さわり吹き込む風と、誘われるように舞い落ちる淡い桜の花弁と。
 窓のブラインドをまとめ、全開にした窓を前に 「春だね」 とへらりと笑む男の様は。
「あぁ、確かにね」
 そのまま春を思わせるような穏やかさと暢気さで、ため息さえ零したくなる。





例えば、こんな話 − 春呼ぶ 風




 都蘭学園は、生徒が自治を持つ学園で。
 当然、入学式・卒業式、その他の行事も生徒部会という組織が主体となって総て担う。
 だから、入学式を明日に控えた今日だって、忙しさの真っ只中―――の筈だ。
 現に今現在、生徒部会室に居るのは僕と学生部会長である目の前ののほほんとした男だけ。他の面々は、講堂やら職員室やらを走り回っている…だろう。
「こんなとこで、のほほんとお茶してていい訳?」
 忙しいのは嫌いだけど、自分の役割をこなさないのはもっと嫌いだ。
「うん、今日は暇してられるように昨日は遅くまで残ってただろ?」
 僕らはね―――との言に、今現在走り回っているだろうやる事を先延ばしにしていた連中の顔が浮かんだ。
「ちゃんと、やれる内にやれる範囲の事やっとかないから、彼らは花見が出来ないんだよ」
 ひとりひとり、こなせる仕事量しか与えてないしね。
「……そう」
 効率悪い気がしなくもないけど、ひとりひとりを育てようとするならこの男は手は出さないだろう。そのくらいは、不本意だけど解るようになっていた。

 窓からふわりと暖かさを含んだ風が吹き込み、机の上の束ねられた書類を数枚巻き上げる。
 おそらく、新入生関係の書類だろう。こんな人目のある場所に置いたままなんて、無造作にもほどがある気がする。
「今更、新入生チェック?」
「あぁ、うん。悪い虫いないかどうか?」
「………ムシ?」
 って、何だ?
「去年まではこんな事しなくて良かったんだけど」
 そう言って、意味深にくすりと笑う。
「だけど、こういう事できるって事自体、幸せかなとも思うんだよね」
「……あんたの言ってること、全っ然解んないんだけど」
 相も変わらず、一度その脳内覗いてみたい気にさせる奴だ。きっと、理解不能なものが飛び回っているに違いない。
 そう、告げると。
「それはいいね」
 そう、いっそ楽しげに言われた。
「きっと、ルックのことでいっぱいだよ」
 そんなこと、断言されても嬉しくない。



 整然と並べられた椅子に、今年度の入学生一同が緊張した面持ちで座っている。
 式に出席しているのは、新入生と保護者を除けば、どこかのお歴々の人たちと、学園講師連、そして学生部会の連中だ。他学生が出席していないのを見るにつけ、学生部会に入っていなければサボれたんだよね…と、ある意味場違いな思いに捉われた。
 だって―――。
「生徒部会長より挨拶」
 式の司会進行が今日の主たる仕事、だった。脇ですればいいだけのそれを安易に引き受けたのはいいんだけど………ちらちらと向けられる視線がやたらと煩わしい。
 あまりに不躾な視線に、段々と不機嫌になってゆく自分が解る。
 目立つこともないだろうし、重労働でもなかったから安易に受けたけど……甘かったかも知れない、と思うのは今更だ。
 落ち着く為に、何度目かの深い呼吸を繰り返した横で、すっと音もなく立ち上がったのは生徒部会長である男。
 宥めるように、軽く肩を叩いてくる。
 窺うように僅か視線を向けると、穏やかな微笑が返ってきた。
「………」
 さっさと行けば、との意を込めて、小さく睨んでやるとそれは苦笑に変わる。
 そして、何事もなかったかのように壇上へと向かった。
 壇上に上がると、微かに沸き起こる感嘆の声。
 すらりと伸びた背筋と、艶やかな黒檀色の髪と。前に向けられた黒曜石の瞳を配した整い過ぎた顔に、誰もが一瞬視線を捕らわれる。いつもへらへらとした笑みを浮かべているから気付かなかったけど、人を寄せ付けない類の美貌だと思う。
「ようこそ、皆さん」
 流々とした声音が、静まり返った講堂に響き渡る。
 こうしてるとまともに見えるよね……。
 はなはだ失礼なことを思いながら、壇上の男を見やっていた。
 皆の視線を一身に集め堂々とし訓示を述べるさまは、普段自分の前で見せる態度とは違い過ぎて、僅かな違和感を感じてしまうのも確かだ。
「―――学園生活を謳歌して下さい」
 最後にそう締め括った後、さっそうと壇上から降りてくる。それまですかしていた顔つきが、視線が合うと共ににっこりとした笑みに変わった。
「〜〜〜ッ、」
 まだ、目立ち過ぎる生徒部会長の後を追う視線は離れていないっていうのに! 無駄に視線がこっちに向けられるだろ!!
「―――新入生代表、挨拶」
「はい」
 元気のいい声と、椅子から立ち上がる音。一斉にそちらに移動する視線に、内心ほっとする。
 壇上へと向かう新入生代表を横目で見やりながら、隣の席に戻ってきた男に 「どういうつもり」 と小声で威嚇する。
「ん? 虫予防対策」
「〜〜〜〜〜〜って、解んないし!」
 だから、ムシって何だ!?
「在校生は大体知ってるけど、新入生は知らないだろ?」
「……何を、」
「ルックと僕の関係」
「はっ?」
 僕らの関係って、何? ただの、生徒部会長と役員ってだけじゃないか。
「誤解されるような言い方、やめなよ」
 へらへらと笑って、何がそんなに楽しいのやら。溜息を零したくなったとしても、仕方ない。
「もうちょっとで式終わりなんだから、目立つようなことしないで」
 それだけ、守ってくれたらいい。
 挨拶を締め括り、壇上を去る新入生の姿を視界に収めて、あと一息とばかりに大きく息を吸う。
 そう、 「閉会の言葉」 で、終わりだ。
 男の向こう側にいたツバキが、すくっと立ち上がり、スタンドマイクに歩み寄る。
「以上をもって、第108回入学式を終了します」
 途端、会場全体を包んでいた緊張感が緩む。
 ほっと吐息を吐いて、椅子の背にもたれた。
 隣の男が、役員の先導に従い各クラスにお戻りくださいとマイクで指示するのを聞きながら、手元の書類をまとめて立ち上がった。
 これで取り敢えず、今日の主だった仕事は終わりだ。
「お疲れ様」
「…お疲れ」
 マイクで指示を出していた筈の男は、いつの間にやら真横に移動して来ていた。
「先、部会室戻ってるよ」
 仕事そのものより、向けられる視線の多さに疲れた。
「あ、うん? ちょっと…」
「?」
 向かい合った体制で、そっと髪を取られる。問い掛ける間もなく、そっと愛しげに啄ばむように押し当てられる吐息を感じて。
 ぞくりと背筋を這い上がった感覚に、とっさに手を振り払った。
「いい加減に―――ッ!」
 思わず怒鳴ったところで、はっとする。気付けば、驚いたようにこちらに向けられる視線視線視線。講堂内の全ての視線が、集中していて。
 あろう事か、隣の男は満面の笑顔だ。
「〜〜〜ッ!」
 自然赤らむ顔を隠すようにとっとと踵を返すと、振り返ることもせずその場を後にした。
 走らないでいることだけが、唯一のプライドの保ち方だった。


「………何だって、」
 あの新入生が全員集まる場所で、僕とあいつが何かしらの関係がある―――って皆に見せ付けるのが、あいつの目的だったんだと。
 生徒部会室に戻り、冷静になった今なら、はっきりそう解るのに。
 否、あの時にそれが解っていたとしても、巻き込まれずにいられたかどうかは甚だ怪しい限りだけど。
 何度目かになるのか解らない溜息の回数をもうひとつ増やしたところで、
「ただ今〜」 と、自分の役割を終えたらしいテッドが生徒部会室に入ってきた。
「………」
 又、何だってこいつが一番なんだ…とばかりに、肩を落とすと。
「馬鹿だなぁ、ルック。あれ、確実に墓穴―――つーか、あいつの策略に思いっきり嵌ってんぞ」
 開口一番が、今は考えたくないことをまざまざと突き付けてくる言葉だ。
「そんなこと……知ってるよ!」
 わざわざ再認識させてもらうまでもなくね。お陰でこっちは自己嫌悪の真っ最中だ。まんまとあいつの策略に嵌ってしまうなんて!
「ま、安心しろって言うのも変だけど? 言い寄ってくる虫が激減するって思って許してやれ」 前の学校じゃ大変だったんだろ、と言われて気付く。
「………ムシ」
 あいつが散々言ってた単語だ。
「サクラに面と向かって対抗しようなんて愚かな奴は、そう多くねーからな」
 楽しそうに言われて、ムッとする。
「その程度の見返りと、僕とあいつがいわゆる…デキてるなんてふざけた戯言、天秤にかけられるとでも?」
 そうさ、女子は兎も角、僕の性別さえ履き違えているような馬鹿な男たちなんて、鼻で笑って一蹴出来るじゃないか。
「そりゃ、ルックはそうだろうけど? そんなお馬鹿な奴らさん、サクラが放っとくと思うか?」
「……………」
 はっきり言って、思えない。
 だけど―――。
「何だって、あいつはそこまで僕にこだわるの?」
「……それ、本気で言ってる?」
 心底疲れたように問われて、ルックは僅か眉間に皺を寄せた。
「どういう意味さ」
「……いや、いいけど」
 テッドにしては曖昧な物言いに首を傾げる。この男は、誰に対しても物怖じしないを常としていて。こんなさまを見るのは稀だ。と言いつつ、僕は結構な回数見てる気がするけど…。
「あいつにとってお前が特別だって、思ってればいいんじゃないか?」
「…そんなの、要らないよ」
 特別、なんてされたくない。
 一方的な想いに振り回されるなんて冗談じゃない。
「でも、拒絶出来ないだろ?」
 当たり前のように言われて、口ごもる。
 確かにこいつの言う通り…なんだけど。
 そう認めてしまうのは―――酷く、癪に障る。
 八つ当たり気味にキッと睨み付ける。僕が言い負かされるなんて、レックナートさまとこいつと…あの元凶の男だけだ。レックナートさまは…ある意味人外に等しいから仕方ないとしても。他のふたりに対してというのは、ムカつく以外の何ものでもない。
 ―――と。
「テッド」
 背を向けていた部会長室の入り口から、嫌になるほど聞きなれた声音が、些かの険を込めて耳もとに届く。
 振り返らずとも、あいつだって……解る。
「ルック苛めないでね」
 口調は柔らかだけど、ぎざぎざの棘を装着したのが良く解る声音だ。いや、それより何より。
「苛められてなんて、ない!」
 台詞の内容が聞き捨てならない。誰が、誰に、苛められたっていうんだ。
 思わずムキになって投げつけた言葉だったのに、視線を向けた先には苦みを帯びた笑み。
「あぁ、うん。ごめんね」
 本当に謝罪の意がこもっているのかいないのか。笑みを湛えられて言われても素直に受け取るなんて出来ない。
 っていうか……どんなにこっちが文句を言っても激昂しても、いつもこんな風に暖簾に腕押し状態だから、怒るだけ無駄だと思ってしまう。こいつ相手に、溜息と諦めは必須だ。
 どうして、いつもこんなんなんだろう?
 既にそういう不本意極まりない型が確立されてるようで……情けなくなってくる。
 しかし、だからといって。
「………これから、人前で必要以上に密着しないで」
 譲れない部分は確かにある訳だから。
「うん、気を付ける。でも、人前でなきゃいいんだよね?」
「〜〜〜揚げ足を取るな!」
 そもそも、気を付けるなんて言ってるけど、こいつの場合全くもって当てにはならない。
「ルックがね、他所を向かなきゃ、嫌がることはしないよ」
「……………訳、解んないよ」
 他所って、何?
「僕だけ見てて?」
 続いて向けられた言葉に、僅か眉間に皺が寄る。
 見ててやってる…というか、そうするまでもなく、こいつは我が物顔で人の視界に入り込んで、勝手に僕の世界を侵食して行く―――結構な存在だ。
 お陰で、こいつに構うと他を気に掛けることが至極困難になる。
「これ以上、どうやって見てろっていうのさ」
 生憎と、そんなに器用じゃない自覚はしかりとある。
 そう告げた途端。
 微笑を浮かべていた端正な面が、瞬時呆気に取られ、やがてほんのりと赤味を乗せた甘く蕩けるような笑みに変わった。
「―――ッ、」
 そんな表情は不意打ちだと、胸が跳ねる。
「じゃあ、他所向かれないように頑張んなきゃね」
「〜〜〜いい! あんたはそれ以上何も頑張んなくていい!!」
 これ以上、下手なことしでかされて頭痛の種増やされるのなんて冗談じゃない。
「ルックって結構……天然っぽいよな」
 これで無意識だから怖い、とぼやくテッドの台詞に。
 既に言葉を返す気力はないに等しかった。



 開け放たれた窓の外で。
 散っては落ちる桜の花弁が、風に巻き上げられて視界の隅を舞う。
 曖昧な彩りの中でくっきりと姿なすのは、淡い笑みを湛えた黒曜石の瞳。それは、あまりに鮮やかに―――僕の視界に色を成すのに。
 それでも、そうと認めるのは多大に困難を極めるのだ。








...... END
2005.05.06

 春編です。
 夏・秋・冬と続きます。それまでに…ちゃんと両想いになってるのを希望しますv

BACK