘吐けない所も好きなんだけど…ね。吐けないというより、吐かないんだよね、ルックの場合。
 嘘を吐くっていう事自体に必要性を感じないらしいから。
 その分、周りから反感かうけど。そんな事すらルックにはどうでもいいようで、改める様子もない。
「明日辺り、寒くなりそうだからね」
「………?」
「明日になったら教えてやるよ」
「ルック…?」 全く持って意味不明なルックの台詞に混乱してしまった僕に、
「夕食、行くんだろ?」
 と、はぐらかす様に声を掛けてルックは踵を返す。
「………今夜、泊ってっていい?」
「……今更だよ」 一端言葉に詰まったけれど、渋々といった態で小さな溜め息と共に許可をくれた。





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 別にいいんだけど…と、ルックは前置きをしてから前髪を鬱陶しそうに掻きあげた。
「何であんたの荷物が、僕の部屋にある訳?」
「ツバキに頼んだんだよ。部屋に運んでってね?」
「……あんたが、自分にあてがわれた部屋に居た例がない所為だろ」
 ルックの的を得た台詞に、苦笑が漏れる。
 この城を尋ねた時は、大抵ルックの部屋で過ごしてるし。ツバキがちゃんとそれとして認識しているのが、ルックのご機嫌を損ねてしまった要因らしい。
 勿論、隠してるつもりなんてないし。それどころか、吹聴して回りたいくらいなんだから、他人に知られたって気になんてしないけど。
 ルックがそのことについて、どう思っているのか聞いたことなかったから、実際どうなんだろう…と、突然考えてしまった。
「……ルックは知られたくない?」
 突然の問いに、ルックが訝しげに視線を向けてくる。
「僕は誰に知られたっていいと思ってるんだけど、ルックは知られたくないの?」
『何を…』 かは言わなかったけど、ちゃんとルックには伝わったみたいで、すっと目を眇めた。
「別に、…どうでもいいよ」
 興味なさ気に呟くと、部屋の隅に杖を立て掛ける。
 こういう関係になってからも、それ以前も、ルックの僕に対する態度は全くといっていい程変わりがない―――と、最初は思ってた。でも、違うんだよね、かなり微妙なんだ。
 何言うにしても、するにしても、ちゃんとワンテンポ置くから。
 そのほんの僅かな瞬間に、体制を立て直して接してくるから。
 感情や表情は綺麗に隠されて、決して本当の彼は見えなくなってる。
 器用なんだか、不器用なんだか。
「恥ずかしい……とか思わない?」
「…何でさ」
「うーん、色々と」
「恥ずかしい事やってるつもりなんてないよ」
 綺麗な翡翠の瞳。思いの外、強い光を湛えたその瞳に見竦められて。失言だったかな、とは思ったけど。それより何より、嬉しさの方が勝る。
「何笑ってるのさ」
 嬉しさがそのまま顔に出ていた様で、ルックが胡散臭そうに眉間を寄せる。
「嬉しいんだよ」
 ありがとうと言うと、一瞬、ルックは言葉に詰まり―――だけど、何も言わなかった。仄かに首筋が朱色に染まっていて、照れているんだと分かる。
「………何、やってるの」
 後ろからそっと腕の中に囲い込むと、どこか憮然とした声音が返ってきた。
「だって、ずっと触れられなかったんだよ?」
「そんな事…」
「何で態々こんなとこまで来たと思ってるの?」
 ルックに会いたかったから来たんだよ? 知ってるよね…ひそっと囁くように言うと困った風に俯く。
 さっきの台詞は恥ずかしくなくて、何でこんなことくらいで恥ずかしがるんだろう。
 ルックらしいといえば、らしいんだけど。
「…こうしていると、温かいよね」
 触れ合ったその場所が、ただ温かい。
 そうして、あぁやっぱり…と、気付く。
 ルックが居れば、それだけでいいんだよ?
 それだけで、ぬくもりで胸が占められるから。
 優しくなれるよ? ねぇ、ルック―――。





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「あっ、サクラさーん!」
 殆どぶつかりそうな勢いで駆けてきた軍主は、朝も早くから無駄に元気で、こういう行動もある程度見慣れたとはいえ、やはり苦笑が漏れる。
「やぁ、おはようツバキ。今日も元気だね」
「はい! おはようございます♪」
 石板上の中2階の守護神像(亀?)脇から、子供達に纏わり付かれている麗しの風使いを見下ろしながら、ツバキに受け答えをする。
「今日は機嫌がいいんですね」
 そのツバキの台詞にふと思い立ち、にこりと作った笑みを向ける。
「昨日、ルックから怒られちゃったよ?」
 ツバキが僕の荷を彼の部屋に運んだりするからだよ? そんな僕に、ツバキは顔を引き攣らせた。
「だってサクラさん、部屋用意しても使ってくれないじゃないですかー」
「そうなんだけどね」
 仕方ないじゃない? 意地っ張りな上に、自分からは絶対甘えてなんてくれないルックは、僕用に用意された部屋には絶対来てくれないし。
 それでも、片時でも側を離れたくないし、一時でも触れていたいこちらとしては、押し掛けるしかないから。まあ、押し掛けても、仕方ないね…って溜め息吐かれるくらいで、追い返されたりしないし触れることは赦して貰えるから。
「好きな人の側に居たいっていうの、至極当たり前だと思うんだけどね」
 ルックにそんなこと言おうものなら、 「冗談じゃないよ」 って呆れたみたいに言われるの解りきってはいるんだけど。
「あれ…ルックが……」
 突然驚いたように呟いたツバキの台詞に、石板前に視線を戻す。

 ルックが……居ない。

 その代わりに、子供達が 「ツバキお兄ちゃーーーん!」 と、僕の隣に居るツバキに向かって、やたら嬉しそうに手を振っている。
「ねえ、ルックはー?」
 ツバキが身を乗り出して子供達に尋ねると、彼らは大きく手招きをした。
「来て来て! お兄ちゃん!!」
「お外に行こう!」
「早く早く!」
「ちょっと失礼しますね」 急き立てる子供達に、ツバキは何だろう…と呟きながら階段に向かう。
 ツバキの到着を待ちきれないらしい子供達が、階段途中でその腕を掴んで 「急いで急いで」 と引っ張って行ってしまうのを見届けてから、さて…と、身を預けていた石柵から離れる。
 ぐるりと周囲をひとまわり見回して見ると、求めた波動は案外近くに感じられた。
「何やってるんだろうね」
 ぼそりと誰に聞かせることもなく呟いて、奇天烈な発明品を城で披露しているらしい、アダリーとかいう自称天才が作ったエレベーターに足を向けた。





 目指した先は、普段フェザーという名の空の眷属が座す場。
 今日はその姿はなかったが、その代わりに彼が居た。
 風を孕んで揺れる法衣。
 手にした杖をひとつトンと足許で鳴らすと、風使いの少年はその赤い唇に呪文をのせる。
 優しく―――それでいて強いその旋律は、戦闘時に発せられる攻撃系の呪とも癒しや護りの呪ともどこか違っていて繊細で柔らかだ。

 その呪に誘われるように。

 煽られるように。

 寒々しい淀んだ空の下、心持ち風が冷たさと強さを増す。
 謳うような心地よい旋律が、耳に届く度に。
 風向きは北からのものになり、彼の緑の法衣と鳶色の柔らかな髪を乱す。
 声を掛けることも出来ず、ただ彼の成そうとすることを見届けることに努める。
 っていうより、見惚れてた―――っていう方が正しいかもね。
 すっと背筋を伸ばしたその姿勢で、ただ一心に呪を紡ぐルック。
 寒いだろうに、風にその身を晒したままに呪文を唱える姿は、綺麗で神聖で…他の誰にも見せたくないほどに。

 心を、視線を―――奪われる。

「……ぁっ、」
 ふっと、視界の端を捕らえた白いそれに、思わず手を差し出した。けれど、それは僕の手に触れることなく、静かな風の中舞うように落ちていった。
「雪……?」
 この辺ではあまり見ないと聞いてたそれ。グレッグミンスターの方が気候的には暖かいから僕もあまり目にしたことはないんだけど。
 後から後から、静かにふわふわと降り注いでくる、雪。
「―――北の方の雪雲を風で寄せたんだよ…」
「ルックが?」
「他の誰がやるっていうのさ」
 上から見下ろしてきながらも、悪戯に成功した子供のように、どこか嬉しそうにそう言う。そんな表情が珍しくて、ついつい見惚れてしまう。
「そんなこと出来るんだ……?」
 まあね――何でもないように呟いて、軽い身のこなしで屋根の上から僕の立つ張り出したテラスにすとんと降り立った。

 ……背に羽根がないのが不思議だよね?

「―――行こう」
 珍しいことにルックから腕を掴まれ、何処へと問う暇も与えられず転移に引き込まれ―――到着した先は、展望台の前だった。
 突然現れた僕らに驚いたらしい表情の子供達とツバキ、それにナナミの姿も見える。ふたりとも、大勢の子供達に囲まれている。
「……約束、果たしたからね」
 ルックの台詞に、ツバキやナナミ、それに僕らは顔を見合わせた。
 約束……って? 問おうとしたところに、
「アリガトウ! お花のお兄ちゃん」 子供達の元気な返事。
 訝しげにルックの方を見やると、思いもかけずに優しい表情の彼を目にして何となく憮然としてしまう。
 僕にだってあまり見せてくれないような顔だったから。
 そんな僕に気付いた風もなく、ルックはツバキに視線を向けた。
「子供達から君達に贈り物、だって。雪、好きなんだろ」
 ツバキの大きな眼が、一層大きく見開かれる。そんなツバキの隣でナナミは嬉しそうに、ひとつこくんと頷いた。
「この時期のキャロは、雪に埋まってたから」 四方を山に囲まれたあの田舎では、冬といえば雪に囲まれていた記憶しかない、と。
「でも、楽しい思い出ばかりだよ」
 しんしんと、ただただ静かに舞い落ちてくる雪に、掌を差し出してナナミは言う。
「だからね!」
 下の方から、子供達が嬉しそうに声を掛ける。
「ツバキお兄ちゃんとナナミお姉ちゃんにね、雪見せてあげたかったの」
「だってね、この辺全然雪なんて降らないんだもん」
「だから、お花のお兄ちゃんに頼んだの♪」
「雪、風で運んできてって!」
「傭兵のお兄さんが、お花のお兄ちゃんは風を操るんだって言ってたから」
「ルックが―――?」 驚いて視線を向けるツバキに、ルックは何処か不貞腐れたようにふいっと視線を逸らした。
「言うこと聞いてくれなきゃ、石板前から離れないって、脅されたんだよ」
 だから、仕方なくだよ…。
 如何にも不本意という態で、言ってはいるんだけど…。照れ隠しってちゃんと分かるよ? 僕は当然だけど、ツバキとナナミはガサツに見えてもちゃんと人を見てるし。子供達はそれこそ、誰より真実を見抜く眼を持っているんだから。
「ありがとう、ルック」
「〜〜お礼なら、子供達に言いなよ!」
 口早にそう言い置いて、瞬時ひとりで転移した。
 ……置いてけぼりをくらってしまった。
 そんなに慌てて逃げ出す程、照れなくてもいいんじゃないかな……? まぁ、お礼とか言われるの苦手だって知ってはいるんだけど。そういう所も、好きなんだよね。可愛くて。
「雪、積もるといいね」
 ツバキとナナミに視線を向けると、ふたりして 「はいっ!」 と満面の笑顔で頷いた。
 彼らの周りで子供達が、跳ね回っていて。
 これでやっと、彼らから開放されるだろう石板守を想って…ほっとした。





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「 『お花のお兄さん』 って、言い得て妙だよね」
 一緒に遊びたがるツバキ達を何とか言いくるめて、石版前を覗くとそこにルックの姿はなかった。
 次に覗いたのは彼の部屋。案の定、彼は其処に居て……寝台の上で寝息を立てていた。
 どうやら、魔力の放出が大きかったらしい。
 ―――当然だよね。たったひとりで、あれだけのことをやってのけたんだから。
「……はぁ? 何さ、それ」
 時間的にはもう夕刻を過ぎたくらいで。ルックは、ほぼ半日寝込んでいた。
 起きぬけに手渡したミルク入りの湯呑みを両手で抱えながら、上目遣いに睨んでくる。声音は呆れているけど。
「さしずめ、ルックって花に例えると白いバラだよね♪」
 清楚で凛としたその姿。ルックそのままだと思う。
「棘で刺してあげようか」
「やだな、ルック。バラの棘は、そんなことをするためにあるんじゃないよ?」
 訝しげに視線を向けてくるから。
「バラの棘はね、傷付けるためにあるんじゃなくて、自分を守る為にあるんだよ」
 だから、ルックなんだよ? そう言うと、ルックは瞬時に朱くなって…。それでも睨み付けてきた。
「何で…それで僕なのさ」
「言って欲しいの?」
 にっこりと笑いながら言うと、 「もういいよ!」 と、そっぽを向いてしまう。
「どうせ、頭腐ったようなことしか言わないんだろうから」
 可笑しくてついつい笑ってしまう。頭腐ってる…ってね、ちゃんと思ったこととか考えたことしか言ってないつもりなんだけど…。
「で、最後まで分からなかったこともあるんだけど?」
 何さ…と、視線だけで問われ、 「結局何で 『お花のお兄さん』 って呼ばれるようになった訳?」
 そう問うと、一瞬ルックは言葉に詰まる。
「…………そんなこと、どうでもいいだろ」
「よくないよ? とってーーーーーも、気になる」 さっきの間、がね。
「…………………」
 視線を逸らせたルックの空になった湯呑みを取り上げて、側の台の上に自分の分と並べて置く。
 じっと見つめること数分。
 それはそれは盛大な溜め息を零し、ルックは漸く重い口を開いた。
「……花、貰ったんだよ。要らないって言ったけど、要らないなら捨ててくれって言われて……。でも、こんなに寒い中頑張って咲いた花、捨てるに捨てられなくて!どうしようか迷ってるところに子供達が来たんだ。丁度いいと思って、女の子にあげたら」
「 『お花のお兄さん』 ?」
「冗談じゃないよ、あれ以降懐かれるし。変な名前で呼ばれるし」
 それは……確かに、冗談じゃ済まされないだろうね……。
「―――で?」
 にっこり笑う僕に、ルックは思わずといった態で身構えた。
「ルックに花くれたのって誰?」
「…………………何でそんなこと聞くのさ」
「何でってね、要注意でしょ? やっぱりね」
 にっこり微笑んで尋ねたのに、ルックってば 「言わないよ」 なんて睨み付けながら返して寄越すから。
「何で?」
「……ツバキが天魁星の任を終えるまで、一星だって欠けさせる訳にはいかないから!」
「…………宿星のひとりなんだ?」
 含むように言うと、今度は身を乗り出して来た。
「〜〜〜余計なことしたら! もう2度と部屋になんて入れてやらないからね!?」
 ……それは…………困る。
「じゃあ、聞かないけど……」
 そう言うと、ほっとしたようにルックが身体の強張りを解く。……ちゃんと僕って人間分かってるよね。
 ルックに手を出そうなんて輩、ただじゃ済ませないって。
「ちゃんと、自己防衛してね?」
 バラの花程度には。四六時中君の側には居られないんだから。せめて、その身に寄ってくる害虫は退治してくれないと。
 僕だって、死人は出したくないんだよ?
「…………馬鹿?」
「馬鹿でもいいから、ね?」
 ルックが僕以外の誰かに手折られるなんて思わないけど。
 それでも、誰かがほんの少しでも君の側に居るのは嫌なんだ。
 それが、例え年端のいかない子供でも。
「……僕だってこれ以上の厄介事はご免だから! もう花なんて受け取らないよ」
 疲れるし―――と呟くルックに、苦笑が漏れる。
「うん、そうしてね」
 例えどんなに寂しくても、どんなに凍えそうでも、ひとりで居て欲しいって思うのは僕の我が儘だとは分かってるんだけど。
「……子供も、抜けた天魁星も面倒だけど……あんたが一番厄介だよ」
「うん、だから、ずっと面倒見てね」
 にっこり満面の笑顔を向けると、ルックは深々と溜め息を吐く。

「……仕方ないからね」





 窓から見えるのは、ちらちらと舞い落ちる雪ばかり。
 吐息さえ凍りつきそうな冷たい空気。
 だけどね、大丈夫。

 だって、ここには君が居るから。








...... END
2002.01.09

 終わった!!! 長い! 長いっすよね、これ! 前後に分けるべきだったかな…? どこで切ろうか迷って、結局そのまま…。
 実はクリスマス小説だったものです。だけど、結局間に合わなかった(苦笑)。
 書きたかったのは、坊がルックを花に例えるとこだけ!なのに……何故こんなに長いの?←謎

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