あるべきカタチ 嫌というほどに知り尽くしたその気配が、来城を告げる。 「………?」 だけど、いつもであれば真っ直ぐにこちらへと向かってくるそれは、今回はそうではないようで。 僅かに眉間を潜めたものの、それだけだった。 気配の主が姿を現したのは、それから暫し後。 いつものホールの入口ではなく、左手の階段から降りてきた。 相変わらずの柔らかな笑顔を浮かべ、荷も未だ手にしたままだ。 「ルック、変わりない?」 「そうそう1週間かそこらで何が変わるっていうの」 そうきっぱり返すと、サクラは苦笑して 「うん、変わりないみたいで良かった」 などとほざくから。 「………その”変わりない”って判断したあんたなりの基準を、是非聞きたいもんだね」 冷笑を浮かべて見せれば、更に上手をいくサクラは 「舌好調だからv」 とのたまった。 「…………」 ま、いいけどね。 「今回は又、何な訳?」 「僕が此処を訪ねる理由なんて、たったひとつしかないんだけど……聞きたい?」 「…………いいよ、別に」 返ってくるだろう答えが解り過ぎてて、ある意味情けない。他にもっとやる事ないのか、とは思うけど。 だけど…だったら、何で―――。 喉まで出かけたそれを、ぐっとやり過ごす。 「ルック?」 訝しげに問い掛けてくるサクラに、何でもないとだけ言って視線を真正面に戻した。 「……? 荷物置いてくるから、後で一緒にお茶しようね」 どこかの放蕩息子が女の子に掛けるような台詞を言い置いて去っていくサクラの、その気配を背中越しに見送った。 穏やかに色付いた空気に、夜が明けたのだと気付く。 素肌に纏わりつく掛け布の質感が心地よくて、もぞもぞと潜り込んで…ふっと違和感を感じた。 「…………サクラ…?」 昨夜、一緒に寝台に潜り込んだ筈のその姿が―――ない。 狭い部屋の中に感じられない彼の気配を探すのも億劫で、そのまま上を向いて乱れてるだろう髪をかきあげた。 僅かに差し込む陽の角度と柔らかな日差しから、まだ早い時刻だと判断できる。 「……何、やってんだか」 彼は、常の眠りが浅い所為か朝は弱かった。寝起きもいい方ではなく、起きてから覚醒するまでには小一時間は掛かる人物だ。それは、3年前には見られなかった態度で、今はそうできる程度には落ち着いてきてるんだと思える。 人のことは言えないけど……と、ルックは髪に差し込んだ指をそのままに、再び瞼を閉じた。 朝、起動するのに時間の掛かるのはいつもの事で。その間、ふたりでぼ〜っとしてるのが普通で。 いつもなら滞在中はある筈の時間がない事に対する僅かな違和感は、胸の内に押し留めた。 さして必要とも思わない食事を摂っている最中に、そもそもの違和感の原因である主は目の前に現れた。 「おはよう、ルック」 「……おはよ」 そのまま自分の横の席を陣取るサクラから香るのは 「…あんた、お風呂にでも入ったの?」 石鹸の香りだ。 訝しんで視線を向けると、 「うん、気持ちよかったよ」 にっこりと笑みが返って来た。 まだ水気を含んだ黒髪。バンダナが結ばれていない所為か、明るい日差しの中では見る事のないその様が再び違和感を湧き立たせる。 「…………っそう、」 口を開いたはいいが、何を問おうとしていたのか自分でも解らなくて、そのまま噤んだ。 「ルック?」 どうかした?と、名を呼ばれて。ただ、髪をゆるゆると揺らして答えとした。 「サクラさん、遠征パスって…何かあったの?」 「……さぁ、ね」 「だって、今回はルックも同行してるのに。いつもだったら、他の誰を押し退けてもルックが行くんだったらメンバーに入るよね」 サクラは、同盟軍に入り浸るのはルックがいるからだと公言してはばからない。そんな彼の今回の行動に、現天魁星のツバキは頭を捻るばかりだ。 「ルックの居ない城に何の用があるんだろうね」 「……知らないよ」 何でですかー? というツバキの問に、サクラは 「秘密だよ」 と微笑っていた。遠征にも付き合わないのに、グレッグミンスターの自宅へも戻るつもりはないと言っていた。 「………」 何故なのかなんて、僕には関係ないし。 それ以上に、知りたくなかった。 交易と各地の視察を兼ねた遠征から帰城し、そのまま自室へと向かう。 今回の遠征は、実質三日程で。町々を回ったから、野宿はなかったけど。いつもの遠征時より疲弊しているのを感じていた。 ブーツを脱ぐのもそこそこに、寝台の上に座り込んで深い吐息を零した。 帰城してから、まだサクラと逢っていない。遠征に出立する時はどこか心配そうな顔で、それでも手を振って見送っていたのに。 城内から出ていないのは、紋章の気配で解ってはいる。 だけど……それを辿ることは、しない。 もし仮に、あの優しい笑顔を向けられるのが、己だけではないのだとしたら? その場に行き合わせたとしたら? 「ッ……」 それでも、失ったらと思うと、来なくてもいいと…言うことすら、出来ない。 そんなつもりは毛頭なかったのに、どこまでも深く囚われているのだと…実感する。 いつかは違える道なのだからいつでも離れられるように、心のうちでは距離を置いていたつもりだったのに。 ―――既に、手遅れだった…と? 薄暗い部屋の中で、自然震えた身体を膝ごと抱えて蹲る。そのまま膝頭に額を押し付けて、いっそ縮こまったところで。 トントン 扉を叩く音が、耳に届いた。僅か視線だけを向け窺った気配は、他ならぬ彼のもので。 「……ルック?」 扉越しに名を呼ばれて、だけれど何も返せずに抱えた膝を引き寄せる。 今は、逢いたくない。 今の自分を、見られたくない。 このまま、去ってくれればいい。 が、実際そうされたら……? ぞくりと粟立つ肌に、きつく唇を噛んだ。 「ルック? 開けるよ」 かちりと押されて開いた扉の向こうから、いつもと変わりないサクラの姿が視界を埋める。 だけど、膝を抱えたまま、僕は動けずにいた。 どうして―――。 そればかりが、頭の中を巡る。 寝台の上、そっと腰を下ろして。そうして、優しく髪を梳いてくる。 「どうかした?」 俯いたままの顔を覗き込まれて、咄嗟にふいっと背けてしまう。 「怪我してないよね? 疲れた?」 心配そうに問いと共に、米神に落ちた髪がかきあげられて。 「違う…けど」 応えた刹那、視線が交わる。 そうして、サクラの面に浮かんだ、いつもは安堵ばかりを与えるその笑みに、かっと血の気が上がる。 「―――ッ、」 いつもと変わらない笑み。 「あんたの!」 どうして……笑っていられる? 「うん」 「あんたの所為なんだからっ」 渦巻く感情のままに、言葉を投げつける。 何故だか、酷く混乱しているのだけは解っていて。 発露する感情を律することの出来ない悔しさを、唇を噛み締めて堪える。 きっと、今この男によって呼び起こされている感情は、酷く汚いものだと…そう思うから。 独占したいなんて。 自分以外の誰をも視界に映して欲しくないなんて。 自分勝手で、相手の心なんて露程も慮っていないような浅ましい気持ちを押し付けるなんて。 そんな事―――。 「うん、ごめんね」 怒りの意味なんて解ってはいないだろうに。それでも与えられる柔らかな謝罪の言葉に、泣きたくなる。 違う、違う―――そうじゃない。 悪いのは、浅ましい願いを持った僕自身なのに。 どこまでも真摯な黒曜石の瞳を見返せずに、項垂れたままふるふると頭を振った。 瞼裏が熱を持つのを必死に堪える。 これ以上、浅ましい姿なんて見られたくない。 「………もう…」 だったら……。 真にそう望むんだったら。 「……もう、来ないで」 「ルック、」 叱咤するような声音に、僅かに身体が強張る。 両頬を大きな手に覆われて、そのまま上向かされて。どこか痛ましげに歪んだ黒曜の瞳と、視線がかち合う。 「違うよね?」 問われて、不意に外しかけた視線が、 「ルック」 名を呼ばれることで遮られる。 自分から手を離すことが出来なくなっていることなんて……再会したあの時から、もう気付いていた。だけど、それを安易に認めるなんて出来る筈もなくて。 「あんたが望む場所は…………ココ、なの?」 「どういう意味?」 つっと訝しむように眇められた眼。全てを曝け出させるその黒曜から避けたくなる気持ちを、必死で押し留める。 「ココで……いいの」 「僕に君の傍以外の…どこに行けって?」 返ってきた強い言葉と、黒曜のあまりの真摯さに。それを向けられるだけでこいつの内に嘘はないんだと……思えた、けど。 「だ、ったら」 何で―――? 問いたくて。だけど……問えなくて。 頬を覆われて向き合わせられたままで、居た堪れない思いで瞼を下ろす。言いたいことも、訊きたいことも、言葉にしなければ相手には伝わらないってことはちゃんと解ってはいる。 だけど……。 「花が咲いたから」 何の前触れもなくサクラの口から零れた言葉に、咄嗟瞼を上げた僕の視界に映ったのは酷く柔らかな笑み。 「………はな?」 「花が咲いたから、そろそろ来られるといいですねって、トニーから報せが来たんだよ」 トニー? いつも、畑で作物育ててる奴? 「去年の秋にイチゴの苗を買って、ここの畑に植えさせてもらってたんだ。ルックに食べさせようと思って?」 そう言って至極柔らかに細められる瞳が、あんまり綺麗で。 「……世話してたの?」 「うん。でも、もうしない」 後はトニーに任せるよ、と微笑う。 「ルックの傍に居る時間が減るから」 柔らかな笑顔のままに、こつんと額が合わせられる。 「驚く顔見たかったけど、逢えない時間が淋しいから」 だから、もうしない―――と。 「畑仕事しながら、ルックのことばっかり思ってた。もう起きたかな、とか。食事摂ってるかな…とか。怪我してやしないか、とか」 淋しかったと、そう言われるだけで…心が潤ってゆく気がする。 胸を苛んでいた何かが…ゆるりと解けてゆく。 「馬鹿じゃない……」 今頃気付くなんて。 だけど、淋しいといわれて漸く僕もそうだったんだと気付く。 ―――近くにないなら兎も角。手を伸ばせば触れ合える程の距離にありながらも、ある筈の姿がない。触れられない。 気配や存在は感じるのに、その姿や笑顔が見えない。 僕以外の誰かに、触れてるんじゃないかと……そう疑心暗鬼になるほどに。 「僕の育てたイチゴ、食べて欲しかったんだ」 蕩けそうな笑みで、幸せそうにそう言ってくるサクラに。ルックは、僅か口端を上げてその面を見上げた。 「イチゴ、好きだよね」 確信してるかのように、サクラはそう告げてくるけれど。 ね、知ってる? 僕の本当に欲しいものはそんなじゃないってこと。 「ルック」 訳もなく感じていた締め付けるような痛みが、名を呼ばれるだけで掻き消える。 「ルックも淋しいと思ってくれた?」 「…思う訳、ない」 だけど、言わない。そのぐらいの報復は、許されてしかるべきだろうと思うから。 尤もこいつは、言わない本当の答えを知っているだろうけど。 「色付き始めたから、もう一週間しない間に食べられるよ」 そしたら、一緒に収穫しよう。 「それまで一緒に畑、見に行こうね」 「あんたが手を掛けてて…ちゃんと食べられるの」 一緒に―――そのひと言に、何故か安心する。 「これからは、プロに任せるからきっと大丈夫だよ」 そう言って、そっと抱き締めてくる。そのまま、寝台の上に押し倒されて。 「………で、これは何」 「うん、ルック欠乏症を解消しようかと思って?」 くすりと落ちる笑みは、眦から米神に。そして、ゆるりと顎の先まで辿られて。 「ルックも一緒に、解消しよう?」 ―――心行くまで僕をあげるから。 口付けと共に落ちる囁きに、 「馬鹿」 悪態を返しながら。 それでも、放棄するなんてことはしなかった。 ...... END
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