あるべき師弟の姿






 仲間集め兼レベル上げと称した遠征に、軍主ら一行が出掛けたのが三日ほど前。
 五日の予定で組まれていたそれは、何故か予定日を迎える前に終えられた。



「あれ? 帰ってくるの早かったんだ? …と、サクラとルックは???」
 今回の遠征隊が帰還したところに丁度行き合わせた自称解放軍一のいい男であるらしいシーナは、当然ある筈のふたりの姿がその中にはないのを見取って、今まさに解散しようとしていた他のメンバーに問うた。
 別に用があった訳ではないが、色んな意味で目立つふたりの姿がないと気になる。
「…いや、何ていうかな〜?」
 無骨な手でこめかみをぽりぽりと掻くビクトールの、何時にはないその言い方に眉尻を微かに上げた。
「何?」
「よく解んねーんだがな…。ルックが怪我したんで、サクラが自分の部屋に連れてった」
「………はっ?」
 何言ってるんだ? 怪我したって、魔法で一発じゃんか―――。
 シーナのその口には出さなかった疑問が伝わったのか、
「だから、よく解んねーって言ってるじゃねーか」 眉間に皺を寄せてうめく。
「……使えねぇ熊」
 ぼそりと零した呟きが聞こえたのか、ビクトールが口の端を微かに上げてにたりと笑い―――。
「自分の足で行ってこい、ガキ!」
 思い切り不機嫌そうな顔付きで怒鳴った。



 重い扉をどんどんと拳で叩く。
 こんな分厚い扉、軽くノックしたぐらいじゃ中まで聞こえないに違いないからだと、シーナは注意される度にのうのうと言ってのける。
「サクラァ、居るんだろ」
 暫くして、部屋の主であるサクラが重い扉を開いて顔を出した。
「……シーナ?」
 何となく、困った顔してる軍主にシーナは 「ルック怪我したって?」
 即座に用件を切り出した。
「そうなんだけどね…」
 馴れ合うつもりなんて全くないのだけど、やはり砦内で同年代といえば、このサクラやらしか居ない上に、内乱中という何時召集されるか解らない状況下では、気軽に遊びに出るわけにもいかない。
 故に、どうしてもつるんでしまうんだよな…とシーナは彼らに係わる訳を、自分なりにそう考えていた。
(まぁ、居心地もいいんだけど…)
 このふたりとの距離感がいい感じで、結構気に入ってもいる事をシーナも否定はしないが。
「入っていいか?」
 手持ち無沙汰に扉を開いて立ち尽くしたままのサクラにそう尋ねると、 「あぁ、そうだね」 と脇に避けた。
 軍主のやたらと広い部屋に入って、シーナは目の前の光景に驚いて、刹那立ち竦んだ。
「………何で?」
 部屋の真中に置かれた椅子に腰掛けているのは、解放軍きっての術士であるルック。そして、彼の額には、いつもある筈のサークレットはなく、恐らく鉤系のもので抉られたらしい―――傷。
 小さな幼い顔に付けられた傷痕は、見ているだけで痛々しい事この上ない。
 まだ薄っすらと血を滲ませるそれは、この少年だけには似つかわしくなくて、シーナは苦虫を潰したような顔で自分の前のふたりを睨む。
「怪我、なんで治してないんだ?」
 手に血塗れた包帯を持ったまま困ったように自分を見ているサクラにそう言い放った言葉には、キツイ響きが滲んでいた。
「魔法で治さないって言ったのは、僕だよ」
「―――何で?!」
 返された言葉の意外さに、シーナは思い切り驚いた。
 それに、以前一緒に遠征に行った時、小さな切り傷でさえさっさと癒していたのはルックだ。
「そんな傷、嘗めときゃ治るだろ」
 呆れてそう言ったら、 「傷から零れた血で法衣が汚れるじゃない」 といっそ呆れさせてくれたのもこいつだった。
 それなのに―――と、シーナは合点がいかない。
「傷なんて、誰だってあるよ」
 あんたの付き人にだってあるじゃないか。
「だって!」
「グレミオとルックじゃ、顔の重要性が違う」
 サクラの横から、シーナがさもあらんという様に真面目な表情でそう言うのに、ルックはふんっと鼻でせせら笑った。
「し、シーナっ!?」
 サクラは怒鳴ったものの、何と言葉を繋げていいものか解らずに、どこか困った風に視線を彷徨わす。
「顔にどんな重要性があるっていうのさ」
 目は見えてたら充分だし、鼻も口もそれなりに利けば、生きていくのに支障ない。
「生きてるだけなら、そうだけどな」
 それじゃー、何の為に人間として生まれて来たのか解んないじゃん?
 シーナらしい物言いに、ルックはすっと目を眇めた。
「あんたも顔に騙される口なんだ?」
「う〜ん…っていうか、ルックくらい別嬪さんならこっちから騙して欲しいってお願いするかな?」
 シーナの何と最早コメントし様のない台詞に、ルックの右手に魔力が高まる気配を感じたサクラが、慌てた様子で口早に後を繋ぐ。
「―――いや! でも、僕もルックには傷がない方がいいと思うよ?」
 折角綺麗な顔持ってるんだし、傷痕を残さずに癒す方法があるんだから。
 そう言うサクラを、呆れたような冷たい視線で見やった。
「レックナートさまが仰ってた。人っていうのは顔の造作に、かなり惑わされるんだってね。特に、美醜には五月蝿いって。あんた達も例に漏れてないって訳だね」
 つまらなそうに言いながら、ルックは右手を軽く上げ、口許で囁くように呪を刻む。寄せられた風が、自らを呼び寄せた少年の身に柔らに纏わり付き、その痛々しい傷口を癒していくのを、サクラとシーナはじっと見ていた。
「……相変わらず、鮮やかだな」
 感心しきった態のシーナに、サクラはそうだねと微笑った。
 ルックが魔法を使う事は多いが、大抵が戦闘時な為、目の当たりにする事は稀だったりする。
「癒しの風は、レックナートさまに特に厳しく精度の高さを求められたからね」
「……何で?」
「傷、残したら駄目なんだってさ」
 あんた達と一緒だよ。
「……近くに、ムチャクチャ美醜について五月蝿い人いるじゃないか」
 わざわざ、こんな場所でそういう試すみたいな事やらなくったって…。自分の師匠を見てれば、嫌でも解ろうってものだ。
 そう言うシーナを、ルックはふっと軽く口許に笑みを浮かべながら、意味深に翡翠の瞳を細めて見やった。
「僕は、”人”って言ったよね?」
「言ったけど?」
「………あんたには、レックナートさまが人間に見えるんだ?」
「る、る、るっ、―――ルックっ?!」
 真実有り得そうなルックのその台詞に、彼の師と会ったことのあるサクラは至極慌てた。
「……っ、来た」
「えっ…?」
 小さく舌打ち込みでルックが呟いたのに呼応するように、ぼぅっと彼等の前に現れたのは――― 「……レックナートさま」 だった。
 長い衣を纏った彼女の突然の出現に、シーナとサクラは驚き固まったが、ルックは淡々とした表情で己が師に問い掛ける。
「どうかなされたのですか?」
「ルック、今のはどういう意味ですか?」
 にこりと笑ってはいるが、………その笑顔にはっきりと隠された冷たい怒りが、かなり怖い。
 それに気付いてない筈はないのに、ルックはそんな師匠に何でもない事のように返答する。
「ですから、此処に寄越される前に討論した僕の持論とレックナートさまの持論。どちらの確立性がより高いかを見極めるための、発言にすぎなかったのですが」
「人は美醜で惑わせられるより、口さがない噂話での方で惑わせられる確立の方が高いのでは―――というアレですね」
「丁度、多くの人間が集まってますし、どちらの説が正しいのか試してみようと思っただけです」
 涼しい顔をして言うルックに、レックナートは 「相変わらずですね」 とだけ言葉を返す。それって、どういう意味なんだろう…と外野のふたりは思ったが、この師弟の会話に入るのは、かなり…………怖い。
「美醜など、人の数だけ在る感覚で計れるものなどに、さほど重要性を感じられないからです」
 その説をさもあらんという様にのたまう師のその思い込みを、払拭したかったに過ぎないのだ、と強く言い放つ。
「そもそも、顔の造りなどどうでもいいと思うのですが」
「あら、でも私はサクラがどこぞのオヤジ臭い顔してたら、貴方を預けるなんてそんな事しませんでしたよ?」
 ルックの台詞に返されたレックナートのそれは、いっそ強烈だった。
「…………………では、もしレパント辺りが天魁星だったら、レックナートさまが管理する石板の出番もなかったかも知れないという事ですか?」
「いえ、そうではありません。石板は、雨ざらし日ざらしって事でしょうね」
 とんでもない事を言いながらころころと笑うレックナートに、レパントの一粒種であるシーナは苦笑した。話題に上がってる男の息子を前にして、この師弟は遠慮が全くない。
 尤も、シーナにしても、父親の容姿が不細工ではないがそれ以上でもないという事を、その自慢の審美眼を持って知っているので、それについては何も言う事はなかった。
「………何か、凄っげぇ師弟」
 師弟ってあんなものなのか?
 シーナは、棒術をカイ師匠から学んだと言っていたのを思い出して、サクラにそっと尋ねた。
「いや、普通は違うと思う……」
「だよな」
 あれが普通の師弟関係だとしたら、―――怖すぎる。
 師弟関係を結ぼうと考える者など、存在しないに違いない。
「ですが、ルック? 私に関しての先程の暴言は、いくらそれを実証する為とはいえ―――」
「僕がレックナートさまに暴言など吐く訳ないではないですか。レックナートさまの美しさと聡明さを、人というものの中で定義付けするのは至極困難なので、そういう意味で人ではないと言ったに過ぎなかったのですが」
 レックナートの言葉尻を奪って発せられたその台詞を、何処の誰が、ルックが言ったといって信じるだろうか。それこそ、誰が聞いても、ルックの台詞だなんて思わないに違いない。先程のレックナート否人間説以上に。
 目の前で聞いていたサクラとシーナでさえ、それがルックの口から発せられたものだと認識するのに、まばたき20回分程は時間を要した。
「まぁ………そうでしたか」
 ルックの台詞とは思えない以上に、その台詞の中身を信じる者が居るなんて―――と、外野のふたりはそちらの方に驚いた。
 それも、どう贔屓目に聞いたって、感情なんて一切こもってなかったというのに、だ。
 普通、絶対に信じない。
 信じられる要素など、ない―――のに。
「身体には充分気を付けるのですよ? それと、くれぐれも顔だけには傷を付けないように」
 ―――絶対に信じないと思ったのに、件の女史はそう言い置いて、御機嫌のままその場を後にした。
 どうして、信じるのだろう。あんなに見え見えなのに……。
 サクラとシーナ、ふたり共が全く同じ事で悶々と悩んでいる中、
「……何さ」
 じっと自分を見つめるふたりに、ルックがいつもの態で心底訝しげに問う。
「えっ………」
 夢から醒めたようなサクラの隣りで、シーナが大きく吐息を吐いた。
「ルックにあんなオベンチャラが言えるとは思わなかった……」
 驚いた顔そのままに、シーナがぼそっと呟く。
「あぁ、あれね。あんたがこの間どっかの女に言ってた台詞を、そのまま応用させてもらったよ」
「……はぁ〜?」
 そ、そうか……。俺ってあんな臭い台詞を吐いてたんだ。
「あのままじゃ、次の満月を迎える位までクドクド言われそうだったからね」
「つまりは、前歴とかあったりするんだ……?」
「過去4回ほどね」
 一度目なんて、満月を5回も数えたよ―――。

 なんて執念深い師匠なんだろう。
 彼女だけは怒らせないようにしよう。
 それにしても、それをいい様に手玉に取るルックって……。




 サクラとシーナは、今日この日、恐らくこの世で最凶だと思われる師弟の姿を垣間見たのだった。








...... END
2002.12.12

 何か、いろいろと間違ってる気がしてならない話。

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