あたたかな空間






 ことりと、微かに耳をついた音に意識が持っていかれる。
 ふっと視線を向けると、正面のテーブルの上に器が置かれてあった。白く立ち昇る湯気に、ほっと強張っていた顔が緩む。
「そろそろ、お茶いるかと思って?」
 自分の分を顔の前に掲げながら、お茶を用意した男は言った。鼻孔を擽る茶の香りに促されるように、ひとつ頷いて返す。
 そうして、手にしたままだった書物にしおりを挟んでから閉じた。


「それにしても、よく読んだね」
 お茶の入った器を傾けた所で、感心したように言われて首を傾げる。
「……そう?」
 そしてそのまま、視線を自分の脇に向ける。大人なら3人はゆう座れる大きさの安楽椅子の上、僕以外には本の類が隙間ないほどに置かれている。
 確かに、冊数にしたら大したものだろうけど。
「こんな時でもないと、読めないだろ」
 あんたン家の書庫が豊富なのが悪い、と責任転嫁すると、男はそれでも柔らかに笑う。


 そう、今僕はグレッグミンスターの男の家を訪れていた。
 理由は簡単。男の自宅の蔵書が目的…だった訳ではなく、晦日から年明けまでずっと続いている(今現在進行形だと自信を持って言える)祭り騒ぎが五月蝿かった所為だ。
 いくらなんでも、三日目を数えれば我慢も限界に達していて、雪深いハイランドでは冬季の進攻はないからという理由で祭りの開催に踏み切った軍主に祭り終日までの休暇を宣言した。
「ルックが居なくちゃ、楽しさ半減だよー」
 などと戯けた事をぬかす軍主の懇願なんて、知ったこっちゃない。そう思いながら塔に転移しかけた所で、晦日から滞在していた目の前の男にとっつかまったのだ。
「書庫、解放してあげるから」
 それは、かなり魅惑的な誘いだったけど。
「……じゃあ、当然読む時間も確保させてくれるんだよね」
 相手がこの男じゃ、最低限の約束させるまでは迂闊に応と答えられない。何度も実体験済み―――故の問い掛けにも、男は苦笑を浮かべながら頷いて返した。
「離れてるよりは、余程マシだからね」


 それが、昨日の朝だったから今日は二日目で。
 今のところ、その約束はきっちり守られている。
 おまけに、大きな暖炉には絶えず薪がくべられて部屋の中は快適な温度を保っている上に、食事まで用意される。正直に言えば、食事より本を読んでいたいというのが本心ではあったけど。


「明日あたり、戻ろうかと思う」
 いくら冬季進攻がないと言われても、長い間離れているとすぐに対処できない分、心配になるのが当然で。
 残りのお茶を飲み干して、その意をぽそりと告げる。
「あぁ、うん。そうだね」
 残念そうではあったけどすんなり頷かれて、逆に居心地が悪くなる。
「………割に合わなくない?」
 誘われて訪れたけど、僕がこの家に来てからしてた事といえば、ただ本を読む事と食事の相手くらいなものだ。男は今回、そういう意味では一度も僕に触れてはいない。
 勿論、それが約束ではあったけど。
「あのね、ルック?」
 盛大な溜息と共に、そう思われても仕方ないけど…と言うのは、どこか情けなさそうな声音だ。
「そりゃあ、勿論触れたいとは四六時中思ってるよ? でも、それ以上に、僕はルックが傍にいてくれるだけで嬉しいんだ」
「な…に、言って」
「本当の事だよ? それに、この二日間は僕だけのルックだったし? 誰にも見られないし、誰にも触れさせない。君の視界に入るのも、僕だけだったよね」
「……馬ッ鹿じゃないの」
 当然のようにのたまわれて、自然と顔が火照る。
「つまんない事ばっかり言ってんじゃないよ」
「全然つまらなくはないと思うけど。……そう言えば、この時期塔ではどんな風に過ごしてたの?」
「別に、普段と変わりないよ。そもそも、レックナート様と僕だけだし」
 騒ごうなんて思う訳もないし。
「そっか。塔に帰るって言ってたから、あそこで余程楽しい事があるのかなって思って?」
 じゃあ、誘って良かった、と言われて、首を傾げた。
「五月蝿いよりは塔の方がよっぽどマシだから、そうするつもりだったんだ」
 でも、レックナート様の蔵書は粗方読み尽くしてるから、有り難いといえば有り難かったけど。と繋げると、至極嬉しそうな笑顔を向けられる。
 何故か見てられなくて、咄嗟に逸らそうとした視線が、男の独り言に近い呟きに留めさせられる。
「昔はこの家も華やかだったんだよ? グレミオがいつも以上に手によりをかけてご馳走作ったり、お客さまも多かったし…で。だけど、そんな事以上に、凄くあったかかった事を覚えてる」
 目を細めて懐かしそうに語る様が、何故か痛みを呼ぶ。男の記憶の中でのこの家は、常に笑いに満ち溢れていたんだろう、と。
「だけど、こんな事言っちゃ悪いけど、今年の年明けが一番嬉しかったし、あたたかかった…かな」
「……?」
「だって、傍にルックがいるんだよ?」
 これ以上の幸福なんてないよ?―――なんて、蕩けそうな表情で言われて、一体何と返せというのか。
「あ……っそ、」
 それだけで、精一杯だ。いい加減、明け透けな物言いは、やめて欲しい。どういう態度を取ったらいいのかが、解らなくて……困る。
 そんな僕の内心を知ってか知らずか、男はにっこりと笑みを深くして。
「それと、明日僕も一緒に連れて行ってね」
 当然のように、のたまった。








...... END
2005.01.04

 ルック、旦那の実家に帰省する―――の巻。←違
 転移だったら帰省も一瞬だしね。
 しかし、年明け一発目なのに……甘くない。

BACK