例えば、こんな話 − バレンタイン騒動 生徒部会室の扉を開くと、年度末な所為か生徒部会役員は勢ぞろいしていた。珍しいと思いながら、それ以上に気になったのは室内一杯に広がる甘い香り。 「………」 思わず咽そうになるくらいには、甘ったるい。 どこから香るのかと室内を見回せば、 「「「「「お疲れさま〜」」」」」 暢気に声を掛けてくる彼らの机の上には、それぞれ小積みされている色取り取りにラッピングされたチョコらしいものの山。 これを見るにつけ、生徒部会役員が人気者のバロメーターになっているっていうまことしやかな噂は、あながち間違いでもなさそうだと思う。 だけど、包装紙という遮断物に包まれたものから発せられるにしては……この香りは濃厚過ぎる。この程度の数でこんなに香る訳ない。 は、兎も角として。 「……空気入れ替えていい?」 「えー、寒くなる!」 途端にブーイングの嵐が沸いたけど、このままじゃ髪の先からつま先まで甘い匂いでデコレーションされそうで、敵わない。ついでに言うと、胸がムカムカしてくる。 問答無用とばかりに窓に足を向けると、 「そういえば、ルック来たら部会長室にって!」 役員の癖に滅多に顔を出す事もないツバキが、慌ててそう告げてくる。思わず部会長室へと視線を巡らせて。 「…………何で扉閉まってるの」 いつもは、開いている扉がぴしゃりと閉まっているのを見、なんだか嫌な予感を覚えた。 「そんなの知らないよ」 取り敢えず、お召しだからと言われて仕方なく扉に歩み寄る。どう足掻いたって、結局はあの男・生徒部会長の言い成りになってしまうのは目に見えている。あの男に関してだけは、無駄な労力は使うだけ損。 吐息をひとつ吐いて、取っ手に手を掛けたところで、ふっと。 扉の向こうに、大量のチョコがあるのかも知れない。 あの男は、外面はいいから。臨時の店舗開けそうなくらいは貰ってそうだ思い至り、刹那手を退きそうになってしまう。 けど、さっさと行く!と、背後から野次を飛ばされて、渋々重々しい扉を押し開く―――と。 「うっ」 殺風景な室内はいつも通りだったけど、代わりに咽返るような甘ったるい香りがいっそ嗅覚を刺激した。匂いの出所は、ここだったらしい。 「あぁ、ルック」 振り返ってこちらを見た男が、その笑みを深める。 「……何、この匂い」 「うん? あぁ、そう言えば匂うね」 部屋中充満している香りに慣れて嗅覚が麻痺していたのか、男はくんくんと確認するように匂いを嗅ぐ。そして、苦笑混じりにそうのたまった。 「匂うどころじゃないだろ、これ」 つい鼻を押さえてしまうくらいには、強烈だ。 「換気、するからね」 宣言して部屋の中を進む。男の横を通り過ぎ、窓に手を掛けたところで。 「はい、これ」 ついと、目の前にカップを差し出された。 カップの中身と、差し出した男の顔を交互に見比べて、 「これの匂い?」 と問うと、うんと頷かれた。 カップの中には、柔らかに湯気を立ち上げるホットチョコレート。 「バレンタインデーだから?」 チョコだと受け取ってもらえなさそうだったからと、いつもの笑みで言われて。 「………これだと受け取ると思った根拠は」 どこにある? 「ルック、好きだよね―――ホットチョコレート」 「…………何で知ってるのさ」 この男の言葉に素直に頷くのは誠に遺憾ながら、実は結構好き…だったりする。っていうか、一体この男はどこでそんな情報を仕入れているんだろうか。この男より付き合いが長い知り合いだって、知らないような些細な事なのに。 「温まるよ?」 そう言って手渡されて、受け取ってしまう。 けど、男を睨むのは止めない。 だって、何となく………癪に障るじゃないか。 そうすると、男はどこか困ったような笑みになり、そうして 「知ってるんじゃなくて、解るんだよ」 とほざく。 「は?」 「だって、ルック甘そうだから?」 「…………」 どういう意味だ、それは。 あぁ、もう何か……グルグルしてきた。この男を相手にしている時は、しょっちゅうこんな感じに煙に捲かれてる。 不本意極まりないけど、足掻くだけ無駄なんだよね。 「ルック?」 諦めの溜息を吐いたところで、窺うように顔を覗き込まれて。 心配そうな黒曜石の瞳が視界一杯に広がって、知らず顔が熱を持つ。 「……飲むよ、飲めば良いんだろ」 だけど、飲んだら換気するからねと言い放つと、ソファーに座り込んで程好く冷めたホットチョコレートを口に運んだ。 「―――甘い」 まろやかな甘さと喉元を過ぎる温かさに、自然表情が綻んで。 「美味しい?」 そう問うてくる柔らかに蕩けた頬笑みに、いっそ火照った気がしたけど。 「……うん」 「良かった」 それは、咽返る程の甘いチョコレートの匂いに酔った所為だと、そう思う事にした。 ...... END
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