例えば、こんな話 − クリスマス噺 厚い窓ガラスが、外との気温差を現すかのように結露する。一粒の水滴が、一筋跡を残して桟へ落ちてゆく様を見、知らず肩が震えた。 尤も、部屋の真中で大きなストーブが焚かれているから、実際にはそれ程の寒さなんて感じない。 おまけにストーブの上には、もわもわと湯気を上げるヤカン。そのヤカンの脇に、アルミホイルに包まれた長細い物体が数個置かれ、食欲をそそる匂いを漂わせていた。 「これ、役員のオヤツ」 さつまいもにアルミホイルを巻きながら、役員のひとりであるテッドはにっかり笑って言った。エアコン設置の部屋なのに、わざわざストーブで暖をとるのはその物体の所為らしい。 そのテッドも今は、パソコンに向かって何かしらの文書をこさえているらしく、彼にしては大人しい。 生徒部会に籍を置くようになって、早4ヶ月。 それなりに仕事には慣れたし、居心地の悪さを感じるような事もなくなってはいた。 数日後には冬休みを迎える。その間はその間で又、家の雑事で大変だろうとは思うが。 ひとつ溜息を零してから、手元の書類に視線を戻した。昨日行われた生徒部会会議での議事録で、3学期が始まったら即入用になるものだった。長期休みに入る前に、まとめてパソコンに打ち込んでおかなければならない。 「これ、見に行かない?」 チェックの入った要項に目を通していたところに、短冊のように長細い紙を差し出されて、当然のようにそちらに意識が持っていかれる。 「…何?」 邪魔しないでよ、と言い掛け、視界に入っていた紙に書かれた文字を無意識に追って。 「…………行く」 思わず、ふたつ返事で返していた。 それはとある冒険家の写真展のチケットで。僕はその冒険家の撮る写真が、とても好きだった。 写真家ではなく冒険家と名乗るだけあって、その写真は珍しいものばかりで。雄大かつ繊細、そしてどこまでも自然だった。一輪の花から、遺跡のようなものまで、視界に映る物を魅せる形に切り取ってゆく。 冒険家なので写真展は滅多にしないが、それでも旅費がなくなった…と本気か冗談か解らない理由で、本当に唐突に写真展が行われたりする。それが、一週間とか一月とか期間もまちまちなので、実際の所まだ2度しか行けてない。 期限が今年いっぱいになっているチケットを見せられて、今現在写真展が開かれている事も漸く知ったばかりだ。 「じゃあ、クリスマスの日どうかな?」 都蘭学園は、23日から冬休みに入る。今年のクリスマスというと週末な所為もあり、人出が多そうだけど……と、目の前の生徒部会長をちらりと見上げる。こいつはこれでも、この学園の会長らしいし、その他にも実家の事業に関しての勉強をしてる最中らしいし……忙しい身の上であるのは知っている。だったら、こちらで合わせるしかないだろう。 「いいよ。1時に駅前で、いい?」 確認するように首を傾げると、「うん、いいよそれで」 とにこりと微笑みが返ってきた。 最初は得体の知れない胡散臭さばかりしか感じなかった。 だけど、それなりの間傍にいて見てれば、ただ不器用なだけの腹黒なヤツだと知れてきて。 それもどうだか…と思いながらも、未だ傍にいる。 尤も。それは、今期生徒部会に無理やり任命されたから、だ。 そうさ、それ以上何があるっていうのさ―――。 そうして、唐突にふっと気付く。 ”何であの男は、僕があの冒険家の写真が好きだって知ってたんだ?” なにやら浮かれて見える背に、訝しい気色満面な視線を向けてやったけど。向けられた男は気付く様子もなく、ストーブ上の芋の具合を確かめていた。 そして、クリスマスの約束をした3日後。 生徒部会での仕事も無事終え、僕等は冬休みに突入した。 一体何度目になるのか。 腕時計を見、いっそ自分でも見事だと思うほど不機嫌度が上がってゆく。 ”……誰が誘ったのさ” そう、今日は約束したクリスマス当日で。既に、待ち合わせの時間から小一時間ほど過ぎていた。 色取り取りあちらこちらに飾られたイルミネーションは、確かに綺麗で見てる分には飽きないかも…だけど。 空は今にも何か落ちてきそうな雲が覆っているし、足許からは凍えそうな冷気が這い上がってきているし……おまけに、ひとりで立っていると「何、待ちぼうけ?」と何故かひっきりなしに男共が声を掛けてくし。 感覚のなくなりかけた手にほうっと息を吹きかけて、ジャケットのポケットに突っ込んだ。 基本的に、時間にルーズな人間は嫌いだ。 ついでに言うと、寒いのも嫌いだ。 それでも、待っているのは、あいつが僕の行きたい写真展のチケットを持っていたからで。 「………行けないなら誘わなきゃいいじゃないか」 白く色を付けた呼気に乗せてぽそりと呟いた所で、吹き抜けてきた風の冷たさに、思わず首を竦めた。 あいつは変なヤツだけど、嘘を吐いたりしないという確信だけはあって。誤魔化したり、告げない事はあるけど……別に、あいつの全てを知りたいなんて思ってやしないから、それは一向に構わないんだけど。 ぐるぐる回る思考に、そっと白い吐息を零した。 実を言うと、誰かと待ち合わせをしてどこかへ行く―――なんて事は初めての事で。だから、こういう状況も勿論、初めてで。どうしていいのか解らなくて、途方に暮れてしまう。 こちらから連絡取るなんて事なかったから、電話番号も知らないし。僕は携帯電話なんてモノも、持ってやしない。至急の連絡の取り様がなくて、待ってる事しか出来やしない。 「携帯くらい、持つべきか」 どこでも構わず拘束されてるような気になるから、持ちたくなんてないけど。確かに緊急時には即座に連絡が取れて、便利なのには違いない。 けど―――だ。 「…何か気に食わない」 そう、それがあいつの所為で持つ羽目になるかも知れない…って事が気に入らない。 楽しげに会話を交わしながら行過ぎる人々の波を見るとはなしに見、再び溜息を零した。怒りより、虚しさが込み上げてくる。 「…………帰ろう、かな」 写真展、凄く楽しみにしていたのに。次はいつあるのかさえ、解らないのに。胸のモヤモヤを、そう置き換えて、凍りついたようにその場から動こうとしない足を持ち上げた。 刹那、 「―――ック!」 耳に届いた己の名に、浮かせた足が再び凍る。 誰かなんて、振り向かなくても解ったから。浮かせた足を着地させ、仁王立ちになって迎えてやる。 「あんたね、一体何時間待たせれば気が済むのさ!」 ついでに、指を突きつけてやった―――先には、サクラ・マクドールの姿。 乱れた髪と、こんな寒さの中にも限らず上気した顔と額に浮いた汗に、一瞬気を取られる。 と、ゴメン!と、勢い良く頭が下げられた。 「昨日と間違ってて!」 「………はぁ?」 「イヴと、今日、間違ってたんだ」 昨日電話したけど、ルックの家留守だったし―――と言われて、怒るのも忘れて頷く。 「昨日は、レックナート様の荷物持ちで買い物出てたから」 珍しく夕食も外で取ったから、家に帰り着いたのは遅かった。イヴって事で、そういう店は人が多かったけど、レックナート様の仕事関係の店だったのか、特別待遇されてそう待たされる事もなかったし。 「6時からどうしても外せないパーティがあったから、それ以降電話も出来なくて」 それは、6時近くまで待ってたって事、だろうか。きっと、この男の事だからそうなんだろう。 「今朝も、ルックの目が覚めただろう頃に電話したんだけど」 「……レックナート様の仕事に付き添いで行ってたからね」 居なくて当然だ。 「昼過ぎにやっと通じたと思ったら、ルック写真展に出掛けたって言われて?」 その時、漸く今日が約束したクリスマス当日だった事に気付いたんだよ、と。 「………あんた、馬鹿だろ」 クリスマスっていうのは、25日の事だ。 「24日はクリスマスイヴ。前夜祭」 そんな事は、子供でさえ知ってる常識だ。だから、わざわざ日にちを確認する事さえしなかった。 「本当に……ゴメン! 気分的には24日の方が盛り上がるから………何となく、そう思い込んでて」 平身低頭で謝ってくる。下げられた頭の天辺の旋毛を、怒りより呆れを含んだままに見ていたけど。突如、冷たさを含んだ風が駆け抜けて、ふっと思い出す。 「……寒い、」 「えっ?」 「寒いって言ってるんだよ、僕は!」 そうだ、寒かったんだって事に、今更だけど他人ごとのように思い至った。 「あぁ、うん! ごめん!!」 そう言って、唐突に抱き込まれる。 「―――ッ、ちょっ」 確かに未だに上気したままの体温は、温かかったけど。 そう思って、この寒空の下で凍えていた身体が今更の如くリアルに感じられた。 1時間だけでも、こんなに凍えるのに。 そう思って、自分を抱き締めている男を窺う。 例え、こいつが5時間こんな寒い空の下で待ちぼうけくらってたとしても……それは、こいつの自業自得というものであって、僕の所為じゃない。 だから、僕が罪悪感なんて感じる事、ない筈なんだ。 こいつの所為で、僕だって1時間待ちぼうけくらわされた口なんだし。 だけど―――。 「……も、いいよ」 言いながら、胸元を押し退ける。いつまでも、こんな人気の多い場所でくっ付いとくなんて、冗談じゃない。 「あんたが馬鹿だって事、うっかり忘れてた僕も悪いんだから」 呆れ混じりに溜息を零してやるのは、せめてもの嫌味だ。このくらいで許してやろうっていうんだから、感謝して欲しいくらいだ。 「それより。あんた、今日の予定はいいの?」 もしかして、何か予定が入ってたんじゃないだろうか。髪は乱れているけど、仕立ての良さそうなスーツを着ているから…仕事の最中だったんじゃないんだろうか。今はない父親の事業系列の会社が多いって事で、それなりに忙しいって知ってる。 「ん、だけどね。僕の最優先事項はルックだから」 「何、それ」 呆れて返すと、いつもの笑みで迎えられて、大丈夫だよと告げられる。 「うん? 無理しないで学生の内は子供でいていいよって、優秀な幹部連が言ってくれるんだ」 へぇーと、正直驚いてしまう。ちゃんと、父親みたいに見守ってくれる人だって傍に居るんじゃないか。 「じゃあさ」 一方的に振り回されたんだから、お返ししたって構わないよね。 「寒いから、紅茶の美味しいお店に行って。それから、写真展見に行って。―――それから、」 傍にある黒曜石の瞳を、覗き込むように見上げ。 「携帯電話、持とうと思うんだけど。連れてってよね」 刹那、きょとんとした表情が次第に緩み、そして満面の笑みに変わり。 「了解v」 白い吐息と共に、零れ落ちた。 その日から。 僕は、誠に不本意ながらも、携帯を持つ事になった。 一番に登録された名が誰のかなんて……言わずもがな、である。 ...... END
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