理由






 ここ数日、同盟軍の本拠地であるブラックベリー城は、微妙な均衡を保った戦況ながらも、両軍共に相手の出方を窺っているような状態で、前線で情報収集をしている者達を除けば、一応平穏な状況下にあった。
 勿論、優秀な軍師殿によって、何時でもどういう状況にも対処出来るように率されてはあるのだが…。
 いくら軍師が優秀でも、その軍を率いるリーダーが何時でもどこでものほほんとした雰囲気を醸し出している為、緊張感には些か欠ける。
「過ぎた緊張は維持できるものではないし、そんなに張り詰めてたら、いざという時集中力が低下するよ?」
 という、トランの英雄からの助言も手伝って、一部の中核部を担う者達以外は、比較的のんびりとした日々を――表向きには――過ごしていた。






*          *          *







「ねえ、ルック」
 トランの英雄と誉れ高きサクラ・マクドールは、その軍の風使いの魔法兵団長の自室で、心底寛いでいた。
「……何?」
 ここは自分の部屋で、おまけにそこは僕の寝台なんだけど…という、もう何度言ったか解からない台詞もいい加減言い飽きて、好きなようにさせている。
 窓辺に寄せた椅子に腰掛け、組んだ足の上に載せたやたらと分厚い本から視線を離さないまま、殆ど上の空に返事を返す。
「ルック? 聞いてる?」
「…………多分ね」
「ルーッーク!」
 あー、もういい加減にしてよね!
「煩いよ、邪魔するんなら退室させるって、さっき言ったよね」
 剣呑さも一際に言ってやる。いつ戦場にかり出されるかも分からない状況なんだから、取り敢えず戦況が安定している時くらい、好きな事させててもらいたいんだけど。
「ルック…冷たいね」
「今更だろ」
 いい加減言われ慣れてるよ、その台詞。君こそ、それが分かっててここに居るんじゃないのか。
「遊んで♪」
「…………ツバキじゃないんだから」
 思わず溜め息が零れてしまう。
 それに、サクラの 『遊んで』 はツバキのそれと違って、そのままの意味じゃ取れないから、うっかり返事も出来ない。
「だって…」
 何! ―――と、視線だけで先を促す。どうでもいいけどツバキみたいな話し方、やめてくれない? それでなくても、石板前とか遠征とか交易とかレベル上げとか、やたらと連れまわされてるんだから、たまには解放して欲しい。
「本読んでるときのルックって、禁欲的な感じがね?」
「は?」
「するんだよねー」
 ……何訳分かんないことを言ってるのか、この男は…。
「…………………」
「ねえ、ルック」
「…………何さ」
 あまり相手にしたくはないんだけど…。
「やりたくなっちゃった」
「…………………」
 何を…とは、聞けない。聞いたら最後(やぶへび)のような気がする。
「ねえ、ルック?」
 掠れた声で、微かに微かに囁かれ。
 この状況で、何をやりたいのと聞いても、返ってくる答えは簡単に想像出来て。
「………絶対! ヤダ!」
 これ以上ないほどに、力を込めて言ってやったのに。
「うん、でも、僕はやりたいから―――ね?」
 この男は〜〜〜〜〜!!!
 思い切り殴り倒したい!
 思わず拳を握ると、それを覆うように節榑立った掌で包み込まれ、にっこりと微笑まれて。
「……紋章喰らいたいの?」
 射殺せるほどの殺気を込めて、睨み付けてやる。と、左の手の甲をいきなり目の前に突き付けられた。
「はっ? 何……」
 聞き掛けて、ふっとその手の甲に宿った紋章を見て、はたっと動きが止まってしまう。
「……これ、」
 ―――流水の紋章。
「さっきね、ツバキに貸してもらったんだ」
 そう言って、嬉しそうに甲を撫でているサクラに、本気で殺意を覚えてしまう。
 いや、それより。
「……そこまでする?」
 札を掲げて魔法防御するよりは、気が利いてるよね♪
 それはそれは楽しそうに言ってのけるサクラに、呆れ返ってもう何も言えなくなる。
「……………何だって」
 これは自分の失策。こんな危険極まりない人物を、それと知りながらも、ほいほい部屋に招き入れてしまったのは、他ならぬ自分なのだから。
「いいよね、―――ルック」
 例えば……。
 本気で嫌がれば、サクラが無理強いしないだろう事なんて分かってる。流水の紋章なんて付けてはいても、それを使う気なんてない事もちゃんと知ってる。
 でも、そうなると、持つ必要など全くない筈の罪悪感を持ってしまうのも、容易に想像出来てしまい。
 サクラが、この自分の一連の感情の流れを計算している―――なんて、当たり前と言えば当たり前の事実を解してはいても…。結局は、それに流されてしまうのだ。
 誠に不本意ながらも。
 悔しいと思いながらも。
 ―――それだって、
「わざわざ、流水の紋章借りてきて正解だったよね」
 きちんとした理由がないと、抱かれることの出来ない僕の為に。
「うん、ルックにしょうがないって思わせなきゃーね」
 逃げ道を用意してから迫ってくるってことも、ちゃんと知ってる。
 それこそ、用意周到に。
 君だって、僕が気付いてる…って知ってるくせに。
 それが、悔しくて……。
 これが、サクラ以外の誰かだったら、絶対許さないんだけど。
 でも―――。
 サクラだから。
 本当は悔しくって堪らないんだけど…。
 それでも―――。
 君、だから。


 ―――明日一日、無視する事で許してあげる。


 首筋を辿るその唇の熱さに、流されそうになる意識を何とか繋ぎ止め。
 いつもはバンダナに隠されたその黒髪に、そっと口付けを落とした。






*          *          *







 ―――翌日。
 食堂前で今日の朝ご飯のメニューに頭を悩ませていたツバキに、通りすがりにシーナが声を掛けてきた。
「よお、ツバキ。さっき、ルックが捜してたぞ」
「えっ? 何で?」
「さあな、知らないかって聞かれただけだし。何か、機嫌悪かったみたいだけど?」
「何で?」
 同じ問い返しを二度も続けてしてしまったツバキに、シーナは苦笑する。
「俺が知るかよ。本人に聞けば?」
 じゃーな、と腕を上げてすたすたと行ってしまったシーナをそのまま見送ってから、今度はルックの用向きについて思案する。
 そういえば…と、ふっと思い出したことがある。
 昨日、尊敬してやまないトランの英雄が、流水の紋章を借りに来たっけ。
 何に使うんですかって聞いたら、悪戯を仕掛ける子供みたいに 「内緒だよ」 って笑ってた。
 そのすぐ後に、ルックの紋章も入れ替えておこうと思って、石板前を覗いたら、綺麗な容姿の風の使い手は居なくて…。
 そこまで考えて、ふっと辿り着いたそれにツバキは嫌そうに眉根を寄せた。
 まさかとは思うけど……。
「よし、今日はレベル上げに行こう!」
 いつもとは違うメンバーを連れて。今日は、居城してるとえらい目に遇いそうな予感がするから。今の戦況じゃあ、本当なら城に留まって居た方がいいのかも知れないが…まあ、いざという時は瞬きの手鏡が有るんだし。
 城に居て、ルックの切り裂きを浴びるよりは、外でモンスターの相手をしていた方がよっぽど安全だから。
「うん、決めた!」
 善は急げとばかりに、ツバキはレオナの酒場まで猛ダッシュする。



 それはそれで、平和な日常――一部の人を除いては――だったりする。








...... END
2001.10.07

 自分で書いておきながら……坊が恥ずかしいですね…。
 こんな坊ルクもあり…ってことで駄目?

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