ゆるむ 地よりも天に近い印象は、この狭い島全体で感じる事だけど。 その島の真中に位置する師の塔の天辺に置いては、更にそんな感じが強くて……全ての下界から遮断されたここが、結構気に入っていた。 この身に纏いつく悪戯な風が、法衣を揺らし髪を乱しては離れて行く…そんな時間は至極和やかで。 ここは……穏やかだ。 こんなにも―――。 「………?」 刹那、島を取り巻くレックナートさまの呪が緩んだのを感じた。 「…そう言えば、今宵は満月だっけ」 帝国からの使者がやってくる頃だ。下界から遮断されたこの地を訪れるのは、師の星見の結果を欲する彼等だけだから。 「……出迎えなきゃ、」 至極面倒だけど、迷われたらそっちの方が厄介だ。 立ち上がり、視線を巡らせて……気付く。 「な、に―――」 身体に感じるこの暗くて冷たい感覚には、覚えがあった。 これは、間違えようもない……アイツの。 口端に、我知らず笑みが浮かぶ。 「いつもより、丁重にお出迎えが必要かな」 どこか高揚する気持ちを抑え、転移の言霊を呟いた。 + + + …………あぁ、全然変わってやしない。 緑の深い森も、獣道としか言えない塔までの道のりも……優しく頬を撫でる風も、昔見覚えたままのその在り様に、この島だけ時が止まっていたかのように感じる。 長年生きてりゃ、それこそ思いもよらない体験も多かったけど。絶対、これはその内の3番内には入るだろうと思う。 この地を訪れる事なんてないだろうと、思ってたから。 漏れる苦笑は、それが外れた所為か。 高まる鼓動は、…………逢えるかも知れないという期待からか。 「テッドー、早くこいよ」 この年になって、外見だけなら俺と同じ年頃の親友が出来たって事も、思いも寄らない体験っていえばそうだけどな。 「何、そんなにきょろきょろしてるんだ?」 その友人に、さも訝しげに問われ、 「だって、こんなとこに来れるの最初で最後かもしれないだろ?」 と、さも当然のように言ってやった。 前にここを離れる時は、事実そう思ってたんだから。 ここは優しい思い出ばかりで…紋章を宿してからの自分がそれを始終忘れられずにいながらも、唯一安らげた場所だった。 感慨に耽っていると、唐突に開けた場所に行き当たった。 視界に飛び込んできたのは、―――懐かしいひとりの少年。 「………ルック、」 呟き零れたそれに気付いたのは、同行していた者の中にはなく。その名を持ち、己が真正面で対峙するその少年ただひとり。 さらさらと風になびく、鳶色の髪。 華奢な体躯は、少しは成長したようだけど…相変わらず、小さくて。 何より、翡翠の強い意志を秘めたその瞳が。 ―――変わってない。 全て、あの頃のまま……綺麗な子供のままだ。 笑みを向けると、ルックは軽く口の端だけを持ち上げただけだったけど…。 ただそれだけで、逢わなかった時間を埋められたような気がした。 「―――いけ、クレイドール」 挑むかのような瞳と、薄く笑みをのせた唇から、こいつは俺へのあてつけだろうと簡単に思い至る。 だけど、そのあまりに冷たい洗礼は、いっそこいつらしいと、敵と対峙しながらも漏れるのは苦笑ばかりだった。 打ち込まれる棍は力強く、振り下ろされる斧は血肉を裂き、鍛えられた拳に至っては情け容赦などなく。 唸りを上げて敵に放たれる矢は、確実に急所へと。 そうして、何度目かの攻撃を受けたクレイドールは、やがてその身を横たえ姿を霧散させた。 『真の紋章』から生み出したような事を言ってはいたが、だとしたらかなり手抜きっぽいぞ、これ。 ………っていうか、ワザと手抜いたんだろうけど。 「ま、取り敢えずは合格だね」 クレイドールを倒すと、ルックは小気味いいまでの生意気さで一行の文句を一蹴し、塔までの道のりを示すとすぐさま姿を消した。 文句轟々の一行の影で、この手荒い歓迎は俺の所為だろうと、確信していた俺は――そうは見えなくても――平身低頭だったけど。 「……驚いた、な」 隣りでマクドールが溜息混じりで呟くのに、 「何がだ?」 と返す。 「だって、ムチャクチャ綺麗な子供だった」 「…………………そうか?」 知ってるよ、綺麗だって事くらい。俺だって、初めて逢った時マジ見惚れたもんな。 未だマクドールがルックの転移した軌跡を追うように、視線を巡らせているから。 「とっとと行こうぜ」 と、促す。 「…うん、」 歩き始めはしたが、何度か振り返るのを見て、綺麗だっていうのは一種の力でもあるんだ…と思い知った。 でも、それ以上に思い知らされた事がある。 結構俺って嫉妬深い……のかも知れない。 マクドールがレックナートから星見の結果を受け取って、これを持ち帰れば役目は―――終わる。 つかの間の再会だったけど……。 まさか、逢えるなんて思ってなかったから、ただそれだけで嬉しい筈だったのに…。 レックナートも当り前と言えばそうだけど…全然変わってなくて。 ただ、柔らかな笑みだけを浮かべて。 「送らせましょう、―――ルック」 彼女がそう呟いた声に、瞬時鼓動が跳ねる。 「はい、レックナート様」 刹那、姿を現したルックに 「この方々をお送りなさい。悪戯は駄目ですよ?」 そう言う彼女の顔の方が、悪戯に成功したような色を乗せていた。 小さな桜色の唇が、転移の呪を唱え。 何も話せないままだった、と思うのに…この状況では声さえ掛けられない。 じっとルックの翡翠を見つめたまま、一瞬交わった視線を感じた、刹那。 転移の術を発動したルックの姿が、瞬間白い光に包まれて見えなくなる。 そして、光の眩しさに閉じた瞼を開いた時、視界に映ったのは―――ルックひとりだった。 「……れ?」 一行とは何故か離れ、ひとりその場に取り残されて居た。 「人前で、あんた的には感動の再会なんてやりたくないから」 奴等は先に送っておいたと告げてくるルックに、自然笑みが零れる。部屋へと戻るレックナートの後姿は、視界の隅だ。 「元気、だったか……?」 「見れば解るような事、ワザワザ訊く?」 そう溜息混じりで返してくる台詞は、いっそルックらしい。 「あんたこそ帝国の使者と一緒なんて、又、悪趣味だね」 尤も過ぎるそれに苦笑で返せば、呆れたように肩を竦められた。 「まぁ、成り行き…かな〜」 「全っ然、変わってないんだ。その行き当たりばったりなとこ」 「だけど、お陰で逢えただろ?」 にやりと笑って言えば、綺麗な翡翠はすっと眇められた。 2年前のような切羽詰った感じを受けないのは、嬉しい反面ちょっと複雑だけど…。その落ち着きが俺の知らないとこで為された、って事が。 あぁ、俺って本当に我が侭だな。 だけど、貪欲になってしまったのは…こいつとこいつの師匠の所為だ。 人として生きてく為には、それが一番必要な感情なんだって知った所為だ。 こいつらが……そう思い出させてくれた、からだ。 「……逢いたくなかった、とは言わないけどね」 かなり嫌そうにそう告げてくるルックに、驚きそのままに 「随分と素直だな」 と言ってやれば小さく 「紋章レベル3程度なら呪文なくても発動できるくらいにはなったんだけど……試して欲しい?」 と冷たい笑みと一緒に返された。 「体格の方は兎も角、そっちは随分と成長したんだな」 「…………悪かったね、小さくて」 一層酷くなった仏頂面には笑顔を返す。 「小さいっていうか、細過ぎ。ちゃんと食ってるのか?」 「食べてるよ、」 こいつは知識欲とかそういった方の欲は強いのに、食欲とか直接生命に関する欲には無関心で、見てる時分はかなりハラハラし通しだった。 ルックが目的を果たしたら………と思うと、その内容を知りもしないのに、どうなるのか怖くて考える事さえ出来ない位には。 ふっと思い出して、胸の隠しをごそごそと探る。そして、指に触れた小さなそれを摘み、そのままぬっとルックに突き出す。 「―――えっ?」 「……逢えたら渡そうと思ってた」 「………これ、」 咄嗟に出したんであろうルックの小さな掌に乗せたのは、深い翡翠の瞳と同じ色の 「ピアスv」 だ。 「絶対、お前に似合うと思って」 そう言ってやったのに、それでも躊躇いがちに一端はそれに向けた視線ですぐさま、窺うようにこちらを見上げてくる。 「耳朶に穴あけてはめ込むんだ」 本当は、こいつの身体に傷なんて付けたくなかったけど……。それでも、俺が贈ったモノを身に付ける為に行われるかもしれないというそれは、一種の優越感のようにも思えて。 「…………けど、」 「身に付けててくれよ?」 あぁ、これも一種の独占欲―――か? 恐らく、これから下界へとその身を投じるだろうこいつが。 誰かのモノになるのなんて、許せない……っていう、汚い独占欲の現れかもしれない。 離れて行ったのは、俺自身なのに……な。 「テッド……」 「ちゃんと、見てるから。何処に居ても、側に居なくても」 ピアスを乗せたままの掌ごと俺の手で包み込んで、そのまま胸元に押し付けた。 「だから、困った時とか迷った時とか………呼べよ」 そうして、サークレットの嵌った額にそっと唇を落とす。 柔らかに触れるだけの……キス。 「……ッド?」 「おまじない、ルックが俺の言葉を忘れたりしないように」 この清い魂が、世俗に塗れ汚れる事はあっても、決して壊れることのないように―――。 それ以外は、もう望まないから。 「あんたが僕の言った事忘れてたって、僕は忘れないよ」 あんたには生憎かも知れないけど、幸い記憶力はいいんだからと、挑戦的に告げられて。 「知ってるさ」 ―――だけどな。 「俺だって、ここでルックと過ごした時の事は、忘れてねーよ」 絶対、忘れない。 あの時間がなければ、俺は未だに何処にも辿り着けず彷徨い続けていただろうから。 忘れられる筈が、ない。 「……さ、送るよ」 年寄りの昔話は長くなるからね、等と辛辣な台詞で言われた。 相変わらずだな、こいつの態度は。あぁ、変わらないって事で安心できる事もあるんだ。 「―――ルック、又逢おうな」 「気が向いたら、ね」 悪戯っ子のような笑みを浮かべ、ルックは転移の呪を紡いだ。 「――――――っわー!」 無防備だったとこを、ものの見事に落とされた。 ……あのなー、思い切り痛いんだけど? あまりの痛みに腰を擦りながらうめいてると、 「何やってんだ? テッド」 マクドールが訝しげに訊ねてくるから、 「落とされたんだよ、見て解んないのか」 とぞんざいに言ってやった。 親友であろうと何であろうと、言えない事は沢山ある。 この紋章の事もその中のひとつだけど……それ以上に、あいつの事は…言えないような気がする。 あぁ、これも一種の独占欲か。 「さて、帰ろうか」 マクドールの言葉に、殆ど咄嗟にあの塔を振り返った。 あんな高い塔なのに…ここからじゃ木々に遮られてその位置さえ掴めない。 腹減っただの、無事に任務が果たせて良かっただの五月蝿い外野の声に曖昧に頷きながら、ルックを想った。 又……逢えるだろうか。 逢えると、いい。 否、絶対に逢う。 促され乗り込んだ竜の背でしたそれは、決意だった。 + + + 遠去かって行く竜を、その背に乗る彼を、その姿が点になり見えなくなるまで見送った。 「……変わってないよね」 あの頃と、全く同じ笑顔で笑ってた少年を思い、ルックは自然笑みを浮かべた。 自分と此処で過ごした時の事を忘れてないと言われ、それがただ嬉しかった。 だけど……。 「そんな事、教えて助長させてやる義理ないしね」 呟いて、握り込んだままだった掌をそっと開く。ころんと転がるのは、双つの翡翠。 小さく苦笑が零れる。 一体全体どんな顔して買ったんだか。 そうしてそれを再び握り込む。 呼べと言った彼の言葉を思い出し、口元に軽く笑みを乗せた。 「精々期待してるよ」 風に翻る法衣と髪を押さえ、今はないその姿を探るように眼を眇める。 視界を埋めるのは、ただ青い空ばかりで。 だけれど、その青が彼の瞳そのままの色で。 この世界を覆う空は、そのまま彼のようだと……意味もなく、ただそう思った。 ...... END
|