何かを欲っするとか願うとか。 ―――焦燥感さえ伴う感覚には、正直縁がなかったように思う。 人なら持ち得る全ての欲が希薄な自覚だけは、しかりとあったけれど。 だけれど、彼に逢って彼を知って、その存在が在るというただそれだけの事に言い知れない幸福を感じた。 そうして、己の強欲さをも知った。 幸福の在り方 解放域視察と交易を兼ねての散策ツアーにグレッグミンスターから連れ出されたのが、昨日。 一端様子を見に戻った城で、軍主は帰城を待ち構えていた軍師に敢えなく捕獲された。どうやら、息抜きの意も多大に兼ねていたらしい。 「帰らないで下さいね!」 憮然としている軍師に引っ張られながら、軍主・ツバキは喚いて執務室へと消えた。 「って訳で…暇なんだ」 なので、仕方なくこれまた暇そうなシーナ辺りに声を掛ける。 「………俺は暇じゃない」 厳密に言えば、シーナはレストランで給仕の女の子を誘っていたようだったけど。どうせ相手にされないだろうから、暇だという事にしておく。 「何だってルックんとこ行かねー訳?」 「邪魔だって」 ルックは今、昨日手に入れた書物を読破するのに忙しいらしく、構ってもらえない。いつもならそんなルックを見てるだけでも良かったんだけど。 「どうせ、久しぶりだってんで夜無理させたんだろ」 思いもよらない突っ込みに、思わず詰まる。 「……えっ、マジ?」 と、逆にシーナの方から驚いたような声音が返って来た。 不覚ながらの失態だ。と、いうか………周囲の者にそういう下世話な探りを入れられた事自体がない所為もある。 「……突然、そういう話題振られたから驚いたんだ」 肩を竦めて取り敢えず、返答。 「そりゃ、お前は兎も角? ルックがな」 「何?」 「そーゆうのと縁遠そうで」 普段生活臭さえ感じさせず欲の欠片も見せないルックが、快楽に溺れているさまが想像もつかないと言ってのけるシーナに見せるのは。 「好奇心は身をも滅ぼすよ、シーナ?」 明らかに怒気と殺意を込めた笑顔。 「………スミマセン」 見かけに寄らず人の感情の機微に敏い友は、違え様もなく笑顔の意味を悟ったようで顔を引き攣らせる。 普段の彼でさえ、誰にも見せず、誰にも触れさせずにおきたいと思っているのに。 「つーか、お前がルックとの仲吹聴するから? どうしたって勘繰りたくもなる」 「心外だな。僕がいつ吹聴したって?」 「えっ? だってお前、否定しねーじゃん」 確かに、否定はしない。 「だけど、肯定もしてない筈だよね」 そういう類の質問には、答えない。っていうか、勿体無くて教えられないって言うのもあるけど。それより何より、そんな迂闊な事を口走って、ルックに知れたら暫くは触れさせてもらえなくなる事の方が問題だ。 知れたら知れたでいいと、隠す必要なんてないと言うけど、当時者である僕らの口から公言する事はないだろうとも彼は言うのだ。 その辺の線引きが微妙で、そのまま彼の内を示している気がする。 「思わせぶりににっこり笑われたら、誰だってそう思うだろ」 「まぁね、意図的だから」 それに、勝手に乗っかってるのは君たちの方だよと微笑んで言えば、シーナは嫌そうに顔を歪めた。 「………ま、いいけど」 そうだね、そういう深いトコまで首突っ込まない方が得策だと思うよ。 「お前等揃って性欲薄そうだし、やってないって事も充分有り得るし」 「…………そういう言われ方は、凄い複雑だな」 勿論、これしきの煽りでボロを出す気は皆無だけど。 「心外だと思わない?」 ルックの部屋に戻り、飽きもせず書物に首っ引きになっているルックに事の次第を告げれば。 「何だってあんた達は昼間っからそんな実りのない会話してるのさ」 心底呆れたというような言葉が返ってきた。別に会話自体は僕が振った訳ではないけれど、乗ったのは事実だから苦笑するしかない。 「だけど、シーナの暴言は許容できないよね」 「………別に」 どうだっていい、と続けるルックの翡翠の瞳を、そっと覗き込む。逸らされる事のない瞳を、捕らえたままに。 「だって、僕はいつでもどこででもルックの事欲しいと思ってるんだから」 ―――告げる。 だけどこれは、性欲って欲じゃない。僕として生きる為には、彼しか要らない。彼が居なければ生きては行けない―――その為に生じる欲。 いうなれば、生欲だ。 「強欲」 「うん、ルックだけにね」 「……我が儘」 薄っすらと朱をのせる項が、さらりと流れる髪に晒される。肌が白い所為か、朱色が綺麗に映える。 「ルックだから、だよ」 てらいも何もなく告げれば、怒りの所為か照れの所為か目の縁まで赤く染めて睨み付けてきた。その翡翠からは微かに怒気も感じるのに、何故か頬が緩んで仕方がない。 「ッ、何でヘラヘラ笑ってんのさ」 「だって、ルックが居るから」 そう言うと、何とも言い様のない微妙な顔付きになって、そして次第にむくれてくる。 「あんたの怪しさ極まりない挙動の全てが、僕に直結してるとでも言いたいの」 「うん、そうだよ」 怪しさ極まりないって揶揄はどうかとも思うけど……さも当然ときっぱりと言い切れば、流石にルックは口を噤んだ。 そして暫し睨み付けられた後、 「………いい迷惑」 ウンザリとした様がありありと窺える声音が零されて。苦笑しながら膝に抱えていた書物の上、開かれていた頁を押さえていた手をそっと取る。 緩やかに握り締められたてのひらを、そっと開かせる。 「なっ…」 ぴくりと強張って、そうして逃げるかのように退かそうになるのを 「駄目だよ」 と、囁きひとつで留めさせて。 それでも小さく睨み付けてくる翡翠と視線を合わせる。綺麗な翡翠に映る己を認め、自然と顔が緩み笑顔が零れる。と、睨み付けてくる視線はそのままに、白皙の頬がそれは見事なまでに朱色に染まった。 「僕がこんなに幸せなのも、ルックの所為だよ?」 もうちょっと自覚してね? と、微笑んだまま言い添えて。 開かせたてのひら、そっと柔らかに触れるだけの口付けを落とした。 ...... END
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