花葬 ふっと……。 視界の端を掠めた緋色。 じっとその緋色に魅入られる――――命の緋。 視線を外して、遠くの空を見やる。 そうして、唐突に思いつく。 彼に………… この緋色を携えよう。 「ルックは?」 ふらりと訪ねた石板前にその管理者がいないのを見て取り、不思議に思って側にいたリュウカンに尋ねた。 「あの小坊主なら、出掛けましたがな?」 「出掛けたって……どこに?」 「どこに行くとも聞いてはおりませんが?」 「……そう」 何も言わずに出掛けた? そんな事、彼が僕の星のひとつとしてこの砦に現れてから、なかった事だ。 いつもある筈の姿がないのは、不思議な感覚で。いっそ、それが、ここ最近の己の周囲ではよく起っている事なのだと思い至って、ぞっとした。 彼も…………居なくなるかも知れない? そんな事―――。 「ルックが帰ったら、僕の部屋に来るように伝えて」 リュウカンが頷いたのを確認する事もなく、その場を後にする。 彼が居なくなる……? そんな事―――。 「…………許さない」 + + + 花を携えたのは、それに手向ける為。 最早死肉と化してゆくのみの、それに―――。 腐臭が立ち昇り、目に凍みたが、それでもその骸から目を反らす事はしなかった。 否、出来よう筈もなかった。 かつては、人であったもの。 己に……自分の選んだ道を進む事に、唯一エールを送ってくれたのは彼で。それに寄って、逡巡を繰り返しながらも、自分はここまでやって来ることが出来た。 居なくなった今でも、感謝の言葉など掛ける気などない……。 だって、彼は言ったのだ。 何かあったら、呼べ―――と。 名を呼べば、駆けつけて来てやるから―――と。 「…………嘘吐きっ」 小さく小さく呟いて、緋い……緋色の彼岸花を、その屍の上にはらりと散らした。 どんなに彼を呼ぼうが、その名を叫び、求めようが―――彼が自分に言ったそれを、守ることはない。 「嘘……吐き―――っ、…ッド」 小さな慟哭は、吹き抜けた風に攫われて消えた。 + + + 軍主が呼んでいると告げられ、帰路に着いて休む間もなくその意味もなく広い部屋へと向かった。 数度ノックして、返事を待たずに扉を開く。彼が呼んだというのだから、自分が訪ねてくる事は知ってる筈だ。 「……よく来たね、ルック?」 そう言って、窓枠に腰掛けた軍主は手招きをする。 扉は閉めたが、それには答えずに 「何か用?」 とその場で訊ねた。腐臭が纏わり付いている気がして、アレを宿す彼の側には近付きたくない。 僕から彼の存在全てを奪ったアレに、感覚に頼る事でしか解からないものでさえも、与える気にはなれない。 「どうしたの?」 そう問うてくる軍主に、 「用が無いんなら、行くけど?」 と言うと、薄っすらと浮かんでいたその微笑が、綺麗に剥がれ落ちた。 「……どこに?」 「何?」 「どこに行くの?」 台詞と共になされた動作はあまりにも機敏で、彼の言葉の意味を探っていた僕に避けられる筈も無くて―――。 勢い良く、扉に叩き付けられる。 「――――ッ!」 「ルックは……僕のものだよね」 厚い扉に押さえ付けられ、その息苦しさに咽ながらも、己を拘束する男を睨んだ。 「……そうやって、主張しないと安心できないのなら、気が済むまでやってればいい」 どうしてこんなにも非情な気持ちになれるのか、己自身にさえ解からない。この男の為に、彼がその命を落とした所為なのか。否、実際にこの男を巻き込んだのは、彼だ。そうして、その生を供物のように差し出した。 何が正しくて、何がそうではないのかなんて、結局は考えるだけ無駄なのに。 「―――ルック」 それぞれに、それぞれの思いや正義が、その数だけあるのだから。 僕がこいつのモノだというのなら、そういうことにしておいたっていい。 そんな事に、何の意味もありはしないのだから。 「…………何をそんなに、怖がってるのさ」 僕の台詞に、こいつは可笑しいくらいに動揺を見せる。 闇い瞳が、ゆらゆらと揺らぐ。 迂闊な子供。 「何が怖いの」 そんな事、聞かなくても解る。 こいつが今恐れているのは、過去に彼が蝕まれていたものと同じものの筈だから。 微かに微かに、紡ぎ出される恐怖。 「………ぃ…なく…ならないでっ」 ―――本当に迂闊だ。こんな風に、自分の弱さを曝け出すなんて。 ……曝け出せるなんて―――幸せな子供。 今おかれてる状況がどうあれ、こいつはそれを出来る分幸せなのだ。 「なら……」 幸せな子供はキライ。 だけど……テッド。 ―――あんたが遣り残した事、せめてこいつがそれを必要としなくなるまでの間くらいは遣ってやってもいい。 あんたが、遣ってやりたかっただろう事を。遣らなければならなかったであろう事を。 あんたが僕にくれた勇気の分くらいなら……こいつに返してやってもいい。 「なら……離さなければいいよ」 このままでいればいい……。 あんたが、この手を必要としなくなるまで。 そうして、微かに震える頭を両の手で引き寄せ、胸許にそっと抱え込む。 ぴくりと強張った身体が、けれど、次第に弛緩し縋り付いてくるその様に。 ルックはそっと瞼を落とした。 瞼裏に浮かぶのは、緋い緋い彼岸花。 いずれは色褪せ、あの屍と一緒に土塊に還るだろうそれ。 白い骨のみになった頃に―――。 再びあの緋を手向けよう。 それは、さぞかし綺麗に映えるだろうから……。 だから……。 ―――待ってて。 ...... END
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