些細な出来事 きっかけは、他愛もない些細なひと言。 打ち下ろした棍先は、確実に魔物の急所を捉え、そして霧散させてゆく。 「サクラさんって、カッコいいよね?!」 そう本気で言ってるらしい現・天魁星に、 「…………目、腐ってる?」 と、思い切り呆れて返してやった。 いや、それよりも現時点での問題は。 「それより、さっさと魔物片してよね」 生半可じゃない数の魔物の群れに囲まれてるって事だ。 「うん、だから全体魔法一発お願い!」 「………そっちが先だろ」 カッコいい云々とかふざけてる事ぬかしてるよりもね。ロッドを身体の前に掲げて詠唱に入りながら、メンバーの立ち位置を目測で確認する。 「ルック、全体魔法行きます!」 気を付けてと、彼らに声を掛ける軍主の声を耳にし、集積させた魔力を風に乗せて一気に放った。 放出した魔力が敵を屠り、傷付け、そして霧散した後、その数は当初の3分の1程度に減っていた。残りの魔物も、一撃で倒せるくらいには弱っている筈だ。 「後は、任せたよ」 そう言って数歩背後に下がれば、 「了解、任せといて」 と軍主の元気な声が返ってきた。 ちらりと寄越されたサクラの視線には答えずに、数歩離れた位置で残った魔物を倒してゆくメンバーを眺める。 そして、ふっとさっきのツバキの台詞を思い出す。 「…………カッコ、いい?」 そのふざけてるとしか思えない言葉には、首を傾げるしかない。 だけど―――。 無意識に視線を捕らえるのは、赤い胴着を纏ったその姿。 棍を手に敵と対峙してる時の、舞ってでもいるかのような一連の流れる動作は。 「―――綺麗、ではあるよね」 その後、数回に渡り魔物との戦いをこなし終えた刹那、ふっとそれに気付いた。 「……雨、来るよ」 軍主に声を掛けた途端に、叩きつけるような雨がどっと落ちてきた。バケツの水をひっくり返した状態とは、この事をいうんだろうか。一気に濡れ鼠になる。 「これ又、いきなりな」 「…………ルック、遅いよ」 「仕方ないだろ、闘ってたんだから」 好き勝手言ってくれるなと、雨に濡れた不機嫌さも手伝って睨めば、サクラ以外のメンバーは一歩下がった。 「い、いいから! 帰ろっ」 ツバキは、慌てて手鏡を取り出して掲げる。 瞬間的に感じる浮遊感と、身体に打ち付けなくなった雨。そして、相変わらず眠そうな態のビッキーを視界に収めて、帰還した事を知る。 「お帰り、みんな」 暢気な彼女の台詞に皆、苦笑しながらも 「ただいま」 と返した。 「うっわー、濡れちゃったね」 殆ど、皆頭からびしょ濡れの状態だ。 「もう、今日はこのまま解散でいいから! ゆっくり休んでね」 お疲れ様と言い置いて、ナナミと小走りで去って行く軍主の行き先は、絶対に風呂場だ。 軍主に言われた通り散ってゆく残りのメンバーを見送り、さて着替えようと踵を返したところで立ったままのサクラにぶつかった。 「……何してんのさ、」 着替えに行かないのか、と問うと。 「あー、着替えね」 どこか困った顔を浮かべる。 今朝、替えを洗濯したばかりで、他に替えを持ってないというサクラの言葉に、先日来城した時に一着ルックの部屋に忘れていったのを、その部屋の主は思い出した。汚れたものは洗うという性分から、それは綺麗に洗濯し畳まれてルックの部屋の備え付けの棚に今現在も置かれている。 無機質な色合いしかない筈の部屋に、その赤はあまりにも鮮烈で…嫌でも視界に入り込むのだから、忘れ様がない。 「…………」 まるで、彼の来訪を待っているかのようなそんな状況は、全くもって不本意なれど、濡れ鼠となった現況を顧みるに、そのままという訳にもいかない。 「…………来れば」 半ば、本気でウンザリした態のルックの言葉に、サクラは苦笑を漏らしながら彼の後を追った。 自室の扉を開き、ルックはそのまま真っ直ぐに棚に進む。そして、そこに置かれていたタオルを二枚サクラに渡し、自分の分も取り出した。 「……着替え、そこにある」 髪を些か乱暴に拭き上げてから、濡れた法衣を脱ぎ落とす。常に重ねる上衣が厚い分、下衣までは水も染み込まなかったようで、ほっとしながらブーツを脱いでそのまま寝台に上がった。 そして、ふっと視線に気付く。 「………何?」 訝んで、眉根を寄せて見上げれば、ようやっと髪を拭き終えたばかりらしいサクラは苦笑を漏らした。 「……いや、無自覚って怖いなぁって」 「??? なに、それ」 ルックの問いに苦笑を返してから、漸くサクラは濡れた胴着を脱ぎ始めた。腰帯を解き、胴着を肌蹴け、そして中履きの白いシャツを脱ぐ。見るとはなしに視界に入るその所作を、ルックはじっと見ていた。 その過程で無理やりに成長を留められたにしては、自分よりも大きく均整の取れた身体つき。 その腕が、身体が、自分に触れる時、抱き締める時、どういう風な動きを見せるのか……知っている。 「――――――ッ、」 唐突に、思い浮かべたその思考に、刹那、ルックは身体中至る所を朱に染めた。それと共に跳ね上がった鼓動は、酷く耳障りなほどで。 その知っているという事実だけで、自分はこれほどに容易く動揺してしまうのに。目の前で着替えてる男は、何故いつも平然としてられるのだろう。どうして……僕だけが。そう思ったら、我知らず呟いていた。 「……ムカツク」 小さなそれを、ちゃんと聞き取ったらしいサクラは訝しげに振り向いた。 「何?」 「別に、」 何でもないと言いかけたら、苦笑を浮かべながらこちらに近付いてくる。 「何か、したかな?」 寝台を軋ませて乗り上げながら、そのままじっと見つめられて。思わず身を引く。 更に苦笑を深くしたサクラは、そっと髪に触れてきた。 「まだ、濡れてるよ。ちゃんと拭いた?」 「…放っとけばその内渇くよ」 そう返せば、 「拭いてあげる」 と、肩に掛けていたタオルで頭を覆われた。 「風邪引くといけないから」 この状態で何を言っても無駄という事は、既に何度も経験済みなのでもう文句さえ出て来ない。 「………ったく」 溜息と共に零すと、何?と未だ丹念に水気を拭き取っているタオルの隙間から、綺麗な黒曜石の瞳が覗き込んできた。 「別に! あんたの、その余裕然としたとこが気に入らないだけ」 キッと睨みつけて言ってやったのに。 暫しきょとんとして、そして至極嬉しそうに微笑った。 「ルックを前にして余裕なんて持った事ないよ」 いつでもどこでも、ハラハラドキドキしてる―――と、ほざく。 「例えば、ルックが誰かと話してる時とか、そいつの事引っぺがしてルックの視界にさえ入れたくないとか。人目とか場所とか気にせず抱き締めたいとか……そんな感情を抑え込むのに、僕はいつも苦労してる」 「…………」 あまりにあからさまな台詞に、自然顔が赤らむ。そんな風に言われて、何と返せというのか。そうして、そのタイミングを見計らったかのように、頭上からタオルが落とされた。 「………そういう事言えるって事自体が、余裕然としてるって言ってるんだけど」 「正直なだけだよ?」 柔らかく和む瞳が、僕を射る。 その途端に再度跳ねる鼓動に、何ていうか……やっぱり、 「ムカツク」 と思ってしまう。 「ねぇ、ルック?」 「……何さ」 目の前に迫った端整な顔を、睨み上げる。だけど、サクラはくすくす微笑いながら耳元にこそりと唇を寄せてきた。 「もっと、ドキドキしよう?」 「―――――っ! あ、ぁ…んたね!」 吐息の掛かった感触に、咄嗟にてのひらで耳元を覆う。上擦る声と言葉尻が我ながら情けないけど。 「いいよ、ね?」 宥めるように触れてくる熱いてのひらと、柔らかに笑んだ黒曜に、否と言えなくなる。 そっと啄ばむような口付けが、額から米神を辿り…そうして唇に落ちる。触れては離れ、そして一層深く重なる口付け。 「……っ、は、」 意識がそちらに向かっている隙に、手馴れた仕草で下衣が肌蹴られ。 慌てて肩を押し返せば、サクラの瞳にぶつかる。 「逃げないで、ね?」 熱を孕んだ黒曜にこそ、煽られる。 引き返せない、己を知る。 相変わらず、いいように翻弄されて。 どうして、こいつ相手だといつもこんなんなんだろう…と、考えるのさえもが最早面倒だ。 「もう、あんたの着替えは…っ、僕の部屋には置かないよ」 乱れる息の合い間に、精一杯の強がりでそう言えば。 悪戯っぽく笑みを浮かべたその唇は。 「うん、だったら僕のとこにルックの着替え用意しとこうね」 ―――と、囁いて。 触れてくる唇と、てのひらと、その存在に……徐々に曖昧になる境界線。 「…………好きに、すれば」 もうそんな事、自分を包むこの熱に比べれば―――些細な出来事に過ぎない。 そう、君以外の全てが……些細な出来事に、なる。 ...... END
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